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龍王陛下に𠮟られるから

『別冊エヴリデイ★マキリ』(小説パート)

1.

「ほら、桜」
 雁夜は、お泊りセットの入ったリュックサックを背負った桜を前に押し出す。
「二日間、お世話になりますって」
「……うー」
 なおも自身の後ろに隠れようとする桜を押し戻して、雁夜は切嗣に愛想笑いを返す。
「すみません、切嗣さん。――桜、頼むから。切嗣おじさんにごあいさつして」
「うー……」
「桜っ。桜はもうお姉ちゃんだろう? 自分のことは自分でやるって約束したもんな。ひとりでお泊りもできるもんな?」
「うー……うん」
「よしっ! 桜はやればできる子だ。ほら、お世話になります――って」
「あァ、雁夜君、大丈夫だよ。そんな気にせずとも――」
 見かねた切嗣が片手を挙げると。
 雁夜からぱっと離れた桜が、ぺこりと頭を下げた。

「ふつかかん、おせわします、ケリィおじさん!」

 一瞬、ぽかんと口を開けた雁夜が。
 我に返って、大層慌てた。
「ちょ――ちょっと待て桜! お世話します、じゃなくて、お世話になります!」
 切嗣がにこにことお辞儀を返す。
「はい、こちらこそ。お世話になります、桜ちゃん」
「間違った日本語を教えないでください、切嗣さんッ!」
「どうしたの、かりやちゃん? もういいよ、バイバーイ」
 さっきまでの躊躇はどこへやら、桜が無情にも手を振る。
 切嗣がハハハと無責任に笑った。
「桜ちゃんに一本とられたね」
「……本当に良いんですか、切嗣さん?」
 構わないよ、と切嗣が肩をすくめる。
「アイリもいるし。士郎やアルトリアは、桜ちゃんが泊まりに来るって言ったら、すごく喜んじゃって」
「そうですか……ご迷惑でなければ良いんですが」
「迷惑だなんてとんでもない。雁夜君のところは父子家庭なんだから、いつでも頼ってくれれば良いんだよ」
 雁夜はぺこりと頭を下げた。
「助かります。埋め合わせはいずれ。何かあったらここに連絡ください」
 切嗣に紙切れを手渡すと、雁夜はしゃがみこんで桜を真正面から見据えた。
「何か困ったことがあったら、すぐに切嗣おじさんかアイリちゃんに言うんだぞ。いいな?」
 桜は黒目がちな瞳でじっと雁夜を見返す。
「……すぐ帰って来る?」
「明日の夜帰るから」
「ちゃんと帰って来る?」
「ちゃんと帰って来るって」
「なんか、新婚さんみたいなやり取りだね」
「変なこと言わないでください、切嗣さん」
 徐に立ち上がった雁夜が、くしゃっと桜の頭を撫でた。
「うちの子、よろしく頼みます。それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「いってらっしゃ~い!」
 軽く手を振り返した雁夜は、衛宮邸を後にした。


2.

 事の発端は一本の電話。
 学生時代からバイトをしている東京の小さな出版社から、雁夜あてに電話があった。無論、魔術師である雁夜をバイトとして雇うくらいだから、普通の出版社ではない。表面的には自転車操業の弱小出版社を装ってはいるが、裏では魔術書の類を取り扱う、日本の中でも老舗の版元のひとつである。
 小遣い稼ぎ程度にはなろうと、軽い気持ちで勤めるようになったバイト先だが、なんだかんだでもう十年近くやり取りがある。大学を卒業して冬木に戻って来てからは、本社に呼び出されることは滅多にないものの、執筆以外の仕事の電話は月一ペースでかかってきていた。
 仕事といっても、大概は雑用なのだが。
 慢性的に人手不足なのである。どこの業界でも状況は似たり寄ったりである。
 とはいえ、雁夜は目下子育て中の、一児の父である。桜を放ったらかしにしてまで仕事を請ける気など毛頭ない。社長が仕事の内容を喋り始める前に断ろうとしたのだが。
 そんな雁夜の内心などお見通しらしく、社長は一方的に仕事の内容をまくしたてるとさっさと電話を切ってしまった。
 じゃあよろしく頼むねーという無責任な声と共に切られた電話を恨めしげに見下ろしつつ、雁夜はため息を吐いた。
 土日かけての地方営業に同行せよとのお達しである。
 当然ながら、学校は休みで桜は家に居る。
 一日くらいならランスロットに桜を預けるか、と考えぬでもなかったが――。
 その状況は、ランスロットが桜の面倒を見るというより、桜がランスロットの面倒を見ることになるような気がしたので、却下した。桜があまりに不憫だ。生活能力が皆無である己のサーヴァントの不始末を桜に押し付けるなど、あってはならない。
 結局。
 ランスロットは連れて行くことにして。
 桜を衛宮家にお泊りさせることにしたのだった。
 遠坂家に預けることも選択のひとつとしてはあったのだが、桜が間桐家に来てからまだ一年半――せっかく我が家に馴染みつつあるのに、ここで遠坂の家に戻すのは得策ではない、と雁夜は思っていた。駄目もとで衛宮家に相談したら、一も二もなく快諾してくれたので、桜を泊まらせる運びとなったのである。
 衛宮家の玄関先に佇み、笑顔で雁夜を見送った桜だったが、切嗣に振り返ったときには既に涙ぐんでいた。
 しっかり者で通っている桜とて、小学二年生の女の子なのである。ひとりで余所のお宅に泊まることは、これが初めてであった。

「――あ、桜!」

 そんな桜の不安も、廊下のつきあたりからひょっこり顔を見せた士郎のおかげで、すぐに吹き飛んでしまったようだが。
「しろーちゃん! しろーちゃんだぁ!」
 パタパタと軽快な足音を立てて、桜が士郎に突進する。
「よく来たな、桜」
「うん! しろーちゃん家にお泊り!」
 士郎が切嗣の養子になって一ヶ月ほど経った頃、雁夜が桜を連れて衛宮家を訪ねたことがある。桜と士郎はそのときが初対面だったわけだが、不思議とふたりはすぐに打ち解けた。いつもむすっとした顔でひとを寄りつかせない士郎と、人見知りもひとの好き嫌いも激しい桜が、出会った瞬間に仲良くなったのは、雁夜にとっても切嗣にとっても意外なことだった。波長が合ったとしか言いようがない。
 小学三年生の士郎にとって、桜は幼馴染であると同時に、実の妹のような存在である。
「士郎。桜ちゃんと一緒に遊んできたらどうだい?」
 士郎の手をつかんできゃっきゃとはしゃぐ桜の背後から、切嗣が士郎に声をかけた。
「そうだな……桜、何して遊ぶ?」
 いそいそとリュックサックをおろした桜が、ええとね、と暫し逡巡した後。
「たんけん!」
「探検?」
 リュックサックを拾い上げた切嗣が首を傾げる。
 桜が大きく肯いた。
「そうっ! しろーちゃん家を、たんけん!」
 ふむ、とひとつ肯いた士郎が。
 顎に手を当ててにやりと笑った。
「――よし。桜隊員、準備はいいな。これから我々が行うミッションはとても危険だ。ココロしてついて来るよーに!」
「あいあいさーっ!」
「それと。これから俺のことは隊長と呼ぶんだ」
「あいあいさー、しろーちゃんたいちょぉ!」
「出発だ!」
 切嗣がぽかんと口を開けて見守る中。
 士郎と桜は手に手を取って衛宮家の廊下をばたばたと走り去った。


3.

 そろそろと襖を開いた士郎が、桜を手招きする。
「……対象はまだ気付いてない。静かに、素早く入るぞ……」
「……了解、しろーちゃん隊長……」
 士郎と桜が抜き足差し足で入った部屋は。
 中庭に面した和室である。
 晩秋の穏やかな光が差し込んでおり、電灯がついていなくともほんのりと明るい。士郎と桜は忍び足で、部屋の真ん中に敷かれた布団の側へと歩み寄る。
 士郎も桜もぺたりと座り込んで、意味もなく息を潜める。
 眠っているのはアイリスフィールだった。
「……寝てるね……」
 桜がこそっと士郎に囁く。
 六年前、切嗣の〝妻〟として冬木に来た頃は活発で元気だったアイリスフィールだが、ここ数年で急速に身体機能が低下した。調子の良い日は自力で起きて居間で寛いでいるが、今日のように寝ている日も多い。
 ホムンクルスにも耐用年数がある。
 一年前、士郎が衛宮家に来た頃、既にほぼ寝たきりの状態だった。急激な悪化も回復もなく、アイリスフィールの体は緩慢に〝死〟を迎えつつあった。
「……起こしちゃ悪い。引き上げよう……」
「……そうだね……」
 肯きあって、士郎と桜は体を起こした――。
 が。
「!?」
「――きゃうッ」
 急に後ろから引っ張られたせいで、ふたりとも、もののみごとに転倒した。
 そのまま。
 士郎も桜も布団の中に引きずり込まれる。

「はあぁぁぁぁぁぁ、やっぱりそうだわ! この感触……この香り……」

 布団の中で士郎と桜をがっちりホールドしたアイリスフィールが、桜に頬ずりする。
「小さくて、ふわふわしてて、本当に可愛い……はうううぅぅ……」
「あ、アイリさんっ! なんで俺まで!?」
「……? あれ。思わず士郎君もつかんじゃった」
「俺はついでか……」
 漸くアイリスフィールから解放された士郎と桜が、ほうほうの体で布団から這い出た。
 パジャマ姿のアイリスフィールが布団の上にいそいそと正座する。
「いらっしゃい、桜ちゃん」
 さっきまでの醜態など綺麗さっぱり忘れてしまったように、アイリスフィールは完璧な笑顔を向けた。
「おっ、おじゃましてます、アイリちゃん!」
 先制攻撃にいまだ動揺の隠せぬ桜が、畳に額を擦りつけるように頭をさげた。
「大丈夫か、桜隊員?」
 頭を起こした桜はそそくさと士郎の後ろに隠れる。
「……なかなかてごわいです、しろーちゃん隊長……」
「うん、まあ、アイリさんはちっちゃくてカワイイものに目がないからな」
「うふふふふふ、どうしたの、桜ちゃん? もっとこっちに来ても良いのよ?」
 ふふふふと意味深な笑みを浮かべながら、アイリスフィールが手招きする。
「アイリさん、さすがの桜でも怯えます。さっきの不意打ち。何かの妖怪かと思いました」
「……。よぉかいなら、そんなに怖くないんだけど」
「俺は桜がわからないよ……」
 む、と桜が口をへの字に曲げる。
「しろーちゃんだって、よぉかいと、お友だちになれるよ!」
「桜は妖怪と友だちなのか?」
「ううん。私は、よぉかいの、ファン!」
「ファン?」
 士郎が首を傾げる。
「アイドルとか野球選手のファンみたく?」
「そのとウり!」
 テンションの上がった桜がばしっと両手で畳を叩く。
「いつか、ぬらりひょんにサインしてもらうんだ……」
 えへへーとしまりのない顔でとろける桜。
「うるさくしてすみません、アイリさん。それじゃ、俺たちはこれで」
「あら……もう行っちゃうの?」
「はい。俺たち、探検中なんで」
「たんけん?」
 顎に人差し指をあてたアイリスフィールがにこにこと繰り返す。
 そうなんです、と士郎が真顔で肯く。
「俺たちはとても危険なミッションをすいこー中なんです。詳しくは訊かないでください。アイリさんを巻き込むわけにはいきませんから」
「あらあら、士郎君。切嗣の真似がうまくなったわね」
「俺たちの無事を祈っていてください、アイリさん。――ほら、桜。行くぞ」
 いまだ恍惚状態にある桜の手をとり、ずるずると引っ張って、士郎はアイリスフィールの部屋を後にした。


4.

 切嗣と共に軽い昼食を囲んだ後、士郎は桜を土蔵に案内した。
 一年前に衛宮家に来て以来、士郎はこの土蔵を大層気に入り、自分の秘密基地として使っている。
 士郎は、友だちと一緒に外で遊ぶよりは、ひとり土蔵でガラクタいじりをする方が好きな、内向的な子どもである。
 桜もまた、同世代の女の子と比べればかなり独特な感性の持ち主で、空想の世界で遊ぶのを好む子どもである。
 そんなふたりだから馬が合うのかもしれない、と切嗣は縁側で一服しながらぼんやりと考える。
 衛宮家に来てから一ヶ月間、士郎はとにかく頑なだった。
 反抗的、というわけではない。言われたことはきちんとやる子どもだったし、今ではズボラな切嗣や王様であるアルトリアを差し置いて、衛宮家の家事を一手に引き受けている。同い年の男の子と比べれば、物腰も落ち着いているしはるかに大人びている。これほど理想的な息子というのも滅多にいない。
 けれど――。
 はしゃいでいても、どこか辛そうだった。
 笑っていても、どこか寂しそうだった。
 切嗣に対しても、アルトリアに対しても、よそよそしい態度のままだった。アイリスフィールにはすぐに懐いたが、彼女が起きてくるのは週に二日ほど――満足に甘えられるはずもない。
 衛宮家に来てから一ヶ月間、切嗣は士郎の本心からの笑顔を見られなかった。
 仕方のないことだ、と諦める気持ちがあったことは否めない。
 士郎の父を、士郎の目の前で殺したのは切嗣だ。
 士郎が切嗣を憎むのは当然のことだ。ただ、時間をかければ――少しずつ、士郎のこころも解けて、本物の親子になれるのではないかと――漠然と、そんな希望的観測を抱いていた。確信が持てるほど切嗣は楽天家ではなかったし、傲慢でもなかった。
 士郎が衛宮家に来て一ヶ月が経った頃、雁夜と桜が訪れた。
 その日――。
 その日が、初めてだった。
 士郎の心底楽しそうな笑顔を、切嗣が見ることができたのは。

「ただいま戻りました、マスター」

 背後からかかった少女の声に振り向く。
「うん。おかえり」
 ぺたぺたと歩み寄ったアルトリアは、切嗣の隣に座った。
「アイリスフィールが起きていたので、着替えの手伝いを」
「うん。すまないね」
「頼まれたものは全て買ってきました。領収書です」
 切嗣は無言で領収書の束を受け取る。
「切嗣」
「……ん?」
「空き缶を灰皿代わりにしていると、またシロウに怒られますよ」
「うん……」
 上の空で返事をした切嗣が、灰を空き缶の中に落とした。
「アイリの調子は?」
「今日は良い方かと」
「そうか」
「……。ご自身で確かめられてはいかがです?」
「うん……後でね」
 ぷっつりと会話が途切れる。
 切嗣は思い出したように居間の方に振り返った。
「お昼の残り、あるよ。士郎のサンドイッチ」
「では、アイリスフィールの部屋にも届けておきましょう」
「そうしてくれ」
 音もなく立ち上がったアルトリアは、不意にそわそわとあたりを見回した。
「あの。切嗣」
「なに?」
「シロウと桜は?」
「土蔵」
 ふうっと紫煙を吐いて、切嗣は己のサーヴァントを見上げる。
 胸の前で手を組み替えながら、理性と本能の狭間で揺れるアルトリアの姿があった。
「……アイリの部屋には僕が行くから、士郎と桜ちゃんの相手してきたら?」
「い、良いのですか、切嗣!?」
 既にサンダルを突っかけたアルトリアが切嗣に振り返る。
 切嗣は面倒臭そうにこくりと肯いた。
「ありがとうございます、切嗣!」
 最敬礼するやいなや、アルトリアは士郎と桜の名を呼びながら土蔵に一直線。
「どーいたしまして」
 この家で一番大人なのは士郎だなあ、とぼんやり思いつつ。
 切嗣は吸いさしを空き缶に落とすと、よっこらせと言って立ち上がった。


5.

「騎士王っ! 今すぐ結婚するぞ、判を持て!」

 高笑いと共に衛宮家を訪れたのは、冬木最古参のサーヴァント、通称金ぴか、ギルガメッシュである。
「どうした、この我が直々に足を運んでやったというのに、顔も見せぬとは。それとも、漸く恥じらいを身に付けたか……ククク、愛い奴め」
 丸めた婚姻届を片手に、衛宮家の玄関で自己陶酔する英雄王。
「姿が見えぬというのなら、なァに、こちらから見つけに行くまでのこと。騎士王も男女の機微を解するようになったではないか。さすが、我が見込んだ女だけあ――」
 靴を脱いで家に上がった瞬間。
 廊下の奥から顔を出した桜と、目が合った。
 ふたりは暫く無言でみつめあう。
 先に口を開いたのはギルガメッシュだった。
「桜。今度は衛宮の家の子になったのか?」
 むっとギルガメッシュを睨んだ桜は。
「――しろーちゃん隊長っ! こちら桜隊員! 悪の帝国まるどぅっくじざすたぁの暗黒宇宙怪人ぎるがめっちゅが玄関に現れたっ! 至急、ハイパーアルトリアミレニアム号を発進されたしっ!!」
 腕時計をつけた左手を口元に持っていって、早口でまくしたてた。
「……はあ……?」
 続いて。
 だだだだっと廊下を一気に駆け抜ける音と共に。
「う、ォオオオォおおおおォォオオオぉッ、エクス――ッ!」
 コーンウォールの猪の異名を取る小柄な王が。
 だんッと裂帛の気合を込めて跳躍し、丸めた新聞紙を振りかぶる。

「カリバァアアアアァアアアァァああぁあああぁぁッ!!」

 そして。
 金髪の脳天めがけて、思い切り振り下ろした。
 着地して、ふう、と息を吐いたアルトリアが、折れた新聞紙を元に戻して鞘に収めるような仕草をした。
「……まあ、ざっとこんなものですね。ハイパーミレニアムアルトリア号の性能はいかがでしたか、桜?」
「ハイパーアルトリアミレニアム号だよっ。性能は十点満点だねっ!」
 ぐっと両手の親指を突き出す桜。
 アルトリアも笑顔で親指を立てる。
「そうですか、それは良かった。敵も退治したことですし、探検を再開しましょう。シロウ隊長が待っていますよ」
「……なんか今、すごい音が聞こえたんだが……」
 おそるおそる顔を出した士郎が、慌ててギルガメッシュに駆け寄った。
 廊下に倒れ伏した英雄王はぴくりとも動かない。
「あの……アルトリア。今、何したんだ……?」
 アルトリアと桜が顔を見合わせる。
「暗黒宇宙怪人に正義の鉄槌をお見舞いしてやりました」
「リーアちゃんはヒーローだから、悪いヤツやっつけたんだよ」
 満面の笑顔で答えるふたりに。
「おまえら……」
 士郎は頭を抱えた。
「あ! 気を付けてね、しろーちゃん。暗黒宇宙怪人ぎるがめっちゅには毒があるんだよ。うっかり触ると高笑いがうつるよ」
「俺は凛じゃないから大丈夫だよ。……おい、生きてるかー?」
 頬をぺちぺち叩くと、ギルガメッシュはぱちりと目を見開いて体を起こした。
「――ふふッ。フハハハハハハハハハハハハハハ! 騎士王! おまえの愛が結構痛いぞ」
「それは愛ではなく嫌悪と知りたまえ、英雄王。なんなら今度は、真剣で頭をかち割ってやりましょうか?」
 アルトリアは笑顔だが目が笑っていない。
「ほら、ね、しろーちゃん。暗黒宇宙怪人ぎるがめっちゅは、このくらいじゃ死なないんだよー」
「暗黒、宇宙怪人……?」
 突っ込みどころが多すぎて突っ込みきれていない士郎の隣で、ギルガメッシュは何事もなかったように立ち上がる。
「それより、桜。何故おまえが衛宮家にいるのだ? ははァ……さてはおまえ、とうとう雁夜に捨てられたな?」
 おまえは本当に手のかかる小童だものなあ、と言いながら、ひとり納得する英雄王。
「……リーアちゃん。やっぱりトドメをさしとこう。こいつは世界の敵だ」
「……ええ。同感ですね」
「え――いや、いやいやいや、待て待て。待ってくれ。頼むから、ウチを壊さないでくれ。それと、ギル。桜は師父の子になったわけじゃないぞ?」
 士郎が慌てて弁解する。
「桜は今日たまたま、ウチに泊まりに来てるだけだ。明日の夜には帰るんだ」
 ギルガメッシュは士郎をじろりと一瞥すると。
 フン、と鼻で笑った。
「どうだかなァ……? わがままな娘に愛想を尽かし、どこか遠くへ行ってしまったのではないかァ? 雁夜とてまだ若いのだから、遊びたい年頃であろう」
「はあ? おまえ、適当なことばっか言――」
 士郎が反論しようとして、
 そのまま固まった。

「かりやちゃんの悪口言ったら許さない」

 鬼気迫る桜が、ギルガメッシュの目の前に立っていた。
 不退転の決意を見せる幼い一対の双眸を、ギルガメッシュは白けた表情で見下ろす。
 そして。
 にやぁり、と意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほう……? 大きく出たな、桜ァ」
「かりやちゃんは帰ってくるもん! 私のこと捨てたりしないもんっ!」
 服の裾をきゅっと握り締めた桜が、必死に抗議する。
 ギルガメッシュはにやにやと笑みを深めた。
「おいおい、桜よ。それを一番信用できぬのはおまえなのではないか? それほど一生懸命になって我に主張するということは、自分に自信がないことの裏返しに相違ない。身に覚えがあるのだろう? 雁夜に捨てられても仕方がないと、こころのどこかで思っているのではないか? ん? どうなのだ。違うのか?」
「うぅ……っ」
 言葉につまると共に、涙ぐむ桜。
「……英雄王」
 そっと桜を抱き寄せたアルトリアが、半眼でギルガメッシュを見遣る。
「御身は幼い少女をいたぶるような趣味を持っていたのか」
「我を変態みたいに言うな。それと我は騎士王一筋だ」
「ひととして最低だな」
「ひとの話を聞けよ」
 ぐすぐすと泣きべそをかきながらひっつく桜の頭を撫で、憤然とするアルトリア。
 ギルガメッシュはむっとして腕を組む。
「……フン。社会の厳しさは、幼い内に味わっておくべきであろうが」
「あのさァ……おまえのはただのイジメだと思うぞ」
 士郎が呆れ顔でギルガメッシュを見上げる。
 片眉をぴくりと上げたギルガメッシュが士郎を見下ろした。
「無論だ! 桜はすぐ泣くからイジメがいがある」
「おまえ、典型的なイジメっこだよなあ……」
「……ギルのばーか……ふええ……」
「ほら、このように泣きながらも我のことを罵っている。中々愉快であろうが。これだから桜をイジメるのは止められぬのだ」
「おまえの感性もわからないよ……」
 桜を抱き締めたアルトリアが、きっとギルガメッシュを睨む。
「桜に謝りなさい、ギルガメッシュ」
「何故我が謝らねばならんのだ、戯けめ」
「く……ッ、このような悪逆非道をなしておいて、反省の色が微塵もないとは。表に出なさい、英雄王! 桜のかたきは私がとりますッ!」
「いや、桜は死んでないから」
「よかろう、騎士王。おまえを屈服させた暁には、今日こそ婚姻届に判を押してもらうぞ」
「世迷言を。貴様のような変態に私が屈するものか!」
 あまりの騒々しさに、とうとう家主が顔をのぞかせた。
 すぐに気付いた士郎が切嗣に駆け寄り、すまなそうな顔で養父を拝んだ。
「ごめん、師父! アルトリアとギルが庭で手合わせするみたいだ!」
「あー……うん。いつものことだから。それより士郎、夕飯の仕込みは僕がやっておくよ。指示を出してくれるかな」
「あ、そっか……もうそんな時間だ」
 暫く思案した士郎は。
 きゅっと切嗣の両手を握った。
「今日は、ちょっと豪勢なメニューを考えてるんだ! ひとりじゃ大変だからさ。師父に手伝ってもらえるとすごい助かる。桜をびっくりさせてやろう?」
 えへへと照れ笑いを浮かべる士郎を。
 切嗣は思わずぎゅっと抱き締めた。
「……え……なに、師父?」
「士郎は本当に良い子だなあと思って」
「へ、変なこと言うなよな!」
 ぱっと切嗣から離れた士郎が、ぷんすかと台所に向かう。
「だって事実じゃない」
「う、うるさいなぁもう」
「――あ、ケリィおじさーん! 私たちお庭にいるねーっ!」
 桜に手を振り返し、切嗣はいそいそと士郎の後を追った。


6.

 アルトリアとギルガメッシュの一騎打ちは結局引き分けとなり――というか、英雄王が一方的に「つまらん飽きたもう止める」と言い出すのがいつものパターンである――隊長である士郎が抜けた代わりにギルガメッシュを特別顧問に加え、衛宮邸探検が再開された。
「暇なのですか、英雄王?」
「今日は凛がいないからつまらん」
 押入れの中を覗きこみながらギルガメッシュがぞんざいに答える。
「? おねいちゃん、どっか行っちゃったの?」
「でぇとだ」
「……」
「……」
 アルトリアも桜も同時に手に持っていたものを畳の上に落とした。
「嘘だ」
「だ、だよねー。おねいちゃんにカレシなんているはずないもん!」
「少しでもこころを乱した己が恥ずかしい。凛がそのような軽薄な娘でないということは、よく知っているというのに」
 桜とアルトリアをじろりと一瞥したギルガメッシュは、フンと不満げに鼻を鳴らす。
「だが、目的は男だぞ」
「嘘でしょ」
「嘘ですね」
「嘘ではない」
 引っ張り出したガラクタをしげしげと眺めたギルガメッシュだったが、結局押入れの中に戻した。
「クラスのバカな男子どもをギャフンと言わせに行くとか、息巻いていた。あいつ、そんなことの為に我の心友を連れて行ってしまったのだぞ。まったく、あの小娘ときたら……」
 桜もアルトリアもほっと胸を撫で下ろす。
「……で、何故おまえらは安堵している?」
「いやー、私のおねいちゃんは最強だなーと思って」
「ええ。さすがは凛です。そのくらいの気概があってこそ、彼女の輝きは増すというもの」
「……。まあ、子どもが元気なのは結構なことだ」
 くるりと向きを変えたギルガメッシュが、隣の押入れの襖を開ける。
「ん……?」
 紅の双眸が神妙に細められる。
「ク●ガ……●ギト……●騎……」
「おや。切嗣のコレクションはこんな所に隠されていたのですね」
 押入れにずらっと並ぶDVDケースの背表紙には、手書きで某特撮ヒーローのタイトルが書かれている。
 ふふん、と唸ったギルガメッシュが、アルトリアに振り向いた。
「おまえのマスターは中々良い趣味をしているな」
「他に言うことはないのですか? 英雄王ともあろう者が随分と世俗にまみれたものですね」
「ギルは日曜日、朝からテレビにはりついてるもんねー」
 ギルガメッシュは早速切嗣コレクションのDVDを片っ端から物色し始める。
「何を言うか、騎士王。これこそ当代の娯楽の最前線であろうが」
「あー、ギルってばいけないんだー。ケリィおじさんの大事なもの勝手に出してー」
「んー? ……あァ、あったあった。やはり録ってあったようだな! 先々週の回を見逃してしまったのだ」
 ひとの家の押入れからひとのDVDを勝手に持ち出したギルガメッシュが、すたすたと部屋を出て行く。
 顔を見合わせた桜とアルトリアは、とりあえず散乱していたものを片付けると、ギルガメッシュを追った。
 ご機嫌な英雄王は居間にいた。
 我が家同然にテレビをつけ、DVDデッキを操作している真っ最中だった。
「傍若無人もここまで来るといっそ清々しいものですね」
「ギルー? ケリィおじさんに、DVD見ても良いかって、ちゃんと訊いたの?」
「え? 僕が何?」
 台所から顔を出した切嗣が首を傾げる。
「切嗣。貴方の秘蔵DVDを英雄王が勝手に観ようとしているのですが」
「ん? 良いよ、別に。減るもんじゃなし」
「……貴方はそれで良いのですか」
 アルトリアが愕然と呟く。
「僕も見ようかなー。せっかくだし」
 デッキと格闘していたギルガメッシュが、勢い良く振り返った。
「おい、切嗣! メニュー画面が出んぞ!」
「あ、それ、リモコンでやって」
「疾く献上せよ!」
 はい、と切嗣がテーブルの上にあったリモコンを手渡した。
「しろーちゃん、お夕飯の用意?」
 桜が台所を覗きこむと、包丁を持った士郎が振り返った。
「面倒なのは大体終わった。後は俺ひとりで何とかなるから、師父たちと一緒に寛いでろよ」
「そっか……お手伝いが必要だったら、いつでも言ってね!」
「さんきゅ、桜」
 士郎が包丁を持ったまま莞爾とする。
 ほんわかした空気が漂う台所に、ギルガメッシュの無粋な声が飛び込んだ。
「おーい、桜ァ。我の膝の上で共に観賞することを許すぞ」
「あ、ギルに呼ばれた」
 じゃあね、と士郎に手を振り、桜はぱたぱたと足音をさせて居間へ戻った。
「ふ……何を愚かな。桜が御身の膝の上など選ぶものか。桜は私がだっこします」
「ほう……? ならば我は、桜をだっこしたおまえを膝に乗せるとしようか」
「妄想を抱いて溺死しろ、英雄王」
 切嗣を挟んで不毛なやり取りをするサーヴァントふたり。
 桜はとてとてと駆け寄ると。
「じゃあ、私、ケリィおじさんにだっこしてもらおーっと」
「なッ」
「何故ですか、桜!?」
 胡坐をかいた切嗣の足の中に、ちょこんと座り込んだ。
 切嗣は勝ち誇った笑みを浮かべて桜を抱え直す。
「ハハハハ。桜ちゃんはひとを見る目があるね」
「……」
「……」
 両側からサーヴァントに睨まれつつも、切嗣は余裕の表情。
 あ、と桜が明るい声をあげる。
「私、知ってるよ! こーゆーの、ギョフノリって言うんだよね?」
 おねいちゃんに教えてもらったの、と桜が得意げに胸をそらす。
「あ……あァ……桜ちゃんは、難しい言葉を知ってるんだね。偉いぞ」
 切嗣は微妙な表情で肯く。
 両隣のサーヴァントは同時に噴出した。
「ぷっ……切嗣ざまぁ」
「クク……気にするなよ、切嗣。子どもとは正直なイキモノ故な」
「ちょっと黙ろうか、サーヴァントども? 起源弾ぶちこまれたいかい?」
「あ! 始まった!」
 桜がテレビを指差すと、ちょうどオープニングのテーマが流れ始めたところだった。


7.

 DVDを観終わったギルガメッシュが満足げに衛宮邸を後にすると、ちょうど夕飯時になっていた。
 ぼーっと特撮ヒーローを鑑賞していた一同とは対照的に、士郎はひとりさっさか夕飯の仕度を進めていた。居間のテーブルの上には既に皿やら箸やらが並んでいる。
「アルトリア。アイリさん呼んで来てくれるか?」
「わかりました、シロウ」
「士郎、僕は何かする?」
「師父はホットプレートの用意。桜はこっち来て盛り付け手伝ってくれ」
「あいあいさーっ!」
 元気に敬礼した桜が、ぴょこぴょこと士郎の後について台所に向かう。
「――あ! おトーフのお味噌汁」
「桜は豆腐嫌いじゃなかったよな?」
「うん。好きだよー」
 ぱかりと炊飯器を開けた士郎が、お茶碗に炊き立てのご飯を盛る。
「味噌汁の盛り付け、桜に任せていいか?」
「うん! 頑張る!」
 いそいそと台にあがった桜がおたま片手に意気込む。
「アイリちゃんとー……ケリィおじさんとー……リーアちゃんとー……しろーちゃんとー…私の分!」
「よし! お盆に乗せてくれ」
 人数分のご飯とお味噌汁を居間のテーブルに運び終わった頃。
 アルトリアがアイリスフィールを伴って現れた。
「んー、良い香り! 今日のお夕飯は何かしら?」
「何だと思います?」
 フフフ、と士郎が含み笑いを浮かべる。
 うーん、とアイリスフィールが首を傾げる。
「――あ!」
 ぱんと手を打ったアイリスフィールが目を輝かせる。
「ホットプレートが出ているから、パンケーキを作るのね?」
 ちっちっち、と人差し指を振る士郎。
「ちょっと惜しいです、アイリさん。それは明日の朝ご飯にするつもりです」
「そうなの? それじゃあ――」
 アイリスフィールを座らせたアルトリアが、テーブルの上に置かれた丼を目ざとく発見する。
「――もしかして、お好み焼きではありませんか?」
「正解っ!」
 士郎がアルトリアに向かってぐっと親指を立てる。
「えぇっ!? お好み焼きって、おうちでも作れるものなの?」
「お店の味、とまではいかないですけど、材料さえあればできますよ」
 そうなんだー、とアイリスフィールが微笑む。
「すごいわ、士郎君。どんどんお料理が上手になって……士郎君に頼めば、どんなお料理でも作ってもらえるわね」
「ぁ、い、いや、そんなことないですっ。俺なんかまだまだ修行中の身ですから! ――桜。こっち来て座れよ」
「ふぁーい」
 切嗣の隣でホットプレートの様子を観察していた桜が、士郎に示された座布団に走り寄るとぽすっと座り込んだ。
「それじゃあ、皆そろったところで」
 士郎が行儀良く手を合わせる。
 食卓に着いた一同も士郎にならって手を合わせる。
「いただきます」
『いただきます』  そこからが――。
 士郎の本気の見せ所であった。
 一枚、二枚と士郎は手際よくホットプレートにタネを流して形を整える。
「ほぁー、しろーちゃん上手! 店員さんみたい!」
「よく見とけよ、桜。次は桜の番だからな」
「ぅえ、えええぇっ! そうなの!?」
 慣れた手つきで一枚目をひっくり返した士郎が、重々しく肯く。
「ああ。……こんなに早く、俺の技を桜に伝授する日が来ようとは……」
「ふうん? なんだかよくわからないけど頑張るね」
 焼きあがった一枚目が大皿に移されるやいなや、アルトリアはソースとマヨネーズを両手に構える。
「シロウ。かけて良いですか?」
「うん。適当にな。かつおぶしと青のりも忘れるな」
「ぬかりありません」
 アルトリアが仕上げたものを、切嗣が五等分してそれぞれの皿によそう。食卓における衛宮家の連係プレーは見事なものである。
 箸をとったアイリスフィールがぱくりと一口。
「――うん! とってもおいしいわ」
 良かった、と士郎がはにかんだ笑みを返す。
「鉄板の上でくりひろげられる……むぐむぐ……熱き死闘こそ、醍醐味だと思っていましたが……むぐっ、こういうアットホームなお好み焼きも良いものですね」
 両手と口をフル活用しながら、アルトリアがしみじみと呟く。
 そうそう、と切嗣が口を挟む。
「お好み焼きなんて滅多に食べないからさァ……最初、士郎から聞いたとき、本当にできるのかって二回くらい確認しちゃってね」
「師父は関西人としてなってない」
 士郎は鋭く突っ込むと、なあ、と桜に同意を求めた。
「粉モノをウチで食べるなんて当たり前だよな?」
 取り分けてもらったお好み焼きをぺろっとたいらげた桜が、不思議そうに首を傾げる。
「ウチ、ホットプレートもたこ焼き器もないよ」
「――ッな」
 なんでさッ、と士郎が珍しく声を荒げる。
 んー、と桜は反対方向に首を傾げる。
「かりやちゃんは、カンサイ人じゃないから?」
「え。そうなのか?」
 士郎が切嗣に振り返ると、切嗣はさあと肩をすくめた。
「母方が関東の出身、とかじゃないかい?」
「『俺はトーホク人なんだよ』ってよく言ってる」
 士郎はふむふむと肯く。
「そっか……雁夜さんは東北ベースか……道理で白だし使わんわ、濃い口醤油だわ思とったんや……」
 ぶつぶつと呟きながらも士郎は手を休めずに、次々とお好み焼きを焼いていく。
「関西風だろうが、関東風だろうが、おいしければ何も問題ありません」
 アルトリアはきっぱりと宣言し、ソースとマヨネーズを塗りたくる。
「……まあ……そりゃそうだけどさ……」
 士郎は浮かない表情でお好み焼きをひっくり返す。
 あれ、とお味噌汁のお碗を置いた桜が目を丸くした。
「アイリちゃん、寝ちゃった?」
 どれも一口ずつ手をつけただけで、アイリスフィールは切嗣にもたれかかってすうすうと寝息を立てていた。
 妻に肩を貸した状態で、切嗣は器用にお好み焼きを四等分する。
「……アイリスフィールを部屋にお連れしましょうか?」
「いや、いいさ。また起きるかもしれないからね。目が覚めたときひとりだと、アイリはすごく寂しがるから」
 そうですか、とアルトリアは俯く。
「ごめんね、桜ちゃん。びっくりさせてしまったかな?」
 ううん、と桜は首を横に振る。
「アイリちゃん、元気になると良いよね……」
「そうだね」
「――よし!」
 しんみりとした空気を一掃したのは、士郎の明るい声だった。
「それじゃあ、やってみようか、桜」
 士郎は笑顔で桜の前に丼を置いた。
「ぅえ!? い、いいのかなぁ、私がやっても?」
「遠慮なんかすることないぞ。ちょっとくらい焼きすぎたり、形が崩れたりしたって、アルトリアが全部食べてくれるからな」
「ソースとマヨネーズさえあれば食べられぬものなどありません」
「それはそれで失礼じゃないのかい?」
 切嗣が半眼で突っ込む。
 よぉし、と桜は腕まくりをして気合いを入れた。
「じゃあ、やってみるよ! よろしくお願いします、しろーちゃん先生っ!」
「おう。まずは適当な分量をすくってだな――」
 士郎の熱血指導が始まった。
 普段何事にも淡白で、感情の起伏も緩やかな士郎ではあるが、こと、指導に関しては鬼教官と言っても差し支えない。他人に厳しいというよりは、親身になりすぎて引かれるタイプである。
 もっとも、優等生タイプの桜とは相性が良く、料理にしろ勉強にしろスポーツにしろ、士郎のスパルタにも桜は余裕で食いついていく。ちなみに、凛は何事についても勘が良すぎてすぐできてしまうので、教えるのも教わるのも得意ではない。実際に魔術の指導を受けた桜いわく、「おねいちゃんの教え方はナガシマ監督級だよ」。
 あーだこーだ言いながらお好み焼きを焼くふたりを、〝技は教わるんじゃなく見て盗め〟が信条の切嗣とアルトリアは微笑ましく見守る。士郎が生き生きとしている様を見られるのは中々貴重な機会なのである。
「――うん、合格だ、桜。おめでとう!」
 漸く士郎のお墨付きをもらったところで、桜はへにゃあと畳に倒れこんだ。
「私も……もっきゅもっきゅ……満足れふ、シロウ」
「俺、お茶淹れて来るよ」
 そう言い残すと、士郎は台所に向かった。
 暫くしてから、桜がむっくりと起き上がる。
「大丈夫かい、桜ちゃん?」
「ケリィおじさん」
 座布団の上に正座した桜は、神妙な顔で切嗣の名を呼んだ。
「うん? 何かな?」
 桜は切嗣をまっすぐ見返すと。

「私、しろーちゃんをおヨメさんにする!」

 衛宮家の食卓が暫し沈黙に満たされる。
 アイリスフィールの規則正しい寝息だけが聞こえた。
 アルトリアも切嗣も硬直する中、人数分の湯飲みをお盆に乗せて戻って来た士郎がため息を吐いた。
「桜、おまえなあ……俺は男なんだから、おヨメさんにはなれないんだぞ?」
「おヨメさんにするもん!」
「桜ちゃん」
 切嗣が居ずまいを正して桜に向き直る。
「士郎のこと、よろしく頼むよ」
「乗っかるなよ、師父。桜が本気にするぞ」
「私はいつだって本気だよ?」
 それまで沈黙を保っていたアルトリアが、湯飲みのほうじ茶を一口すすってから口を開いた。
「でしたら、私はシロウの嫁入り道具のひとつとして同行しましょう。構いませんね、桜?」
「もちろんだよっ」
「いやいやいや、ちょっと待て。何を言ってるんだ僕のサーヴァントは」
「何とは何ですか、切嗣。シロウに恥ずかしい思いをさせるのが貴方の本意だと言うのですか? 嫁入りの際には最高の道具を仕立ててやるのが親の責務ではありませんか」
「トラック何台とかいうアレかい? ……まあ、ネットワークの皆に頼めばある程度の量は集まると思うけど……まず目録を作ることから始めないと、物が被るだろうからなあ……」
 真剣に考え込む切嗣。
「ちょっと落ち着こうか、おまえら……」
「む? しろーちゃんはイヤなの?」
 イヤというかなあ、と言って士郎は渋い顔をする。
「桜はそれで良いのか?」
「なにが?」
「桜は……その。俺なんかで良いのか?」
 じっと士郎を見返した桜は。
 くるりと切嗣に向き直った。
「ケリィおじさん。しろーちゃんがよくわかんないこと言ってるんだけど」
「あァ、桜ちゃん、そういうのはオーケイと同じことなんだよ」
「そっかー。そうだよねー! えへへへ」
 嬉しそうに笑う桜を前にして。
 士郎はむっつりと湯飲みを口に運んだ。


8.

「しろーちゃん、ケリィおじさーん! お風呂あがったよー!」
 アルトリアにごしごしと頭を拭かれながら、桜は元気良く居間に声をかけた。
 ――が。
 居間にいたのは、アイリスフィールだけだった。
「良かったわね、桜ちゃん。アルトリアと一緒にお風呂?」
「うん! とっても良いお湯だったよ! オンセンリョカンみたいだった」
 衛宮邸は六年前に切嗣が藤村翁から譲り受けて以来、何度もリフォームを繰り返されて現在に至る。特に水まわりは買った当初既に相当ガタがきていたので、あらかた切嗣好みの仕様に建て直された。〝温泉旅館のような檜風呂〟もそのひとつである。
「待ってください、桜。まだ髪が乾いていません」
 手ぐしでぱっぱと髪をなでつけた桜が、ぺたりと座布団の上に座り込む。
「ふえ? あとはシゼンカンソーで良いんだよ」
「な――ッ、いけません、桜! レディたるもの、身だしなみは常に整えておかなければッ」
 えー、と桜が口を尖らせる。
「おねいちゃんみたいに髪長くないからすぐ乾くもん」
「桜は女の子なのですから、そういう不精をしてはいけません。女性の髪には魔力が宿るものなのですよ。――アイリスフィール、ドライヤーとブラシをお借りしますね」
 アイリスフィールの返事を待たずに、アルトリアはどこかへ走って行ってしまった。
 ひょいと台所から顔を出した切嗣が、その後姿を呆れ顔で見送る。
「何なんだろうね、あの英国紳士は……」
 アイリスフィールがにこにこと首を傾げる。
「アルトリアにも娘がいたのかしら?」
「いや、息子だけでしょ。クローンみたいなの」
「――娘に憧れていたのです。悪いですか?」
 むっとした表情で居間に戻って来たアルトリアが、コンセントにドライヤーをさして桜の隣に座った。
 切嗣は軽く肩をすくめる。
「まあ、気持ちはわからなくもないけどね。でも、桜ちゃんは雁夜君の娘なんだから、自分の娘にしようとしちゃ駄目だよ、アルトリア」
「桜。切嗣の娘になって、ずっと衛宮家で暮らしませんか?」
「言ってるそばからこれだよ」
 桜はううむと唸り。
「私は良いんだけど……」
 腕組みして深刻に考え込む。
「……私がいなくなったら、かりやちゃん、ひとりだからね……それは、ちょっと……なんていうか、可哀想かなーって思うよ」
 うっと同時に言葉を詰まらせる衛宮家のオトナたち。
「桜ちゃん……なんてイイ子なんだ……」
「本当に、思いやりのある優しい子に育って……私、感動しちゃった」
「私が愚かでした、桜。これからも雁夜を大事にするのですよ」
 三者三様の反応に、桜はわけもわからずこくこくと肯く。
「あ、そうだ。――士郎! 先にお風呂入ってきなさい」
 台所に向かって切嗣が声をかけると、洗いものの途中だった士郎が怪訝そうに顔をのぞかせた。
「あァ、桜とアルトリアはもう出たのか。てか、師父が先に入れよ。俺、まだ終わってないし……」
「いいのいいの。こういうのは若い順。あとは僕がやっておくから」
 胡散臭そうに切嗣を見上げる士郎。
「師父、ひとりでできるのか?」
「洗うだけでしょ。大丈夫だよ」
「……。洗剤つけすぎんなよ。あと、水きったらカゴの中。皿を重ねるときは変なバランスゲームはしないように。うっかり落として割って良い皿なんて、うちには一枚もありません」
「……。本当に士郎はしっかりものだねえ」
「返事は!?」
「……はい。すみませんでした」
 よし、と意気込んで腰に手を当てると、士郎は踵を返した。
 一方、切嗣はとぼとぼと台所に戻って行く。
「しろーちゃん、お母さんみたいだねえ」
「はい。切嗣とシロウは完全に親子が逆転しています」
 ドライヤーで桜の髪を乾かしながら、アルトリアは淡々と述べる。
 うふふ、とアイリスフィールが口元に手を当てて微笑した。
「士郎君もやっと、切嗣に甘えられるようになったわね」
「あれは甘えている内に入るのですか?」
「全然そうは見えなかったよー」
 アルトリアと桜が口を揃えて反駁する。
 切嗣の後姿を視線で追ったアイリスフィールが、満足そうに双眸を閉ざした。
「あれが、士郎君なりに築きあげた切嗣の愛し方なのよ」
「愛、ですか」
 アルトリアが半眼で唸る。
「一方通行な感じがいたたまれない気もしますが」
「そんなことはないわ。切嗣だってちゃんと士郎君を愛しているわ」
「……で、あれば良いのですが」
 うふふ、とアイリスフィールが微笑を返す。
「最初は本当にぎこちなかったけれど、最近やっと本物の親子みたいになったなーって。……もう、私がいなくても大丈夫なくらい、あのふたりはちゃんと家族になってるわ」
「アイリスフィール……」
 ドライヤーを止めて、アルトリアが絶句する。
 アイリスフィールはわずかに俯いた。
「だから、私、本当に安心しているの。……もう、思い残すことはないくらいに」
 アイリスフィールの言葉に、アルトリアも桜も神妙に黙りこむ。
 アイリスフィールは慌てて苦笑した。
「あら、やだ。ごめんなさいね。こんなしんみりするつもりじゃなったんだけど――」
 アインツベルンのホムンクルスであるアイリスフィールの体は、精々もって数年である。どれだけ〝長持ち〟したとしても、士郎の成人まで稼動を続けるのは不可能であろう。
 それがわかっているからこそ、アルトリアも桜も言葉を続けられずにいた。
 そんな――。
 重々しい空気をぶち壊すように、台所にいた切嗣が居間にかけこんだ。
「アイリ、僕は――ッ」
 ずさぁっと畳をスライディングした切嗣が、アイリスフィールの両手を握る。
「僕は君が元気でさえいてくれるなら――他には何もいらないんだ――ッ!」
「ありがとう、切嗣……でも、私……」
「良いんだ。わかっている――それ以上は言わなくて良い」
 ひしっとアイリスフィールを抱き締める切嗣。
 アルトリアは桜の両目を手で覆い、己のマスターのメロドラマ劇場を冷ややかにみつめる。
「子どもの前ですよ、おふたりとも」
「あ、私のことは気にせずー。続けて続けて」
 目隠しをされたまま、桜が呑気に手を挙げる。
「……」
「もう、切嗣ったら」
 渋々体を離した切嗣が、とぼとぼと台所に帰っていく。
 アルトリアは両手を下ろすとふうとため息を吐いた。
「まったく。切嗣は日本男児の風上にもおけません。ところ構わず女性をハグするなど……」
「切嗣は昔から情熱的なのよ」
「少しラテンの血が入ってるのではないかと本気で疑った時期もありました」
 あらあら、とアイリスフィールが微笑む。
 むん、と腰に手を当てたアルトリアが桜に向き直った。
「桜。あんな男に引っかかってはいけませんよ」
「? でも、ドラマみたいで面白かったよ」
「貴女はドラマの見すぎなのです。現実と虚構は違うのだと、早い内から知っておくにこしたことはない」
 ふえ、と首を傾げる桜。
「そーなの?」
「はい。ハッピーエンドで大団円を迎えられることなど、現実では少ないものです。ピンチになって助けてくれるのは、ヒーローではなく、日頃の己の努力なのです。魔術師として現実に立ち向かって行くならば、まずは正しく現実を認識する術を身に付けなくては」
 ますます首を傾げる桜。
「――何を言ってるんだ、僕のサーヴァントは。現実は虚構で凌駕しうる。ピンチになったら呼ばなくてもヒーローは来るし、絶対に最後には皆幸せになれるんだ。魔法使いが言うんだから間違いはない」
 皿を拭きながら、切嗣が居間に顔を出した。
「テロリストは引っ込んでいてください」
「恐怖政治の暴君こそ黙っていてくれないか」
 にこにこしたアイリスフィールを挟んで、切嗣とアルトリアが睨みあう。
 そこに。
 バスタオルを持った士郎が現れて、切嗣の膝の裏を思い切り蹴った。
「――ッ!?」
 声にならない悲鳴をあげて、切嗣の体が沈む。
「こら、師父。駄目だろ、アルトリアと喧嘩したら」
「しっ、ししし士郎!? もうお風呂入ってきたのかい?」
「アルトリアの部屋に桜の布団を運んでおいた。風呂はこれから。――皿を落とさなかったのはさすがだな」
「ハハ……奇襲には慣れてるからね」
 アルトリアがぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます、シロウ。いつも気を遣わせてしまって、すみません」
「いいって。アルトリアこそ、ずっと桜の相手――あれ?」
「……あら」
 士郎が目を丸くし。
 アイリスフィールがくすくすと笑う。
 アルトリアがそっと桜の顔をのぞきこむと。
 衛宮家の小さなお客様は、座ったまますやすやと寝息を立てていた。


9.

 桜のお泊り二日目。
 メープルシロップのたっぷりかかったホットケーキという洋風な朝食を囲んだ後。
 すっかりお手伝いモードになった桜を伴って士郎は台所へ、体調の優れないアイリスフィールはアルトリアの肩を借りて自室へ戻り、残された切嗣は新聞を広げていた。
 そんなのどかな空気を破るように――。
 チャイムが鳴った。
 続いて響いたのは、おじゃましまーすという元気な声。
「きっりつっぐさあああぁぁあん! たっだいまぁぁあああぁあ!」
 居間の戸をすぱんと開けて現れたのは、女子高生剣客、藤村大河。
「おや、おかえりなさい、大河」
「ただいま、リーアちゃん!」
 ちょうど居間に戻って来たアルトリアに向かって、大河が敬礼する。
 台所から士郎がひょっこりと顔を出した。
「ここはおまえん家じゃないぞ、藤ねえ」
 切嗣は新聞をたたみ、笑顔で大河を見上げる。
「おかえり大河ちゃん。今回の修行はどうだった?」
「いやー、もぉ大変だったんだから! あ、コレ、おみやげ」
 士郎の言葉は完全に無視して、大河は切嗣の隣に座ると、さつまいもが大量に入ったレジ袋をテーブルの上に置いた。
「……イモ掘りでもしてきたのか、藤ねえ?」
 もー士郎ったら、と大河は腕を組む。
「修行だって言ってるじゃない! ……あるときは滝に打たれ、またあるときは熊と戦い、たまにおいもを掘ったりして剣の道に励んでいるのよ私は!?」
 うんうん、と士郎が肯く。
「イモ掘りをしてきたんだな、藤ねえ。よくわかったよ」
「ひっどーい! 士郎はどうしてそういうイジワルなこと言うのよぅ! 何とか言ってよ、切嗣さん!」
「士郎も男の子だからね、好きな子相手には照れてしまうんだよ」
「師父はちょっと黙ろうか」
「あ!」
 台所からおずおずと顔を出した桜を、大河は目ざとく見つけた。
「切嗣さんがまた新しい子拾って来てる!」
「いや、大河ちゃん、彼女は――」
 たたたっと大河に走り寄った桜は、ぺたんと畳に座ると深々と頭を下げた。
「はじめまして、こんにちは、まとうさくらです。シュミはよぉかいです。お友だちになってくれるとうれしいです」
「はじめまして、サクラちゃん。藤村大河です。趣味は切嗣さん家に入り浸ること、特技は剣道です。私もサクラちゃんとお友だちになれて嬉しいよぉ!」
 大河はきゅっと桜の手を握ると、ぶんぶん上下に振った。
 桜はへにゃーっとしまりのない笑みを浮かべる。
 どうやら通ずるものがあったらしい。
「……ひとみしりの桜をてなずけるとは……おそるべし、野生の勘……」
「士郎ぉ? 誰が密林の狩人ですってぇええ?」
 士郎はそそくさとアルトリアの後ろに隠れる。
 切嗣はのほほんと湯飲みをすすった。
「士郎にも勝てないものがあるんだねえ」
「藤ねえはそもそも人間じゃな」
「しぃろぉおおおぉおお? 隠れてないで出てきなさいよぉおお? 昨日の修行の成果を士郎で試してみるのも悪くないかなって思ったのよねえ今」
「……そうですね。手合わせする前に、実力のほどを確認するのも悪くない。シロウならば存分にその役目を果たしてくれることでしょう」
 アルトリアがにやりと背後に視線を遣る。
 己の敗北を悟った士郎は、脱兎のごとく台所に撤退した。
「――あ。あれ? しろーちゃんがいない」
 漸く忘我の境地から目覚めた桜が、きょろきょろとあたりを見回す。
「三十六計何とやらですね」
「まったく士郎ってば肝心なときに役に立たないんだからー」
 切嗣はふむ、と顎に手を当てると。
「桜ちゃん、焼き芋は好きかな?」
 んー、と桜が首を傾げる。
「おいもさん好きだよ」
「じゃあ決まり」
「何がですか?」
「どうしたの、切嗣さん?」
 切嗣はフフフと笑みを深める。
「大河ちゃんが持って来てくれた芋で、焼き芋パーティをしよう」
 桜と大河が、がばっと身を乗り出す。
「ケリィおじさん! それとっても楽しそう!」
「パーティ!? まぜてまぜて!」
「もちろんだよ。大河ちゃんはおいもを持ってきてくれた功労者だからね。……これで、士郎に言われてた庭掃除という難題も片付くってものさ」
「切嗣。本音が漏れてますよ」
 アルトリアが鋭く突っ込むが、焼き芋パーティという単語に踊らされている桜と大河には聞こえなかったらしい。
「君も当然手伝うだろう?」
「焼き芋のためならば助力は惜しみません」
 切嗣の計略勝ちである。
 庭に出た一行はまず落ち葉や枯れ枝を掃き集めるところから始めた。衛宮邸は本格的な武家屋敷で、屋敷もさることながら、庭も相当広い。ひとりで掃除したら途中で心が折れる自信が切嗣にはあった。
 桜と大河とアルトリアを動員した庭掃除は、休憩を挟みつつ二時間ほど行われた。気を利かせた士郎が出してくれたお茶とお茶請けをつまみながらも、焼き芋パーティ開催のため、四人は黙々と庭を掃除した。
 それから。
 昼食も兼ねた焼き芋パーティが敢行された。
 切嗣が慣れた手つきで焚き火を始めるのを、桜が興味深そうにのぞきこむ。
「桜ちゃんは、こういうの見るの初めてかい?」
 うん、と桜が大きく肯く。
「ケリィおじさんは、いろんな技を持ってるんだねー」
「ハハハ、僕はずっと外国にいたからね。こういうのは慣れてるんだよ」
「ほーんと、切嗣さんって、家事は全ッ然駄目なのにこういうことばっか得意なのよねえ。なんていうの。サバイバル系?」
「電気も水道もないところで生活してたら、いやでも覚えるって」
 ふうん、と大河が半眼になる。
「ずぅぅっと不思議に思ってるんだけど、切嗣さんってナニモノ? 国際的サバイバルの権威か何か?」
 いやー、と切嗣が照れ笑いを浮かべる。
「大河ちゃんは中々鋭いねえ。国際的、まではあってるけど、僕は国際的テ――」
「――おぉっと箒が突然自意識に目覚めた」
 切嗣の側頭部を箒の柄でこぉんと殴打すると、アルトリアはふうと息を吐いた。
「大丈夫でしたか、大河。私も驚きました。箒がまるで意志を持ったかのように動き出したのですから」
「私は大丈夫だけど、切嗣さんは駄目みたい」
 あっけらかんと大河が答える。
「そうですか。大河が大丈夫なら何も問題ありません」
「おーい、ケリィおじさーん? 生きてるー?」
「……」
 地に伏して痙攣していた切嗣だったが、暫くすると何事もなかったかのように起き上がり、再び焚き火をかき回し始めた。
「んん? 『国際的て』ってなぁに?」
 肝心の内容を思い出した大河が、むううと腕を組む。
「国際的天才ハッカー集団のメンバーです」
「そうなの? この前は、国際的手品愛好会会員って聞いたけど」
「それもあります」
 無意味な会話が繰り広げられる中、桜は切嗣の隣にしゃがみこみ国際的天才ハッカー集団のメンバー(仮)を横目で見遣る。
「ケリィおじさんって、本当はスゴいひとだったんだねー」
「ハハ……なんだかそうらしいね……」
 そこはかとなく哀愁を漂わせながら、切嗣はアルミホイルに包んだ芋を焚き火の奥に投入する。
「――お。やってるやってる」
 縁側から庭に降りてきた士郎が、切嗣の隣に歩み寄った。
「まだ焼き始めたばかりだよ。あと三、四十分はみないとね」
「そうだな。……ところで、師父。まだ落ち葉って残ってる?」
「ああ、あるね。もう一回焼き芋ができるくらいには」
「じゃ、大丈夫そうだな」
「? どういうこと?」
 ふふん、と士郎が腰に手を当てる。
「イモだけじゃあ、栄養が偏るだろ。野菜とか練り物とか、串に刺してあぶって食べたらどうかなって」
 それまで他愛ないお喋りに興じていたアルトリアと大河が、食べ物の話題にぴくりと耳をそばだてる。
「マシュマロも火であぶると、とろっとしてうまいらしい」
「シロウ。早速マシュマロを買いに行きましょう。ただ焼くだけの食材選びならば、私に一日の長がある」
「生肉は駄目だぞ。ちゃんと焼けるかどうかわからんからな」
 アルトリアがしゅんとする。
「あ、いいなー! 私もついて行こーっと。というかギョニソが食べたい」
「ギョニソ?」
「変な略し方するなよ、藤ねえ」
 魚肉ソーセージのことだよ、と士郎はアルトリアに説明する。
「桜も来るか? 好きなもの買っていいぞ」
「ん? んー……」
 切嗣の隣にしゃがみこんでいる桜は暫し考え込んだ。
「しろーちゃんたちにおまかせ! 私、好き嫌いないし。何でもたくさん食べないと大きくなれないもん」
「偉いです、桜。たくさん食べて大きくなるのですよ」
「じゃあじゃあ、桜ちゃんに食べて欲しいもの、私たちでいっぱい買ってくるよー!」
「それじゃあ俺たちは行って来るけど、師父、火の番と留守番頼むな」
「ああ。いってらっしゃい」
 士郎とアルトリアと大河がいってきますと唱和して、門から出て行った。
「……」
「……」
 桜と切嗣はしゃがみこんだまま、無言で焚き火を眺める。
 先に沈黙を破ったのは、桜だった。
「ケリィおじさん」
「何だい、桜ちゃん?」
「ケリィおじさんはさ、どうして正義の味方になったの?」
 ――僕はね、正義の味方なんだよ。
 桜がまだ『遠坂桜』だった頃。
 初めて会った切嗣は、至極真面目な顔をしてそんなことをのたまった。
 あはは、と切嗣は苦笑する。
「桜ちゃんは難しい質問をするね」
「私、びっくりしたもん。テレビ以外で正義の味方を見るなんて、初めてだったもん」
 そうだね、と切嗣は明後日の方を向いて。
 遠い記憶に思いを馳せた。
「勿論、僕の父が正義の味方だったっていうのもあるけど――」
 楽しいことばかりではなかった。
 むしろ、辛いことの方が多かったかもしれない。
 それでも。
 父と共に世界を回った記憶は、切嗣にとってかけがえのないものである。
「――僕にしか、できないことだと思ったから、かな」
 切嗣はふふっと照れたような笑みを浮かべ、桜に顔を向けた。
「僕が桜ちゃんよりもうちょっと大きい頃にね、僕と僕のお父さんは南の島に住んでいたんだ」
「へえー! 海? あろは!」
 桜が目を輝かせる。
「あはは。ハワイじゃないんだけどね。もっとずーっとちっちゃくて、ほとんどのひとが名前も知らないような島だよ」
 ふうん、と桜が首を傾げる。
「とても綺麗な海に囲まれていて、自然も豊かで、村のひとたちも親切で、とても――良いところだった」
 切嗣は。
 そこで言葉を止めた。
 桜は焚き火に視線を戻し、言葉の続きを待った。
「……大好きだった女の子がいたんだ」
 切嗣はぽつりぽつりと言葉をつむぐ。
「でも、彼女は悪いヤツの手先だった」
 その横顔には何の変化も見受けられなかったが。
 それでも桜は、どこか寂しそうな顔だなと思った。
「僕のお父さんはそれを知っていて――いや、むしろ、その尻尾をつかむために、その島に潜入したんだね。僕は何も知らずにその女の子と仲良くなったけれど、そこまで計算しての行動だったのかもしれない。女の子と、彼女を裏で操っているヤツの正体はすぐに割れて、僕のお父さんはそいつらを倒したんだよ」
「……ケリィおじさんは、何もしなかったの?」
「僕かい? 僕はね――見ているだけだった。魔術は、元々そんなに得意ではないし、武術も修行中だったからね。僕だって、子どもの頃から何でもできたわけじゃないんだよ」
 ふうん、と桜が曖昧に肯く。
 切嗣は苦笑して肩をすくめた。
「まあ、何もしなかったというのも正確ではないか。僕は止めたかったんだね。女の子が悪いことをする前に、どうにか、思い直させることができないかって――僕のお父さんに相談したし、僕自身が女の子を説得しようとしたこともある。でも」
 駄目だった、と切嗣はぽつりと呟いた。
「僕が彼女と知り合った時点で、もう手遅れだったんだよ。彼女はとても優しいひとだったけれど、悪いヤツに心酔していた。そいつを神様のように思っていたし、そいつの言うことなら何でも聞いた。例えば、誰かを殺せと言われれば本当に殺してしまうくらいに」
 桜が不満顔で口を尖らせる。
「駄目だよ、そんなの。言われたからって殺しちゃうなんて、絶対駄目だよ」
「そうだね。その通りだ。僕は何とかして彼女をこっち側に引っぱりこみたかった。でも――僕は、何もできない、愚かな子どもだったから」
 かつての自分を思い出したのか。
 切嗣は一瞬だけ、その表情に苦渋をにじませた。
「シャーレイは死んでしまったんだ。……そいつの後を追って。そいつのいない世界で生きている意味などないと書き残して。……僕らが見つけたときには、もう手遅れだった」
 死んじゃったの、と桜が呟く。
 死んじゃったんだよ、と切嗣が繰り返す。
「助けられなかったの……?」
「そう……僕の力では、どうしようもないことだった。死んだ人間は生き返らない。反魂の術はごく一部のものにしか使えないんだ。勿論、僕はそんな術の存在自体を知らなかったし、僕のお父さんもそれを使うことはできなかった」
 切嗣は言葉を止め、長いため息を吐いた。
「大切なひとが死ぬのは、それが初めてだったんだ。僕は何日も泣き続けた。彼女が死んでしまったことは、そのくらい、悲しいことだった」
 気遣うような桜の視線に、切嗣は笑みを返す。
「今思い出しても、泣くことはないけどね。子どもの頃の僕は結構泣き虫だったんだよ。泣いてもあまり怒られなかったせいかもしれないけど。――で、ね。島を出ても、ずっと泣き続けてるもんだから、さすがに僕のお父さんもまずいなと思ったんじゃないかな」
 桜は無言で先を促す。
「僕のお父さんは、僕に言ってくれたんだ。誰も泣かない世界を創るのが、正義の味方の役目だ。だから、もうこんな思いをしたくないなら、おまえ自身が正義の味方になりなさい。そして、おまえのような思いをして泣いているひとを助けてあげなさい――って」
 おそらく、何度も胸中で繰り返したであろう言葉を。
 切嗣は、かみしめるように口にした。
「僕はそれから泣くのを止めた。こんな辛い思いをしているひとが他にもいるなら、そんなひとを放ってはおけないと思った。だから――正義の味方になろうと思ったんだよ」
 少しむつかしかったかな、と言って切嗣は桜に顔を向けた。
 桜はぼんやりしたような、それでいて全てを理解したような不思議な表情で、切嗣の黒瞳と視線を合わせた。
「ケリィおじさん、言ったよね。絶対に最後には皆幸せになれる――って」
「ああ。言ったよ。正義の味方は嘘を吐かない」
 桜は不意に切嗣から視線を逸らした。
「じゃあ――もし、ケリィおじさんの大切なひとが悪いひとになっちゃって、そのひとのせいで皆が泣いていたら、ケリィおじさんはどうするの?」
 切嗣は無表情に焚き火を眺めていたが。
 すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
「大切なひとが悪いひとにならないようにするよ」
「でも、できないかもしれないよ。ケリィおじさんの言うことなんて、聞いてくれないかもしれない」
 そうだね、と切嗣は肯き。
 すっと視線を上げて、彼方を鋭く見据えた。
「僕にできないことなんてたくさんある。正義の味方ってのは万能じゃないんだ。でも……僕にできなくても、誰かにはできるかもしれない。逆に、誰かにはできなくても、僕にならできるかもしれない。そうやって、正義の味方同士が補い合えば、助けられるひとは絶対に増えるはずだ。だから、僕にできなくても、誰かがきっとやってくれる。僕は、それを信じている」
 桜は。
 先刻までの表情が嘘のように、えへへと無邪気な笑みを浮かべた。
「ケリィおじさんの秘密、たくさん聞いちゃったー」
「そうそう。これは僕と桜ちゃんだけの秘密ね。士郎やアルトリアに喋っちゃ駄目だよ」
 切嗣は口元に人差し指をあて、片目をすらりと閉じる。
「うん! 私、口はかたいよ!」
「フフ、頼もしいね」
 切嗣と桜が顔を見合わせて微笑むと。
 門が開く音がして、買い物組が帰って来た。


10.

 夕方になって大河が家に帰り、桜も渋々帰宅の準備を始めた頃。

「ごめんくださーい」

 衛宮邸に響いたのは、雁夜の呑気な声。
 誰よりも早く反応した桜が玄関にダッシュして、そのまま雁夜に飛びついた。
「お――桜か。ただいま」
「……っ」
 ぎゅっと雁夜に抱きついたまま、桜は離れようとしない。
「……おかえりなさい」
「うん。ただいま」
 むりやり引っぺがすのも気が引けて、雁夜は桜をくっつけたまま玄関で家主の出迎えを待った。
 程なくして。
 切嗣が姿を現した。
「おかえり、雁夜君。仕事は無事に終わったようだね」
「はい、おかげさまで。今回は本当に助かりました」
「良いんだよ、このくらい。お安い御用さ」
「あ、ところで切嗣さん――」
 雁夜はジーパンのポケットに手を突っ込み。
 取り出したクラッカーを切嗣の目の前で思い切り引っ張った。

「――ハッピーバースデイ!」

 ぱん、と軽い音が響き、色とりどりの紙テープが切嗣の頭にかかる。
「……」
「……」
「……」
「……ええと。今日、切嗣さんの誕生日ですよね? もしかして俺、間違ってました?」
 呆然とした表情の切嗣は。
 ふるふると首を左右に振った。
「そうですよね。士郎君が間違った情報流すわけないですもんね」
「……? 士郎、が……?」
 いまだ状況を把握しきれずにいる切嗣が、ぽかんと口を開けたまま首を傾げる。
「そうなんですよ。桜のお泊りの件で電話したとき、最初に電話とってくれたの士郎君だったじゃないですか。そのとき話があったんですよ。今日切嗣さんの誕生日だから、サプライズパーティするんですって。実は、俺と桜も招待されてまして」
 すっと雁夜が指差した先に。
 廊下の奥でちょいちょいと手招きするアルトリアの姿があった。
「……?」
 切嗣は怪訝な表情で雁夜に向き直る。
「えー……と。なんで?」
「なんでって。誕生日だからですよ」
「……?」
「え。ちょっと待ってください。誕生日パーティっていう概念はありますよね? いくら帰国子女だって、そういうのわからないとかじゃないですよね。誕生日のお祝いって比較的万国共通なイベントだと思ってたんですけど。あ、でも、クリスマスの方がメジャーなのかな?」
 紙テープをかぶったまま、切嗣がすっと右手を挙げて雁夜を制した。
「それは勿論わかるし、僕だって二十歳過ぎても父に祝ってもらってたクチだから、誕生日パーティには慣れているけれども」
 ふむ、と切嗣は顎に手を当てる。
「士郎や雁夜君に祝われるなんて夢にも思っていなくてね……というか、この年で誕生日を祝ってもらうというのも、どうもしっくりこなくて……」
「そうですか? 切嗣さん、親御さんの誕生日にプレゼントあげたりしなかったんですか?」
「ヤ、それは勿論したけれども」
「だったらそんな驚くこともないでしょうに。士郎君にとって切嗣さんは父親なんですから。親が子を祝うのも、子が親を祝うのも、自然なことじゃないですか」
「……そうか。士郎はそんなことを考えて……」
 ぶつぶつ呟きながら考え込む切嗣。
 マスターのはっきりしない態度に、アルトリアはとうとうキレた。
「雁夜。どうでもいいから、そいつを黙らせて早く連れて来なさい」
「そいつって……一応主賓なんだけど……」
「祝いの言葉に感謝のひとつも返せぬような輩は、そいつで充分です」
 雁夜は無言で切嗣の向きを百八十度回転させた。
「……。あれ、アルトリア? まだいたの?」
「まだいますが」
 アルトリアはつかつかと切嗣に歩み寄ると、有無を言わせずマスターの腕をつかんだ。
「まったく……貴方というひとは、どうしてそう察しが悪いのですか」
「君にだけは言われたくないなあ」
「――ッ!」
「アルトリアさん。それ主賓です、主賓」
「……今日が誕生日で命拾いをしましたね、切嗣」
 ぐっと怒りを抑えたアルトリアが、引きつった笑みを浮かべつつ切嗣を居間へと連行する。
 雁夜は半ベソで引っついたままの桜の背をぽんぽんと叩いた。
「ほら、桜。だっこしてやるから機嫌直せ」
「……ん」
 当然と言わんばかりに肯いた桜は、かがんだ雁夜の首に腕を回して抱きあげてもらった。
「ぅ、お……重くなったなー、桜」
「なっ!? 女の子に重いって言った! かりやちゃんのバカ! デリカシーゼロ!」
「はいはい、ごめんなー」
 適当に靴を脱いだ雁夜はぷんすか暴れる桜を抱きかかえて居間へ向かう。衛宮邸には何度か訪れているので、大体の間取りは把握している。
「こんばんはー」
 忙しく立ち回っている士郎が、居間の入口に突っ立っている雁夜に気付いた。
「あ、雁夜さん、こんばんは! 中にどうぞ」
「あら、こんばんは」
 アイリスフィールは、パーティグッズによくある三角帽を夫の頭の上に乗せている最中であった。
「アイリ。これは何だい?」
「あぁ! 取っちゃ駄目よ、切嗣。ちゃんと可愛い角度に調整してあるんだから」
 マスターの姿がツボに入ったのか、アルトリアが肩を震わせて笑いをこらえている。
「待ってくれ、アイリ。こういうのはさ、士郎や桜ちゃんみたいな子どもがかぶるも――」
「だから取っちゃ駄目って言ってるでしょ! これは主役の証なんだから、切嗣がかぶらなきゃ意味がないのっ」
「……くく……よ、よく……っぷ、くくく……にあ、にあって……ぃひひ、い、いますよきりつぐ……っ」
「なんかもー、そこのサーヴァントはお夕飯抜きで良いんじゃないかなあ、士郎?」
「ん? 師父、何か言った?」
「よく似合ってますよ、切嗣さん」
「雁夜君まで……」
 不貞腐れた切嗣が頬杖をついた。
「はい、桜ちゃんと雁夜さんには、これ」
 いつの間にか雁夜と桜の背後に移動していたアイリスフィールが、雁夜にはオレンジのレイを、桜にはピンクのレイを、それぞれかけた。
「うわーっ! アイリちゃん、ありがとう!」
「うふふ。どういたしまして」
「……ハワイみやげですか、これ?」
「いいえ。パーティセットに入っていたものです」
 切嗣を視界からシャットアウトしたアルトリアが、きりりと答えた。
 そうなの、とアイリスフィールがはしゃいだ。
「ふたりはお客様だから特別に、ね?」
 そう言われてはどうしようもない。
 雁夜と桜は並んで座り、テーブル上の豪勢な料理に目をみはった。
「士郎君、これ、全部自分で?」
「そうですよ。ケーキ以外は、ですけど。師父はことあるごとにハンバーグ食いたいと言うので」
 畳に座卓という和風な居間には若干ミスマッチな洋風の食卓であった。とはいえ、ハンバーグの上には大根おろしが乗せられていたり、サラダのドレッシングは醤油ベースだったりと、ところどころ和風テイストなのは士郎の好みであろう。
「士郎は特別な日にしか作ってくれないんだ」
 切嗣が項垂れる。
「え? なんでですか?」
「俺が苦手だからです」
「えーっ、しろーちゃんハンバーグ嫌いなの?」
 桜のリアクションに、士郎はううむと唸った。
「嫌いというか……好きになれないというか……なんかこう、肉こねてます、丸めてます、みたいな感じが駄目なんですよね。料理人としてのセンスを疑います」
 アルトリアがはあ、とため息を吐いた。
「シロウは子どものくせにこのようなことを言うのですよ。食べ物は、シンプルでおいしければ良いのです」
「はいはーい。僕も右に同じ」
 普段は仲が悪いのに、こういうときだけ結託する主従である。
 でも、とアイリスフィールが士郎に向き直る。
「私は、士郎君の作るものなら、何でもおいしいと思うけどなあ」
「俺の味をわかってくれるのは、アイリさんだけです」
 うふふとアイリスフィールが微笑む。
「それじゃあ、結論も出たところで、ロウソク点けませんか?」
 愛想笑いを浮かべつつ、雁夜がケーキの脇にあったロウソクに手を伸ばした。
「切嗣さん、おいくつでしたっけ?」
「三十七ですよ」
 指折り数え始めた切嗣の代わりに、士郎が即答した。
「自分の年くらい覚えててくださいよ……」
「二十歳過ぎた頃から、自分の年齢って忘れるものじゃないかい?」
「永遠の十七歳か何かですか……」
 げんなりしつつも、雁夜は手際よくロウソクをケーキに刺していく。大きい三本は切嗣の正面で、残り七本と合わせて円を描くように立てられた。
「時臣義兄さんがいたら、即、火が点くんですけどね」
 雁夜は苦笑して、マッチを擦る。 「あ、そっか。遠坂さんって、属性が火だっけ」
「? 切嗣も火の属性を持っていたはずでは?」
「あるけど、火そのものは扱ったことないよ。僕は元素系駄目だから」
「あ、俺もです」
 ケーキを挟んで妙な親近感を抱くふたり。
 半分ほど火が点いたところで士郎は席を立ち、居間の電気を消した。
「すごーい。お誕生会だーっ!」
「暗くしないと雰囲気でないからな」
 はしゃぐ桜に、士郎はにやりと応じる。
 最後の一本を点け終わった雁夜は、マッチを振って火を消した。
「さて――これで良し、と。ちなみに、日本式で大丈夫ですよね?」
「日本式?」
 衛宮家の人々が首を傾げる。
「要するに、ハッピーバースデイを歌って、ロウソクを吹き消すって流れですよ」
「それって万国共通じゃないの?」
 そうなんですか、と今度は雁夜が首を傾げた。
「日本式だろうとブリテン式だろうと構いませんが、早くしないとロウソクが溶けきってケーキについてしまいます」
 アルトリアが神妙な面持ちで告げる。
「そッ、そうですね。じゃあ、お手を拝借しまして。せーの」
 雁夜の音頭で、切嗣以外の皆が慣れ親しんだメロディーを歌った。
 拍手と共に。
 切嗣はロウソクを吹き消した。


11.

「「はぁっぴぃぃぃぃ、ばぁぁぁすでぇぇぇぇぇぇいッ!」」

 けたたましい笑い声と共に、切嗣さんの頭に三角帽が乗せられた。
「あッはははははははははははははは! チョー似合う! チョー似合ってるんだけど、切嗣おじさんッ」
「おめでとうございます、切嗣おじさん! 姉と一緒にお買い物してたときに見つけたんですよ、これ。パーティが終わるまでかぶっててくださいねっ」
 ひとしきり笑うと、姉妹は自分たちのテーブルに帰って行った。
 士郎君のバイト先である新都の割烹「月旦」の一階を借り切って、切嗣さんと士郎君の誕生日祝い及び文化祭の打ち上げが行われていた。御三家の全員がそろっているという珍しい状況だ。
 時臣義兄さんたちのテーブルからカウンター席に早々に避難した私は、ひとりハードボイルドに酒盃を傾ける切嗣さんの隣に座り、本日の主賓に酌をしているところだった。
「……なんか、すいません……うちの娘とその姉が……」
 仏頂面の切嗣さんは徐に三角帽に手を伸ばすと、ぺたぺたと触っただけで手を下ろした。
「いや、いいんだよ。主役はこれをかぶる決まりだからね」
「? そうなんですか?」
 切嗣さんはふふっと笑うと、口元に杯を運んだ。
「――はい。刺し盛、サバ抜きー」
 カウンター越しに大皿を置いた士郎君が、私に向かって苦笑した。
「すみません、雁夜さん。師父、サバ食わないんですよ」
「いや、俺のことは気にしないで――というか、士郎君、なんで働いてるの? 一応、祝われる側だよね?」
 本日の主賓その2は軽く肩をすくめた。
「ここに来ると条件反射でバイトモードになっちゃうんですよ。……それに、酔っぱらった遠坂にからまれるの嫌だし」
 フム。後半が本音か。
 ちなみに凛ちゃんはお酒を飲んで酔っているのではなく、雰囲気に酔っているだけなのだ。将来からみ酒になる可能性は大だが……。
「士郎。一合追加ね」
「燗?」
 うん、と切嗣さんが肯くやいなや、士郎君が暖簾の向こうに引っ込んだ。
「なんだか、夢みたいな光景だよね」
 切嗣さんがぽつりと呟いた。
「何がですか?」
 いやさ、と切嗣さんがわずかに後ろを向く。
「誰かの誕生日を祝うために、こうやって皆が集まるなんて……ちょっと前じゃあ、想像もできなかったでしょ?」
 四人がけのテーブル席がふたつ用意されており、一方は遠坂夫妻とそのサーヴァントふたり、もう一方は姉妹とアルトリアとランスロットが着席している。私のサーヴァント以外は実になごやかなムードで歓談していた。
「僕の方が遠坂さんや雁夜君を避けてたっていうのもあるけれども。冬木のひとたちとこんな風に付き合えるなんて思ってもいなかったからさ――良い意味で、予想外だったよ」
「そうですか?」
 切嗣さんは私を避けているつもりだったのか。それこそ予想外だ。
「俺は別に、こんなの特別でも何でもないと思いますけどね。切嗣さんはれっきとした御三家の一員ですし、アインツベルンのマスターじゃないですか。誕生日を祝う準備くらい、いつでもできてますよ」
 それでも、と切嗣さんが双眸を細めた。
「僕が外来の魔術師であるという事実は変わらない。アインツベルンという肩書きは持っていても、僕はあくまで衛宮の当主だからさ。雁夜君や遠坂さんのような冬木の魔術師とは、まったく異質なバックグラウンドだし、魔術師としての考え方もまったく異なるだろう。それに、僕には僕の、仲間と呼べるひとたちがいたから――だから、君たちとこんなに親しく付き合えるなんて、夢にも思っていなかった」
 それが。
 切嗣さんの本音なのだろう。
「魔術師は、身内には甘いですから」
 ふむ、と切嗣さんが唸った。
「御三家は、元々ひとつの聖杯を奪い合っていたっていうのにね……何の怨恨も残さず今に至っていることこそ、奇跡なのかもしれないね」
 それを当たり前として育ってきたものに実感はないが、外から見れば違うということか。
 私だって当時の事情を全て把握しているわけではない。百年以上争った御三家が、それまでのいざこざを帳消しにして、すっかり丸く収めてしまったのをまったく不思議に思わない、と言ったら嘘になる。
 とはいえ。
 私にとっては、友好的な御三家という現実ありき、なのだ。
 生まれたときから御三家は互いに扶け合っていたし、協力して冬木の霊脈を守っていた。それは私にとって動かしがたい事実であったし、否定できない現実であったので、過去の御三家がどれほど凄惨な戦争を繰り広げていたとしても、そちらの方が夢物語同然だった。
「そんなものですかね……」
 私は曖昧に肯いてヒラメの刺し身を口に入れた。
「――あら。サシ飲みなんて羨ましい。私も混ぜて」
「と、遠坂さんの奥さん!?」
「これはなんというか成り行きで……切嗣さんに独り酒させるわけにもいかんでしょ」
 それもそうね、と言って、姉さんは私の隣に座った。
「はい――衛宮さん。さっき渡しそびれてしまって。これ、主人と私からのプレゼントです」
「あ、え、ええと、良いんですか?」
「駄目なんですか?」
「いいえ。ありがとうございます」
 切嗣さんがぎくしゃくとプレゼントの袋を受け取った。
「お気に召すと良いのだけれど」
「何買ったの?」
 私の問いに、姉さんはふふふと微笑む。
「どうぞ、開けてご覧になって」
 言われるままに、切嗣さんはごそごそと袋を開け――。
「う、わぁ……」
 ――珍しくストレートな歓声を上げた。
 袋から出てきたのは、上品なグレンチェックのマフラーだった。
「衛宮さんはお着物もお召しになるから、合わせやすいものが良いかしらと思って」
「も、もしかして、士郎から聞いたんですか? 僕が毎年マフラー買いそびれてるって……」
「? いいえ? この前お見かけしたとき、寒そうにしてらしたから。気持ちは若いつもりでいても、ふとしたときに年って感じるものよ」
 ね、雁夜君、と姉さんは笑顔で私に向き直った。
「そりゃあね。さすがに十代のようには行かないよ」
「――師父。ちゃんとありがとうって言ったか?」
 徳利を切嗣さんの前に置いた士郎君が、しかめっ面で腕を組んだ。
 な、と切嗣さんが情けない声を上げる。
「ちゃんと言ったよ! 僕、そんなに信用ないかな……」
 あらあら、と姉さんが目を丸くした。
「衛宮さんの家も親子逆転してるのね……」
「『も』?」
「何か言った、雁夜君?」
「いや別に何も」
 姉さんの笑顔が怖すぎて、それ以上追究できなかった。
「士郎君には、これ。どうぞ」
「俺までもらっちゃって良いんですか? ありがとうございます」
 莞爾としてプレゼントを受け取る士郎君。
 ちらりと包みの中を窺うと、その笑顔が瞬時に深刻な表情に変わった。
「……。もしかして、袴ですか?」
 そうなの、と姉さんが微笑む。 「うちはほら、女の子しかいないでしょ? 父や祖父のがあるけど、たんすの肥やしになってしまっているの。士郎君は弓のお稽古をしているから、何着あっても困ることはないだろうと思って。藤村先生にサイズを確認してあるから、ぴったりのはずよ」
「いや、でも、こんな高価なもの受け取れないです。何より、お返しする手段が――」
「だったら!」
 姉さんがぽんと手を打って。
 にこにこしたままとんでもないことをのたまった。
「今日からうちの子になりましょう。ね?」
「……」
「……」
「……」
「士郎君が息子になってくれたら、それはとても素敵なことだなって思うの」
 最初に我に返ったのは、切嗣さんだった。
「い、いやいやいや、待ってください。遠坂さんの奥さん。士郎はうちの子ですし、そもそも遠坂さん家には凛ちゃんがいるじゃないですか」
 うんうん、と姉さんは訳知り顔で肯いた。
「それは勿論考慮した上で、婿養子という方向性で」
「士郎はまだ学生ですし、そういう話は本人たちが大人になってから――」
「落ち着いてください、切嗣さん。姉さんのこれは十割方冗談ですから」
「何を言っているのかしら、雁夜君。私は本気よ。半分くらいは」
 士郎君があからさまに安堵のため息を吐いた。
「遠坂のママさんの申し出はありがたいですけど、師父をひとりにしておくのは心配なんです。もっと別のことで埋め合わせさせてください」
 そう言って、礼儀正しく一礼した。
「あっ、いいのよ。下心があってプレゼントしているわけではないもの。これからも凛や桜と仲良くしてくれれば、それでいいの」
「はい、それは勿論」
 士郎君と姉さんが所帯じみたお喋りを始めたのを機に、私は空になった切嗣さんの杯に酒を注いだ。
「……引く手あまたなのは嬉しいけど、親としては複雑な気分だね……」
「心中お察しします」
 私にもいずれそういう場面が訪れるのかなあ……ううむ。来て欲しいような欲しくないような。
 いっそ士郎君が桜を嫁に、
 ――否。
 それでは士郎君があまりに不憫だ。もっとちゃんとしたお嫁さんをもらって幸せになる権利が士郎君にはあるはずだ。
「雁夜君ってわりと顔に出るタイプだよね」
「あァ……そうですね。自覚はないんですけど、よく言われます」
 主に桜に。
 ふふっと笑みを浮かべると、切嗣さんはタバコをくわえて火を点けた。
「ギャンブル苦手でしょ」
「負けることがほぼ確定してるのでやりません」
「うん。それが賢明だ」
 学生の時分に相当カモられたので、もう懲りた。
「切嗣さんは得意そうですよね」
「僕は人並みかな。うちの可愛い騎士王さんには負けるし」
「呼びましたか、切嗣!?」
「呼んでないから」
 背後に向いてひらひらと手を振った切嗣さんが、ふうと紫煙を吐き出した。
「そういや、切嗣さん」
「ん?」
 私は切嗣さんの首に提げられている携帯灰皿を指差す。
「それ、かれこれ十年近く使ってもらってますよね。新しいのに替えないんですか?」
 切嗣さんの携帯灰皿は、九年前、衛宮邸で切嗣さんの誕生日のサプライズパーティをした際に贈ったものだ。
「ずっと使ってるから愛着が湧いちゃってね」
 それに、と言って、切嗣さんが笑った。
「これが、冬木に来て初めてもらった誕生日プレゼントだからさ。僕にとっては、大切な思い出なんだ。捨てられるわけないよ」
「……え……」
 切嗣さんがさらりと恥ずかしいことを言ったのも束の間。
 タイミングを計ったように、記念写真の撮影をしようという声があがった。
「かりやちゃん、ハイ、これ」
 三脚付きのデジカメを、桜が笑顔でこちらに押し付けてきた。
「え。俺が撮るの?」
「頼んだよ、元カメラ小僧」
「……まあ、いいけどさ……」
 カウンターの前にわらわらと御三家全員が集まる。
 おお……こうして見ると圧巻だな。
 タイマーをセットして、と。
「義兄さん、もうちょっと凛ちゃんの方寄って下さい。主役組、笑顔が足りないですよー! 切嗣さんも士郎君も、もっと笑って!」
 あ、士郎君が凛ちゃんに頬っぺた引っ張られてる。可哀想に。
「アルトリアさん、そのままランさんを捕まえといてくださいね。ギルガメッシュとエンキドゥ、義兄さんにイタズラするのは良いけど、後で姉さんに怒られるよ。――ん、よし!」
 タイマーをオンにして、慌てて後列に加わった。
「皆さんちゃんとレンズ見ててくださいね!」
 程なくして。
 カシャっとシャッター音が響き。
 無事に集合写真が撮れたようだった。
 まっさきに自分のデジカメに走り寄った桜が、撮れた写真を見て歓声をあげた。
「見て見て、かりやちゃん! ベストショットーっ!」
 桜が誇らしげにかかげるデジカメの画面には。
 そのはしゃぎようが決して誇張ではない、まぎれもなく〝ベストショット〟と言うべき一枚が写っていた。

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