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龍王陛下に𠮟られるから

『とりかへばや!』

凛→→→→→間桐家

「雁夜くーん? 来たわよー」

 間桐家の玄関で靴を脱ぎながら、凛は叔父を呼んだ。
 程なくして現れたのは凛にとっても馴染み深い黒甲冑。
「こんにちは、ランスロット。雁夜くんは?」
『よくぞ参られた、凛殿。雁夜殿はいまだ書斎にこもられている故――』
「あ、そう」
 ランスロットが出したスリッパを突っかけ、我が家のごとく廊下を進む凛。もっとも間桐家は凛の母、葵の生家であるから、我が家の次に勝手をよく知る家である。幼い頃からよく遊びに来ているし、凛にとってはセカンドハウスのようなものだ。
 なにより、ここには妹である桜がいる。
 住む家も名字も変わろうと、姉妹であることには変わりないのである。
「雁夜くーん。入るわよー」
 がんがんと無遠慮に書斎のドアをノックし、返答を待たずに開けた。金ぴか主従の情操教育のせいかどうかは定かでないが、凛の基本スタイルは傍若無人である。それが葵の悩みの種のひとつであったりする。
「雁夜くん?」
 書斎とは名ばかりの、物置のような小部屋である。
 床には足の踏み場もないくらい分厚い書籍が積まれており、ソファベッドの上にもプリントした書類が散乱している。部屋の窓際にある机にはデスクトップ型のパソコンが設えられており、モニターが点灯していた。
 仕事中であることは明らかである。
 だというのに――。
 雁夜はキーボードに突っ伏したままぴくりとも動かない。
「……」
 凛は徐に雁夜に近付き、肩のあたりをつついた。
「……」
 反応はない。
「……」
 凛は暫し腕を組んで考えこんだ後。
 にたぁりと悪い笑みを浮かべて、雁夜の耳元に口を寄せた。

「……起きないと遅刻しちゃうよ、雁夜お父さん?」

 ぴくり、と雁夜が身じろぎしたかと思うと。
 がばっと跳ね起きた雁夜はそのまま椅子から転げ落ち、かたわらに積んであった古書の山を崩しながらごろごろと壁際まで転がった。
 凛はひとしきりにやにやしながらそれを眺めると。
「大丈夫、雁夜くん?」
「……。わりと大丈夫じゃないし、なんかものっそいイタいんだけど……」
「打ち所が悪かったんじゃない?」
「笑顔で言うセリフじゃないよね、それ。あとイタいのは物理的というより凛ちゃんの発言」
 凛はにやりと口の端を歪める。
「雁夜お父さん?」
「ぐほぉ!?」
 胸を押さえてうずくまる雁夜に、凛はますます笑みを深める。
「今日はおうちに呼んでくれてありがとう! 雁夜お父さん!」
「げはぁ!!」
「私、とっても嬉しいよ! 雁夜お父さん!」
「ぐぁぁぁぁぁ……」
 今度こそ悶絶した雁夜に、凛は口を尖らせる。
「ちょっと、もう。しっかりしなさいよ。一児の父のくせに」
「それとこれとは全くもって別問題……」
「というか、いつまで桜に『かりやちゃん』って呼ばせるのよ。衛宮くんのことだって学校ではちゃんと『衛宮先輩』って呼んでるわよ、あの娘。私のことだって『遠坂先輩』って呼ぶもの」
 雁夜は凛に乾いた笑みを返す。
「桜はほら、オンオフの切り替え徹底してるから。家の中と外とではまるで別人だろ」
 そぉかしら、と凛は首を傾げる。
「桜はどこまで行っても桜だと思うけど」
「……女の子って怖いよなー……」
「へ? 雁夜くん何か言った?」
「いや、ちょっと本音が漏れただけ。気にしないで」
 ふうんと気のない返事をすると、凛は点けっぱなしのモニターをのぞきこんだ。
「締め切りは?」
 凛が振り返ると、雁夜はすかさず視線を逸らした。
「……ええと。今日」
 はあー、と凛は大仰にため息を吐くと。
 晴れやかな笑みを浮かべた。
「この貸し、高くつくわよ。雁夜くん?」
「……あのー、せめて、利息制限法に抵触しない程度でお願いします……」
 それについては答えず、凛は再びモニターに顔を近づけた。
「まったくもう。いたいけな高校生に本業を手伝ってもらうなんて魔術師失格よ、雁夜くん?」
「これは副業。本業は主夫。それと、俺がドイツ語苦手なの凛ちゃんもよく知ってるだろ」
「知ってる。雁夜くんが翻訳の仕事してるの奇跡だと思う」
 ハハハと壊れた笑みを返す雁夜。
「ですよねー。……クソっ、あいつら、面倒臭い仕事ほとんど俺に回しやがって……俺は未来から来た猫型ロボットじゃねーんだぞ……」
 毒づきにも覇気がない。
 凛はやれやれと肩をすくめた。
「雁夜くんたら本当にお人好しなんだから。ま、とにかくちゃっちゃと終わらせちゃいましょう。いつも通り、私が訳して注を入れておくから、雁夜くんはそれを打ち込んでって」
 てきぱきと指示する凛のおかげで漸く頭の回り始めた雁夜が、のろのろと古書の山から体を起こした。


   *


 凛のヘルプのおかげで、どうにかこうにか仕事は片付いた。
「ランちゃん、お茶ー」
『申し訳ござらん、凛殿。あいにく茶葉を切らしておりまして……』
「じゃあカフェオレ。温かいの」
『畏まって候!』
 グロッキーながらも慣れた手つきでチャーハンを作る雁夜の横を通り過ぎ、ランスロットは冷蔵庫から牛乳を取り出す。
 家主とそのサーヴァントを働かせ、リビングのソファで寛ぐ凛はまさに女王様といった体である。
 実際、雁夜は昔からこの姪には頭が上がらない。桜ならば一歩引いて雁夜を立ててくれるところを、凛は決して引かない――というか、そういう発想すらないのだろうと思う。誰に対しても、この大物の姪はそういう態度で接するのだから。
 将来が楽しみだねと葵になにげなく言ったら、深刻なため息を返されたのは記憶に新しい。
『お待たせいたした、凛殿。お口に合えば良いのですが』
「ありがとう。うちのもランちゃんぐらい甲斐甲斐しいと良いんだけど」
『? エンキドゥ殿は立派な方だと思いますが』
「あ、ううん。金ぴかの方よ」
『ガメッシュ殿は王ですからね』
 カフェオレを一口すすり、凛は満足げに眼を細める。
「でもほら、リーアちゃ――アルトリアはちゃんとしてるじゃない?」
『……』
 ランスロットは真剣に考え込んでしまった。
 凛は慌ててぱたぱたと手を振る。
「あー、その、ギルと比べてってことよ? ……比べる対象があれじゃあ大体ほとんどのひとがちゃんとしてることになるかもだけど」
『……いえ』
 ランスロットが片手で凛を制した。
『凛殿。あるいはガメッシュ殿より我が王の方がDQNという可能性も……』
「は? はあ……」
「凛ちゃん、凛ちゃん。ランさんにとって、円卓時代のことは地雷だから。あんまり突っ込まないであげて」
 キッチンから会話に参加する雁夜。
「えー? パワハラでもされてたの?」
 ランスロットがびくりと肩を震わせる。
 雁夜が呆れ顔で口を挟んだ。
「パワハラは今でもしょっちゅうでしょ」
「そうなの? 勤め人って大変ねー」
 凛がランスロットの肩にぽんと手を置いた。
『……うぅ……もう働きたくないでござる……』
「でもランちゃんって引きオタニートなんでしょ? 実際働いてないじゃない」
 ランスロット に 1000 の ダメージ !
 こうか は ばつぐんだ !
「凛ちゃん。ランさんだって一応カレイドルビーの見回りはしてるんだけど」
「あれはサーヴァントとしての義務でしょ。してなかったらむしろ大問題」
「……。ご飯できたよ、凛ちゃん」
「やったー! 叔父貴のチャーハンうまうまー」
 膝を抱えてめそめそするランスロットには目もくれず、凛は小躍りしてダイニングテーブルに着いた。
「いただきまーす!」
「はい、どうぞ。……うちのチャーハンは姉さんのとレシピ一緒のはずなんだけどね」
 間桐家に来るたび、凛は雁夜の作るチャーハンを所望した。今では凛が「チャーハン食べたい」と言う前に雁夜が作って出すという流れができあがっている。
「んー……なんていうか、こういうの、親父メシって感じで良いじゃない?」
 レンゲを回しながら、凛がにやにやする。
「はあ……」
「ずぅっと昔、たまたま休みの日ママもエンキドゥもいなかったときに、パパに何か作ってって頼んだことがあるの」
「はあ」
 頭の回らない雁夜は機械的に相槌を打つ。
「そうしたらね」
「うん」
 凛はレンゲを置き、テーブルに両肘をついて口元で指を組んだ。
「そう……それはパパにご飯を頼んでから一時間ほど経って。私も桜も空腹に耐えかね、ギルガメッシュのおやつを横取りして一息ついていた頃のことよ。キッチンでものすごい爆発音がした後、晴れやかな顔をしたパパがリビングにやって来たの」
 凛がごくりと唾を飲みこむ。
「未知の物体プルプルピコプヨの乗った皿を持って、『凛ちゃん、桜ちゃーん。ご飯だよー』と、お父様はおっしゃった」
 雁夜は黙って遠坂凛小劇場を見守る。
 凛はくわっと目を見開くと。

「――ン・な・も・ん、食えるかアアアアアァァあああぁあああッ!!」

 卓袱台だったらまず間違いなくひっくり返していただろう。
 凛はぜえぜえと肩で息をすると、何事もなかったようにチャーハンを食べ始めた。
「それがあってからというもの、私も桜も二度とパパにご飯を作ってなんて言わなくなったわ。どんな人体実験をされるかわかったもんじゃないもの」
「あー……まあ、時臣には無理だろうな。あいつ生活能力皆無だから」
「でしょ!?」
 凛はぴしっとレンゲで雁夜を指す。
「というわけで私、親父メシに飢えているのよ」
「はあ。……は?」
 もっもっとレンゲを口に運びながら、凛は器用に喋る。
「チャーハンって日曜のお父さんが作る料理っぽいじゃない。そういうのに無縁でしょ、うちのパパ。だからまあ、雁夜くんのチャーハンで妥協しておこうと思って」
「はあ。俺のなんかで良ければ、いつでも作るけど」
 雁夜は凛の向かいに座り、マグカップのコーヒーをすする。
 凛はちらりと雁夜を見遣った。
「……良いわよねえ、桜は。毎日雁夜くんのご飯が食べられて」
「ん? だから、俺の料理は姉さんとレシピ一緒――」
「そういう問題じゃないのっ」
 雁夜があからさまに面倒臭そうな顔をすると、凛は不貞腐れた。
「女の子にとっては違うのよっ!」
「……。めんどくせ」
「雁夜くん、疲れると本音がダダ漏れね」
 叔父を呆れ顔で見返すと。
 凛ははたとレンゲを止めた。
「そういえば、桜は? どっか遊びに行ったの?」
「あァ、桜なら――」


桜→→→→→衛宮家

「――今日はよろしくお願いします、アイリちゃん」

 衛宮家の仏壇の前で桜は恭しく合掌する。
「いつもありがとうね、桜ちゃん」
 部屋に入ってきた着流し姿の切嗣に振り返り、桜は笑みを返す。
「こちらこそです、切嗣おじさん! この部屋でアイリちゃんにご挨拶するの、私にとっては楽しみなんですよ」
「そうかい? アイリもきっと喜んでいるよ」
 位牌のない仏壇をちらりと眺め、切嗣は苦笑した。
 ホムンクルスであるアイリスフィールの“死”は、当然ながら普通の人間の死とは異なる。火葬するわけでもないし墓に入れるわけでもない。
 それは例えるなら、磨耗して動かなくなった機械。
 本来動くはずのないものを何年も動かしていれば、ガタが来るのは当然のこと。ホムンクルスは限りなく普通の人間に近い擬似生命体だが、人工物という枷からは逃れられない。
 どれだけ丁寧にメンテナンスしたとしても、アイリスフィールの“耐用年数”はせいぜい十年――アイリスフィールの創り手たる錬金術師から、切嗣はそう言われていた。
 だから、覚悟はしていたのだ。死なない人間がいないように、いつかアイリスフィールもただのモノに戻ってしまうのだと――。
 それでも。
 アイリスフィールは、想定されていた“耐用年数”以上に“長生き”した。
 ――モノだと割り切ることなんて、できるはずがない。
 愛情を注いだだけアイリスフィールは長生きしたのだと、切嗣は信じている。
 アイリスフィールが“死”んだ日、切嗣は身内だけのお通夜をしたし、藤村翁の勧めで密葬もした。仏壇もそのとき買ったものだ。衛宮は本来陰陽道系だから宗旨違いもいいところだが、こういう日本風なものをアイリスフィールは好んだ。純和風建築の家に洋風の祭壇を置くよりははるかにマシだろう。
 ところで、桜が首を傾げた。
「今更遺品整理なんですか? もうとっくに済ましていると思ってましたけど」
「中々そういう気分になれなくてね。それに、ほら。うちは男所帯だし。女性のものは勝手が良くわからなくて」
 アルトリアが男扱いなのは今に始まったことではないので、桜はあえてスルーした。
 切嗣は部屋の隅にある年代モノのタンスの前にかがんで、一番下の引き出しを開けた。
「このタンスの中身は、全部アイリのものだよ」
 桜はとてとてと切嗣の隣に歩み寄る。
「お着物ですか?」
 切嗣は真剣な面持ちでタンスからたとう紙を取り出し、畳の上に置いた。
「そうだよ」
「たくさんあるんですねー」
 切嗣は次々とたとう紙を出していく。
「アイリは何を着ても似合うからね。ねだられれば嫌とは言えないさ」
「のろけですね、切嗣おじさん」
 早速たとう紙から着物を取り出した桜が、あ、と声を上げる。
「この柄見覚えがあります。地は黒かと思ってたんですけど、ちょっと紫っぽいんですね」
 裾と肩に桜を散らした訪問着である。
「ああ、それね」
 切嗣が思わず破顔する。
「それ、アイリが一番気に入ってたやつだよ。桜の季節は大体それを着てたっけなあ」
「これ良いですよねー。私も好きです!」
「袖を通してみるかい?」
 ひゃっと桜が変な声を上げた。
「い、いいいんですか!? そのっ、私なんかがっ!」
「もちろん。着物は着るひとがあってなんぼのものだよ」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」
 桜はおずおずと立ち上がり、ぎこちない手つきで訪問着を羽織る。切嗣は正座したまま桜の悪戦苦闘をしばらく眺め。
「……桜ちゃん、着物は初めてだっけ?」
「きゃあーすみませんーっ! わ、私どこか破っちゃったりしてませんかっ!?」
 桜の慌てっぷりに切嗣はハハハと笑う。
「あー大丈夫大丈夫。――どれ、ちょっと手伝ってあげよう」
「……面目ないです」
 どっこいせ、と言って立ち上がった切嗣が、慣れた手つきで衿を正す。
「さすがです、切嗣おじさん」
「こういうのは慣れの問題だね」
「むう……。母にもよく言われますが、できる気がしません」
「そんなことはないさ。桜ちゃんだってすぐに着られるようになるよ。まずは浴衣とかから始めると良いんじゃない?」
 切嗣と桜のなごやかな会話をぶち壊すように。
 しゅたん、と襖が開いた。
「切嗣! 玄関に桜の履物、が――」
 現れたのは腹ペコ王。
 もとい、アルトリア。
「……」
 その碧眼が驚愕に見開かれる。
 ――着付けの最中というのは着せる方と着せられる方が存外密着するものである。
 桜を背後から抱き締めるような格好の切嗣を見た瞬間、アルトリアの中で彼女にとって最も妥当な結論が導き出された。
 次の瞬間。
 畳を蹴って跳びあがった騎士王が、切嗣に見事なライダーキックを決めた。
 桜が唖然とする中。
 庭まで吹き飛ばされた切嗣に向かって、縁側に仁王立ちになったアルトリアが見得を切る。
「衛宮切嗣ッ! 今ようやく貴様を外道と理解した。年端も行かぬ娘を手篭めにしようなどと――天が許しても、この騎士王の目は逃れられぬぞ! 潔く腹を切れィ!」
「……」
「……」
 切嗣は徐に立ち上がり、裾の埃を払って縁側にあがる。
「……リーアちゃん、それ完全に冤罪だよ」
「桜。このような外道の肩を持つ必要など皆無。ですがご安心ください。切嗣に脅迫された貴女が真実を話せないことは重々承知してい――むぎゅ」
 切嗣は片手でアルトリアの顔の下半分を鷲づかみにし、そのままむぎゅむぎゅと頬を押しつぶした。
「桜ちゃん。僕はちょっと着替えてくるよ。しばらくこのサーヴァントを見張っておいてもらえるかな? またいつ襲ってくるとも限らないからね」
 心底冷え冷えとした視線で己のサーヴァントを見下ろした後、切嗣はさっさときびすを返して行ってしまった。


   *


「申し訳ありませんでした、切嗣」
「……」
「全て私が悪かったです。認めます」
「……」
「ですからどうか機嫌を直してください。この通りです」
「……」
 アイリスフィールの遺品整理はひとまず中断し、縁側でどら焼きをつまみながらお茶をすする桜と切嗣。
 ――と畳に額を擦りつけるようにしてマスターに詫びるアルトリア。
「外道と言ったことも謝ります。切腹しろと言ったことも謝ります。貴方もよくご存知のように、私は頭に血が昇ると全く駄目になっていまいますから……」
「……」
「ええと」
「……」
「切嗣? まだ怒っているのですか?」
「……」
 切嗣は徐に桜に向き直り。
「桜ちゃん。良かったら、アイリの浴衣を何着かもらっていってくれないかい?」
「お、お、おおのれ切嗣ゥ!? この私にここまで頭を下げさせても、まだ貴方は納得しないと言うのかッ? どこまで狭量なのですか貴方というひとはッ!?」
「着古したものばかりだけど、練習にはちょうど良いと思う。ゆくゆくは、アイリの着物ももらって欲しいんだ」
「切嗣おじさん」
「ん? 何かな?」
「その状態でよく喋れますね」
 アルトリアに腕ひしぎ十字固をきめられながらも、切嗣は余裕の表情である。
「ハハハハ。何のことかな? 僕のまわりだけ空気が重いみたいだなあ」
「ぐ、ぬ、ぬ、ぬ……!」
 夫婦喧嘩に巻き込まれるのも嫌なので、桜はマイペースにどら焼きを頬張る。
「でも、切嗣おじさん。お着物のことなら母を呼んだ方が早いんじゃないでしょうか? 私じゃ、その、素人ですし」
 あーいや、と切嗣は言葉を濁した。
「……えーと、僕、遠坂さんの奥さんがちょっと苦手」
 桜は小首を傾げる。
「そのー……気分を悪くしたならごめん。桜ちゃんのお母さんだってことはわかってるんだけどね。これは僕の個人的な感想であって」
「あ、大丈夫ですよ。好き嫌いとか得意不得意ってどうしようもないことじゃないですか。なにごとにも相性ってあると思うんです。母と姉もしょっちゅう衝突してますし」
 切嗣とアルトリアが、同時におやと目をみはる。
「凛ちゃんがねえ……」
「意外です」
「あはは……ふたりとも頑固で我が強いので駄目なんですね。母はおくゆかしい大和撫子にみせかけて絶対自分の意見を通すひとですし、姉はジェットコースターみたいな性格でひとの言うことなんてちっとも聞いてませんから」
 それはおいといて、と桜は呑気にほうじ茶をすする。
「切嗣おじさんの場合、うちの父の方が苦手かなあと思って」
「あァ。遠坂さん?」
「時臣を苦手とする者などいるものですか」
 切嗣の拘束を解いて正座したアルトリアがきりりと答える。
 後頭部を掻きつつ切嗣は座り直した。
「遠坂さんはねえ……」
「何か異論があるのですか、切嗣?」
 ううむと一つ唸って。
「なんというか……よくわかんない」
「は?」
 アルトリアが胡乱な視線を向け。
 桜はぽんと手を打った。
「それ、すごくよくわかります!」
「そうかい? 桜ちゃんにそう言ってもらえるとなんだか照れるなあ」
「桜。桜はそれで良いのですか?」
「うん。だってよくわからないひとじゃない? うちの父って。きっとね、妖精の遺伝子でも入ってると思うの」
「妖精かあ……フフ。そうかもしれない」
 桜と切嗣が顔を見合わせて微笑するかたわら。
 アルトリアが難しい顔で腕を組んだ。


士郎→→→→→遠坂家

「――っくしゅ」

 あらやだ、とリビングに顔を出した葵が眉をひそめる。
「あなた、風邪ですか?」
「ん? いやいや、大丈夫だよ、葵さん。きっと誰かが噂をしているのさ」
「そうですか? あなたも凛も季節の変わり目はいつも体調を崩すのですもの。気を付けてくださいね」
 言うだけ言うと、葵はさっさとキッチンに引っ込んだ。
 遠坂家の台所では珍しい人物がてきぱきと動いていた。
「――ママさん。こっちの鍋の火はもう止めます。蓋して後は余熱で」
「あら、そうなの……弱火で煮るんじゃないのね」
「あんまり煮すぎると味が濃くなりますし、肉も硬くなりますよ。それと、ガス代の節約」
「ふふ。主夫の知恵ね!」
 葵の軽口にも、士郎は生真面目に肯き返す。
「はい。光熱費馬鹿になりませんから。師父もアルトリアも平気で電気つけっぱなしにするので、俺が消して回ってるんですよ」
 あらまあ、と葵は目を丸くする。
「士郎君たら、本当にお母さんみたいね」
「そうなんです、ウチには手のかかる息子と娘が――って何やらすんですか」
 ノリツッコミをかましつつも、士郎はてきぱきと箸を動かす。
「あー……ママさん、山椒あります?」
「ええと、ごめんなさいね、花椒しかないのだけど」
 葵が差し出した小瓶を受け取り、掌に取った粉末をぺろりと舐める士郎。
「んー……あァ、これで大丈夫ですよ。ちょっと変わった香りになりますけど、これでも充分味が引き締まると思います」
 はて、と士郎は思わず首を傾げた。
「……山椒、ないんですか?」
 鰻の蒲焼きとか食べないんだろうか、と勝手な想像をふくらませていると。
 葵はメモに何か書きつけながら、にこにこと答えた。
「うちの人たちは香辛料の好き嫌いが激しくてね。時臣はワサビ駄目だし、凛はお酢嫌いだし、ギルガメッシュに至ってはあまりに食べられないものが多くて面倒臭いから覚えるの諦めちゃった」
「はあ」
 でもね、と葵はにこにこと続ける。
「中華にすれば皆文句言わずに食べるのよ。色んな味が混ざり合って誤魔化されるみたい。だから、甜麺醤とかオイスターソースとかのお世話になりっぱなしなの」
「はあ」
 ええと、と士郎は逆の方向に首を傾げる。
「じゃあ、あの……今日俺が教えるの、和食のレシピで良かったんですか? 素材の味をそのまま活かすって結構致命的じゃ」
「士郎君のレシピには全幅の信頼を置いているから」
「うっ……期待に応えられるよう誠心誠意努力します……」
「大丈夫よ。だって士郎君は未来の巨匠ですもの」
 葵の太鼓判に士郎が照れつつ鍋の様子を確認していると。
 キッチンに無遠慮な声が響いた。
「アオイサーン! 小腹が空いたのだが――ん?」
 ギルガメッシュははたと動きを止める。
「新しい料理番か、アオイサン?」
「そうだったら良いわよねー。ねえ、士郎君。ウチに永久就職する?」
「……ええと」
 返答に窮した士郎を置き去りにして、ギルガメッシュと葵の会話が続く。
「ほう。一生飼い殺すか……ククク。中々愉快な思いつきだな、アオイサン」
「飼い殺すなんて人聞きの悪い。三食付いて週休二日、待遇は応相談。ちなみに年俸契約ね」
「フムン。時臣相手の折衝ならばちょろいが、アオイサン相手では骨が折れるな」
「士郎君が賃上げストなんて無粋な真似するはずないでしょう?」
「そこまで追い詰めたら切腹でもしそうだがな」
「しないし、ひとを指差すな」
 ギルガメッシュの人差し指を退けて、士郎はむっとする。
 それについては全く気にした様子もなく、ギルガメッシュは首を伸ばして鍋をのぞきこんだ。
「これは何だ、アオイサン?」
「士郎君が作ってくれた肉じゃがよ。味見してみますか?」
「つまんで良いのか? 後から怒られるのはイヤだぞ」
「うふふ。今日は特別に許します。はい、あーん」
「あー」
 ギルガメッシュの開いた口に、葵がじゃがいもを押し込む。
 うむうむと肯きながら咀嚼するギルガメッシュを、士郎は呆れ顔でながめた。
「――む。じゃがいも」
「それはそうよね。じゃがいも以外の味がしたら問題よね」
 うふふと葵が微笑む。
「……ええと」
 突っ込むべきかどうか士郎が真剣に悩んでいるうちに、葵は肉をギルガメッシュの口に放り込む。
「――む」
「どう? お味は」
「薄い」
 きっぱりと告げたギルガメッシュの頬を。
 葵が思いきりつねった。
「ギルガメッシュ。そういうのは上品な味と言うの」
「……ひゃい」
 頬をつねられたまま、ギルガメッシュが項垂れる。
「ごめんなさいね、士郎君。気分を悪くしたなら謝るわ。お味噌汁も作れないくせに味についての文句だけは一丁前なのよ、このひと」
「あー……あはは。いや、俺は別に気にしてませんし。王様ってそういうものじゃないかと」
 はあー、と重いため息をついて、葵は漸く手を離した。
「……うぅ……我はアオイサンの洋食のが好きだな」
 頬を擦りながらギルガメッシュが呟く。
「あなたは良いかもしれませんけど、これ以上時臣がメタボになったら困るわ」
「? パパさんは全然メタボじゃないと思いますけど」
 士郎が首を傾げる。
 葵はやれやれと頭を振った。
「若い頃はもっと痩せていたのよ……。ほら、あのひとハーフだから。手足が長くて顔も小さいから、太っているように見えないのよね。一昨年作ったスーツが今年入らなくなっているの」
 フン、とギルガメッシュが鼻を鳴らす。
「座ってずっと菓子をつまんでいれば太るに決まっとろうが」
「昔は活発な子だったのにねー。ほら、あなたに肩車されて町内練り歩いていたじゃない?」
「何年前の話だ? あやつが我を避けて引きこもるようになってから、かれこれ三、四十年になるが」
「仕方ないわよ。時臣は遠坂の当主になるために頑張って修練していたんですもの」
「はッ。なればこそ、まずは我の相手を務めるが道理であろう」
「あの」
 葵もギルガメッシュも、士郎に振り向いた。
「ギルガメッシュって、そんな前から現界してるんですか?」
 葵がそうよと肯き。
 ギルガメッシュが無駄に威張る。
「我こそ冬木最古参のサーヴァントよ。なにせ我は、時臣が生まれる前からこの家に起居しているのだからな」
「へえ……すごいな」
「そうだ。すごいのだ。だからもっと誉めよ」
 増長するギルガメッシュの口ににんじんを突っ込み、葵がにっこりと微笑む。
「そういうのは好き嫌いを減らしてから言ってくださいね」
「……。アオイサーン……にんじんはイヤだ……」
「好き嫌いしないの。あなたがそうやってワガママすると凛が真似するんですから」
 仕方なくにんじんを咀嚼しながら、ギルガメッシュは眉間に皺を寄せる。
「それは我のせいではないぞッ。時臣だって好き嫌い多いではないか。遠坂の血故ではないのか」
「桜は好き嫌いしません」
「むう……」
 ギルガメッシュが閉口する。
 そういえば、と葵が士郎に向き直る。
「士郎君って食べ物の好き嫌いはあるの? 凛や桜からは、あまり聞いたことがないけど」
「そうですねー……」
 士郎は暫く視線を宙に泳がせると。
「特に、これといって……あ」
 葵とギルガメッシュが無言で先を促す。
 士郎は照れ笑いを浮かべた。
「粉モノ全般は好きです」
 葵がぽんと手を打つ。
「そうなの。士郎君のことだから、鱧の湯引きとか鯖の味噌煮とかがくるかと思ったのに」
「和食はもちろん全般好きなんですけどね」
 士郎は。
 不意に視線を落とした。
「父が――あ、切嗣のことじゃないですよ。俺の実の父が、お好み焼きとかたこ焼きとかよく作ってくれたんです。母が病弱なひとでしたから。手伝いって言えるほどのことはできなかったですけど、父と一緒に台所に立つのはすごく楽しかったんです。だから、その――なんとなく、思い入れが強いんですね」
 士郎が視線を戻すと。
 葵が柔らかく微笑んでいた。
「士郎君の料理の原点には、お父様との思い出があるのね」
「そう――かもしれませんね」
「それって、とても素敵なことだわ」
「そうでしょうか」
 そうよ、と肯いて。
 葵は士郎の手を両手で包んだ。
「それはとても大切なことだから、きっと忘れないでいてね」
 士郎は。
 真っ赤な顔で何度も肯き返した。


   *


「魔術、かい?」
 時臣の真正面に座っている士郎が、難しい顔でこくりと肯く。
 ええと、と時臣が言いよどんだ。
「その、衛宮さ……士郎君はお父さんに魔術を習っているのだろう? だったら私の教えられることなんてないと思うけどなあ」
「師父は、まあ……」
 今度は士郎が言いよどむ。
「……教えてくれないわけじゃないですけど……元々独学というか自己流というか、師についたことのないひとなので、質問をしても要領を得ないんです」
「あァ、そういうことか。まあ、衛宮さんは魔術師らしくないものね」
「はい。そうなんです。その点、パパさんはちゃんとしてますから」
「そうかなあ。私も特定の師についたことはないし、衛宮さんのような実践派には実践派としての良さがあると思うんだけど」
「師父は駄目です。駄目人間です」
 士郎はきっぱりと言い放つ。
 そうかなあ、と時臣が首を傾げる。
「――教えてさしあげれば良いではありませんか」
 ティーポット片手にリビングにやってきたのは、葵のサーヴァント、エンキドゥである。
 慣れた手つきで空になった二つのティーカップに紅茶を注ぐ。
「え? うーん……まあ、僕は良いんだけどさあ……良いのかなあと思って」
「何がですか?」
「だって、衛宮さんの主張と矛盾することを士郎君に教えちゃって、その後それが衛宮さんに知れちゃったりしたら何となく気まずいじゃない?」
「時臣は妙なことに気を遣うのですね」
「え~。僕、これ以上衛宮さんに嫌われたくないもん」
「切嗣は時臣を嫌っているのですか?」
 エンキドゥは士郎に向き直る。
「え? いや……嫌ってはないと思うけど」
「いやいや絶対嫌われてるよ。だって、雁夜君に対するときと僕に対するときの態度が違うもん。衛宮さんって」
 時臣は拗ね始めると長い。
「あー……」
 士郎は思わずエンキドゥに助け舟を求めたが、あえなく視線を逸らされた。
「あのー、パパさん」
「だってさー、せっかく御三家で親睦深めようと夕食に招待したって来やしないんだ。そのくせ雁夜君とは新都で飲んで――何?」
「ええと。その。すみません、うちの師父が」
 時臣はきょとんとして。
 慌てて手を振った。
「士郎君は何も悪くないよ? これは僕ら親世代の問題だから」
 時臣はふっと笑みを零す。
「士郎君は、凛ちゃんや桜ちゃんと仲良くしてくれるから、とてもありがたいよ」
「あ――いえ。遠坂や桜には、俺が世話になりっぱなしと言うか」
「そうかい?」
 エンキドゥはティーポットをテーブルの上に置き、時臣の隣に座った。
「それは真実とは程遠いですね、士郎。むしろあなたは凛と桜に迷惑をかけられる方だ」
「いや、そんなことは――」
「あー、やっぱり? 本当にごめんね、うちの娘たちが」
「はあ。こちらこそ」
 士郎は条件反射的に頭を下げ。
 ふと、顔を上げた。
「パパさん、キャラ違くないですか?」
「え?」
「士郎。これが時臣の素ですよ」
 エンキドゥの指摘に、士郎はぽかんと口を開ける。
「つねに、よゆうをもって、ゆうがたれ?」
「それは外見というか、魔術師としての心構えですね。それと、社長業をしているときはもっぱらナイスミドルですからご安心を」
「あァ、そうなのか。安心した。――パパさんも『僕』って言うんですね」
 時臣は微笑を浮かべたまま首を傾げる。
「え? 私は『私』だよ?」
「いや、今絶対『僕』って言ってましたよ」
「言ってないよ?」
「……」
「士郎。時臣は腐っても凛と桜の父なのですよ。彼女らといくぶんか遺伝子を共有しているということをお忘れなきよう」
「……。あァ。善処する」
「? 何のことかな?」
 時臣のことは放っておいて、士郎はエンキドゥの方に身を乗り出す。
「……俺、わりとママさんの遺伝子の影響かなって思ってた。あの姉妹の強引ぐマイウェイっぷりは……」
 エンキドゥも応じて士郎に顔を寄せる。
「……葵は引き際を心得ていますから、実害は少ないのですよ。傍若無人というかあまり他を顧みない傾向は間違いなく時臣に原因があります……」
「そっか。肝に銘じておく」
「はい。それが良いかと」
 士郎とエンキドゥが深刻そうに肯きあうと。

「――ただいまー」

 凛が帰って来た。
 時臣は慌しく立ち上がると玄関に向かう。
「おかえり、凛ちゃん」
「パパ、ただいまー」
 士郎とエンキドゥが玄関に顔を出すと。
 ちょうど時臣が凛をハグしている最中であった。
「あ。衛宮くんだ」
「遠坂」
 士郎はやや引き気味である。
「おまえ、ファザコンなのか?」
「はあ……?」
「凛ちゃん。ただいまのチューは?」
「チューは駄目って言ってるじゃない」
「え~」
「え~じゃないの」
 父娘のやり取りに士郎はドン引きである。
 エンキドゥはこっそり士郎に耳打ちした。
「士郎。ここは時臣に『親バカか』と突っ込むところですよ」
「……ヤだよ。というか、親バカってレベルじゃねーぞ」
 むしろバカップルである。
 士郎はむっつりと腕を組んだ。
「遠坂。おまえ、どこ行ってたんだ?」
「えー?」
 時臣に抱きつかれたまま凛が器用に靴を脱ぐ。
「叔父貴ンとこよ」
「雁夜さん?」
 そ、と凛が肯く。
「何しに?」
 士郎の問いに。
 凛がやれやれと頭を振る。

「それがねー……」

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