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龍王陛下に𠮟られるから

『天譴の鎖、至上の楔』

~これまでのあらすじ~

アインツベルンの森で契約した凛とセイバー。
辛くもバーサーカーを撃破し、イリヤスフィールと共に衛宮邸に戻って来た。
平穏な時間も束の間。
キャスターの襲撃に戦慄する衛宮邸。
凛は士郎にイリヤスフィールを預け、セイバーと共にキャスターと相対する。
そこに――。
居てはならないはずの、八人目のサーヴァントが現れた。

――久しいなセイバー。覚えているか、我が下した決定を。

黄金のサーヴァントは一方的に意味不明な言葉を吐き、姿を消した。
教会に連絡は通じず。
謎は深まるばかりだった。
――座して待つのは性に合わない。
セイバーと凛は連れ立って、新都へと向かった。


Fateルート「遭遇/最古の王」から分岐



「……あーあ」
 公園の自転車止めに腰を下ろし、凛はため息を吐いた。
「凛」
 暗い川面に視線を馳せながら、セイバーはマスターの名を呼ぶ。
「そう気を落とさず。なにも、今日中に絶対なんらかの手がかりを掴まねばならない、というわけではない」
 そうは言うけど、と凛は半眼になる。
「後手になればなるほど不利ってものじゃない? セイバーは、前回、あのサーヴァントに負けたんでしょう?」
 剣のサーヴァントはむっとして凛に振り向く。
「それは――結果論です。私があの者に遅れを取ったのは、戦略上の話。前回はマスターと折り合いが悪く、私は最初から最後まで全力を出し切れなかった。……偶然にしては、悪意ある再会もありましたし」
 かつて朋友と呼んだ騎士の狂った姿を思い出し、セイバーは語尾に苦渋を滲ませた。
 凛は思案気に腕を組み。
 サーヴァントをちらりと眺めた。
「別にセイバーを疑っているつもりはないけど――戦った場合、勝算はあるのね?」
 セイバーは。
 無論です、と即答した。
「凛、貴女は優秀な魔術師だ。ステータスで一目瞭然でしょう。いえ、それ以上に、私は確信しているのです。パスを通じて貴女から流れてくる、魔力の量、そして、質――切嗣とは比べものにならない。今の齢でこれほどなのですから、実に末恐ろしい」
「……そ? お世辞でも嬉しいわ」
「事実です。素直に受け取ってください」
 鉄面皮のセイバーに、凛は苦笑を返す。
 ――たしかに、セイバーは最優のサーヴァントだ。
 自らの手では召喚できなかったものの、凛は結果的に望んでやまなかったサーヴァントを得た。セイバーさえ手に入れれば、聖杯戦争は勝ったも同然である、と確信していた。
 昨日までは。
「凛?」
 セイバーの声に、凛はなんでもないの、と応えた。
 ――不安だ、なんて。
 言えるわけがない。
 凛はいまだに払拭できずにいるのだ。
 あのサーヴァントを見た瞬間に抱いた、嫌な予感を。
「ま――考えこんだって仕方ない」
 凛は勢いをつけて自転車止めから立ち上がると。
 セイバーに振り返ってにかっと笑った。
「明日改めて教会に行ってみるわ。綺礼に尋ねれば、何かわかるかも――」
 セイバーは。
 凛を見てなどいなかった。
 湖面を思わせる静謐な翠緑の先――。

「――待たせたな、セイバー」

“死”そのものが。
 川沿いの歩道の上に佇んでいた。
「約束通り、こうして迎えに来てやったぞ」
 傲慢にして尊大。
 豪奢にして冷酷。
 およそ人間らしくない響きで。
 実に人間らしい欲望を口にする。
「我にここまでさせるとは……まったく、おまえも戯けた女だ。だが、まあ、許すぞ。我は、我の物には寛大だからな」
 ――隙だらけだ。
 敵を察知した瞬間、ぴりっとした緊張感に包まれたセイバーと。
 己の言葉に酔いながら、何がそんなに愉しいのか、くつくつと肩を震わせる“アーチャー”とを見比べて。
 凛は愕然とする。
 あんなに隙だらけの敵を前にして。
 セイバーは一歩も踏み出せずにいる。
「おいおい、どうした、セイバー? 昨日の今日で我と再会した歓喜に、言葉も出んというのは仕方ないとしても、だ。いつまでも黙っていては無礼であろう。咎めはせぬから、おまえの素直な気持ちを申してみるが良い」
「――無礼は貴様だ、アーチャー」
 地を這うような怒声。
「ん……?」
 騎士王の憤怒もそよ風のごとく受け流す。
“アーチャー”はにやけた顔のまま。
 己が“妃”を睥睨する。
「何度も言わせるな。貴様の軍門に下る気など、毛頭ない」
「……ほう?」
 紛うことなき敵意であろうと、向けられる感情全て心地良いと言わんばかりに目を細めた。
 彼の者は。
 同じ地平の上に佇んでいて、尚。
 遥かな高みから、凛やセイバーを含めた万物を俯瞰する。
「実に――理解に苦しむ。我の決定が不服か、騎士王?」
「無論だ」
 即答だった。
「貴様は、私が最も嫌悪する類の男です。顔を見るのも腹立たしい。今こうして、会話しているだけで吐き気がします」
 セイバーの気持ちはわからなくもないが――。
 慈悲も容赦もなく顔面に繰り出された右ストレートがごとき痛罵に、凛は思わず頭を抱える。紳士的に見えて口が悪いのはイギリス人だからなのか。
 火に油を注いでどうするのか。今、ここで。
「……」
 黄金のサーヴァントに動きはない。
 ――杞憂だったか。
 凛は、いまだに。
 この得体の知れぬサーヴァントを見極めきれずにいる。
 魔術師という因果な商売の家柄に生まれてしまったせいか、凛の人物鑑定眼は必要以上に培われている。若年ながら十二分に当主を張り通していられるのも、魔術の才が飛び抜けているだけでなく、政治的感覚が優れているためである。
 誰を信頼するべきか、何を切り捨てるべきか、どうすれば人と物を動かせるか――凛はよく心得ている。
 もっとも。
 思考の全てを実行するには心の贅肉が邪魔をするし、なにより、ここ一番でドジを踏むという遠坂の遺伝子からは逃れられない。
 だからこそ。
 今は、もっと慎重になるべきだ。
「……ククク」
 凛には全く理解不能であるが、黄金のサーヴァントは益々気を良くしたらしかった。
「そうか……成る程、そうきたか……。セイバー」
 セイバーの右ストレートは。
“アーチャー”にとってはむしろご褒美だったらしい。
「さすがは我の見こんだ女よ。生温い愛の囁きよりは、余程、我の心を捕らえて放さぬ。だがな――そこまで必死になって我の気を引かずとも良い。我が寵愛が、おまえ以外に注がれることなどないのだから」
「全力で辞退します」
「なに、遠慮することはない。我は等しく与え、等しく奪う。――王たる地位に束縛されることはない。ただ失ってゆくだけの生に何の意味がある? そんな運命は狗にでも食わせておけ。我は、おまえに、我の傍らで咲けと命じたのだ。他ならぬ我がだぞ? この世界に、これほど誉れ高きことはあるまい。あァ――無論、大輪になるまで大いに愛でてやろう。おまえは我のためだけに咲くが良い。誰にも摘み取らせはせぬ」
「――ッ」
 その瞬間。
 セイバーの、あまり頑丈ではない堪忍袋の緒が切れたのは想像に難くない。
「それ以上」
 白銀の鎧をまとい。
 不可視の聖剣を携え。
「私を愚弄するのなら――斬り捨てる」
 騎士王は潔く宣戦布告した。
 ――止めなければ。
 このままでは。
 このまま戦えば。
 良くない結果が待っているという予感がある――。
「――っ、セイ」
「セイバー」
 ただならぬ決意を秘めて発したはずの凛の声は、しかし、呆気なくかき消された。
「いいぞ、それでこそ我が妃だ。黙って首を垂れるだけの臣下など、こちらから願い下げだ。やはり、我の傍らには、おまえのごとき女が相応しい」
 凶悪な笑顔を張りつかせたまま、男は一歩も動かない。
 セイバーも、また。
 その場に踏み止まり、剣の柄を握り直す。
「凛」
「な――に?」
 サーヴァントの意図はすぐに察せられた。
 騎士王の両手には。
 黄金の刀身をさらす聖剣。
 鞘たる役目を負う風王結界は、主の意思で解き放たれていた。
「宝具使用の許可を」
 凛は。
 思わず絶句する。
 ――ここで?
 ――この敵に対して?
 マスターの躊躇にセイバーは苛立ちを募らせる。
「出力は抑えます。ここならば、民に危害を加えることはないでしょうし、勝敗は一瞬で決します」
「よかろう」
 承諾の声はあらぬところから上がった。
“アーチャー”は。
 一瞬で、昨夜の黄金の鎧姿になると。
「では、力ずくだ」
 その掌に鍵のようなものを握り締めた。
 それこそ――。
 世界の全てを手中に収めた、最古の王の宝物庫を開ける鍵。
 セイバーも、凛も。
 黄金のサーヴァントの挙動をただ眺めていることしか出来ない。

「出番だ。起きるがいい、エア」

 最愛の者に対するモーニングコールのように、その響きは柔らかく甘い。
 持ち主の呼び声に応え。
 虚空から一振りの剣が姿を現す。
「……それ、は」
 剣、と言って良いのかどうか――。
 戸惑いをあらわにするセイバーを一瞥し、“アーチャー”は笑みを閃かせる。
「名はない。我はエアと呼んでいる」
「貴様の――宝具は、ひとつではないということですか」
 昨夜キャスターを串刺しにした大量の剣戟が敵の主武装だと思っていたセイバーは、初めて見る武器を前にして己を奮い立たせる。
「聞きしに勝る聖剣の相手をするのだ、こちらもそれ相応の物を出さねば礼を失するというもの」
 ――そう。
 この剣を携えて。
 幾千の兵馬を屠り。
 戦場を駆け抜け、敵将を破り、常勝という名の伝説を築いた。
 未知の武装など恐るるに足らず。
「貴様はこの場で倒す」
「その意気やよし」
 持ち主に呼応して、歪な形の剣が唸りを上げる。
「刃向かう事を許すぞ、セイバー。おまえの全てを見せてみよ」
 刃を交えてすらいないのに、二騎のサーヴァントを中心にして膨大な魔力が渦を巻く。
 なんて――。
 出鱈目なのだ。
 為す術もなく、凛は立ち尽くす。
 バーサーカーとの戦いも、たしかに、苛烈なものだった。巌のごときサーヴァントを滅するのに、セイバーも凛もあらん限りの魔力を尽くして戦った。
 だが。
 バーサーカーは、所詮、堅牢な城壁に過ぎない。どれだけ頑健に造られていようと、風雨にさらされれば脆くも崩れ去る。
 今、凛の目の前にあるのは――。
 二個の嵐であった。
 これは、まさに。
 純粋な力と力のぶつかり合い。
 セイバーは誇らしげに必勝の剣を振りかぶり。
“アーチャー”は薄笑いを浮かべたまま愛剣を構え直す。
 きっと。
 セイバーの言った通り。
 勝負はこの一撃によって決着するだろう。
 戦場の緊張は頂点に達し、
 二振りの剣が動いたのは、
 同時――。

「――“約束された勝利の剣”――ッ!!」
「“天地乖離す、開闢の星”――」

 地上の極光に目を灼かれる。
 まるで、
 星の衝突。
 爆音などないのに鼓膜がイカレてしまったようだ。
 超新星すら生み出しそうな質量と質量の鬩ぎ合いは、しかし。
「……っ……セイバー……!」
 さほど長続きせず。
 始まりと同様に、静かに幕を引いた。
「セイバー!」
 凛の悲痛な呼び声が宵闇を裂く。
 マスターの目の前で。
 サーヴァントは両膝をつき。
 アスファルトに力なく倒れ伏した。
 ――こんな結末を。
 凛は予感していたのかもしれない。
「……口ほどにもないな、騎士王よ」
 ほぼ無傷のサーヴァントの口元に浮かんだ、嘲笑。
「あァ――そうか。実に不本意ではあるが、少しは手加減してやるべきだった。なにしろ相手は女子供だったのだ」
 勝者は敗者に向かって、徐に歩を進める。
「多少傷つこうが、なに、問題はあるまい。喜べよ、セイバー。聖杯を得た暁には、その中身をおまえにも味わわせてやろう」
 余裕の歩み。
 余裕の笑み。
「さすればマスターは不要となり、サーヴァントなどという煩わしき身に甘んじる必要はなくなる。まして、守護者になることも、死すべき運命に戻ることもない。この世界で、共に二度目の生を謳歌しようではないか」
 受肉した英霊は。
 冷ややかな紅を以って、瀕死のサーヴァントを見下ろす。

「――Funf Drei Vier
 Der Riese und brennt das ein Ende!」

 決死の響き。
 闇を薙いだ煌めき。
 それは、
 凛の手元から。
“アーチャー”へ向かって、流星のごとく放たれた魔弾。
 凛は絶望を噛み締めながら、セイバーに向かって走る。
 本当は。
 サーヴァントを盾にしてでも、凛だけは逃げるべきだ。マスターがサーヴァントのために命を張るなど、本末転倒も甚だしい。
 それでも。
 ――見捨てられるわけ、ない。
 セイバーは、士郎から託された大切なサーヴァントだから――。
 打開策などない。
 一発逆転の切り札などない。
 それでも、凛は走ることを止めない。
「……っ……」
 ああ、
 地に伏す少女が、あまりに遠い――。
 凛がセイバーの傍らに到達するより早く。
 黄金のサーヴァントが、その視線を上げた。
 紅の一対に、
 飛来する三つの輝きを映した、刹那。
 思考する間も厭うように、“アーチャー”は後方に飛び退いた。
 次いで、
“アーチャー”を炎の嵐が襲う。
 ――だが。
 凛の渾身の一撃も、牽制にすらならない。
 このタイミング。
 この威力を以ってしても。
 このサーヴァントには傷ひとつ付けられないのか――。
「――ちッ」
 黄金の籠手で爆風から頭部を守っていた“アーチャー”は、舌打ちと共に勢いよく腕を下ろすと。

「何をする、時臣ィ――!! ……?」

 ぽかんと。
 口を半開きにしたまま硬直した。
「え……?」
 凛ははたと立ち止まる。
 サーヴァントは、己が咄嗟に口にしてしまった名前に愕然とし。
 マスターは、突然耳朶を打った名前に呆然とした。

 ――トキオミ。

 それは。
 サーヴァントにとっては、一刻も早く忘れてしまいたい召喚者の名。
 マスターにとっては、一時も忘れたことのない父の名。
 黄金のサーヴァントと。
 遠坂のマスター。
 決して交わるべきでない二つの線は、その実。
 当事者すら与り知らぬところで、深い因縁を孕んでいた。
「……。おまえは」
“アーチャー”は不機嫌もあらわに、かつてのマスターの娘を見遣る。
「誰だ? 名乗れ、小娘」
 凛はきゅっと唇を引き結び。
 父のサーヴァントだった男を見据える。
「――遠坂、凛」
 震える体を叱咤して、ようやく己の名を搾り出す。
“アーチャー”は。
 フン、と鼻を鳴らすと、再びすたすたとセイバーに歩み寄った。
「失せろ、雑種。マスターが死んでは面倒だからな、今は殺さぬ」
「――っ」
 凛は。
 今度こそ明確に、眼前のサーヴァントが敵であると意識した。
 右腕を挙げ。
 黄金の鎧に狙いを定める。
 恐怖は既に、怒りによって駆逐されていた。
 指先から、
 連続して撃ち出されたガンド。
 全弾をサーヴァントに的中させると――。

「その汚い手で、わたしのセイバーに触らないで」

 凛は右腕を振り下ろし、見得を切った。
 ――ガンドの効果はほぼ皆無。
 ただ。
“アーチャー”の歩みを止めることは出来たらしい。
「……」
 セイバーの二メートルほど手前で佇んだまま。
 なにか、ありえないものを見るような目で凛をみつめると。
「――ク」
 貌を歪め。
 片手で額を押さえ。
 真冬の夜空を振り仰いだ。
「はは――ッ、く、クククク……はははははははは! アハハハハハハハハハハハハハハッ!」
 昏い天に響く、
 虚ろな哄笑。
 ――何がそんなにおかしいのか。
 黄金のサーヴァントは一分近く笑い続けた。
 永遠にも思える刻(とき)。
 拷問のような一分間。
 ふと。
 凛は、この状況がひどく馬鹿馬鹿しいものに感じられた。
 いまだくつくつと肩を揺するサーヴァントを尻目に、凛はセイバーに手を伸ばす――。

「――戯け」

 次の瞬間には。
 凛の全身は強かに地面に打ちつけられていた。
「い……ッ、た……」
 右手首に巻きついた鎖を視線で辿ると。
 今まで笑い転げていたのが嘘のように静まり返ったサーヴァントがいた。
「それは、我の物だ。おまえや、おまえの父に下賜した覚えはない」
「――ッ」
 痛みを忘れて上体を起こす。
 冷ややかな紅の一対は。
 たしかに凛を映していた。
「アンタ……父さんと、どういう関係よ?」
「時臣は我の臣だ」
 臣――。
 時代錯誤な単語に、凛は眉を顰める。
「馬鹿言わないで。父さんが誰かに仕官したことなんてないわ」
 ――ましてや。
「アンタ、サーヴァントでしょう……?」
 魔術師が使い魔の臣下になるなど――あまりに荒唐無稽である。
“アーチャー”は。
 心底侮蔑した視線を凛に投じた。
「誰に向かって物を申している? この身は、本来、おまえのごとき小娘が見ることすら適わぬ」
 ――ましてや。
「同じ大地に立とうなど、千年早い。そこで平伏していろ、下女」
 ぎり、と。
 奥歯を鳴らし、凛は紅の視線を跳ね除ける。
「誰が――ッ」
「よかろう」
 再び意味不明な笑みを浮かべて。
“アーチャー”は凛を見下ろす。
「その強情さはいっそ微笑ましくもある。……おまえの父の顔に免じ、数々の非礼は許そう。たかが小娘の愚昧に一々腹を立てていては、治まる世も治まらん」
「……り、ん……」
 幽かな声が、凛の傍らから漏れた。
「セイバー――ッ!?」
「にげ……て……凛……」
 刃を交えたからこそ。
 セイバーには、わかる。
「……彼、は……おそらく……」
 セイバーの忠告も虚しく。
 凛は視線を逸らせない。
 逃げることも。
 動くことすら。
 ――不可能だ。

「我が名はギルガメッシュ。おまえの父が召喚した、アーチャーのサーヴァントである」

 音を立てて。
 凛の首に新たな鎖が巻きついた。
「――っ――」
 そのまま。
 今度は宙吊りになる。
「り――ん――ッ」
 動かぬ体を無理矢理動かし、セイバーはマスターを仰ぎ見る。
「凛を、放せ……アーチャー……っ!」
 最早。
 ギルガメッシュはセイバーを見ていなかった。
 値踏みするような下世話な視線で。
 窒息寸前の娘を眺める。
「貴様の目的は、私だろう……!?」
「少し黙っていろ、セイバー。妃の身で、我が臣の処遇に口を挟むとは、甚だ僭越である」
「――ッ、凛は、貴様の臣ではない!」
「ああ。そうだが」
 当然だと言わんばかりに。
 英雄王は騎士王をじろりと一瞥する。
「父の犯した罪を、子に贖わせるだけだ。父亡き今、子が、父に代わって罰を受けるのは当然だろう」
「馬鹿、な……凛と貴様は、なんの関係もない……ッ。凛には何の罪も無い……!」
「罪が無くとも裁かれる。我が裁くと決めた限り、その決定は覆らぬ」
「――ッ! り――ん、り、ん――りィィィィィィんッ!」
 消え行く意識の中で。
 凛はセイバーの悲痛な呼び声を聞いた気がした。



「……、ん……」
 身じろぎして目を醒ます。
 見知らぬ天井。
 見知らぬ部屋。
 上体を起こそうとして――。
「――っ、え?」
 凛は戸惑いの声を上げる。
 両手は頭上で拘束されている。
 寝かされているのは、見知らぬベッドの上。
 膚に触れる夜気に思わず身震いする。
 ――寒い。
 頭を起こして、凛は己の姿を眺め下ろす。
 身につけているのは、男物のワイシャツのみ。下着も靴下もすっかり剥ぎ取られていた。
「……はあ」
 自然と。
 ため息が漏れた。
 ――どうしてこんなことになっているのか、全く理解できない。
 人間は己の許容量を超えると容易に思考を放棄してしまうが、凛の場合は、修羅場慣れしているが故の沈着冷静さであった。
 ここはどこなのか。
 そもそも、
 わたしは殺されたのではなかったのか――。
 凛の問いに答えるべき者は。
 扉の向こうから現れた。
「……」
「……」
 見下ろす紅(あか)と見上げる蒼が交錯する。
「……ごきげんよう、とでも言えばいいのかしら?」
 ――一瞬。
 誰だかわからなかった。
 髪を下ろすとひどく幼い印象だ、と凛は思った。この容姿ならば、凛とさほど歳は離れていないように見えるだろう。だからこそ――多分威厳を保つために――あんな、ライオンのたてがみみたいな髪型をしていたのだろうが。
「口が減らんな。誰に似たのだか」
 ギルガメッシュはベッドの脇に佇むと、腕を組んで凛の肢体に視線を滑らせた。
「ここは? アンタの家?」
「教会だ」
「――ッ」
 凛の反応に気をよくしたのか、ギルガメッシュは笑みを深める。
「綺礼と……グルだったの……?」
「そうだな――一種の“協力者”ではあるが、アレと我の目的は異なる。我が言峰を助ける義理はないし、また逆も然り。そもそも、言峰は何かと我に制約を課すのでな――そろそろ見切りをつけようと思っていたところだ」
「……」
 凛は下唇を噛み締め。
 憎悪のこもった視線を黄金のサーヴァントに向けた。
「……つまり。父さんのことも、そうやって裏切ったのね」
 徐に腕を解くと。
 ギルガメッシュはベッドの端に腰を下ろした。
「裏切った、裏切られた、というのは――対等な者同士の話であろう」
 突き刺すような言葉とは裏腹に。
 凛の頬に触れた掌はひどく優しい。
「不用な臣下は切り捨てる。たとえ肉親であろうと、罪を犯した者には相応の罰を与える。――王として、当然の務めだ」
「父さんを殺しても、まだ足りないって言うの?」
「足りぬな。――全然足りぬ」
 サーヴァントは上体を屈め、かつてのマスターのそれによく似た蒼い瞳を覗きこむ。
「時臣の罪は重い。我に対して真実を隠匿しただけでなく、偽りの忠臣を演じた。我は、どのような臣であろうと公平に扱う。善人であろうと、悪人であろうと――我の臣である限り、等しく褒賞し、等しく処罰する。我の厚情に欺瞞で応えた時臣の罪は、時臣自身の死を以ってしても贖えぬ」
「……じゃあ」
 凛はふいと視線を逸らせる。
「わたしを、殺すの……? 娘であるわたしを殺せば、貴方の気は済むの?」
「リン」
 名を呼ばれただけなのに――。
 凛の胸はざわついた。
 反射的に見上げた一対の紅は、最古の王に相応しい傲岸な光をたたえていた。
「我が臣となれ。父の罪を贖いたくば、我に仕えよ」
「断る」
 即答だった。
 ギルガメッシュは。
 愉しげに口元を歪めた。
「仮病で寝こんでいるところを、寝台ごと引きずり出されたとしても、アンタになんか仕えないわ。わたしの主は、わたしが決める」
 ――少なくとも。
「アンタではないわ。絶対にね」
「ほう……?」
 頬を撫でていた手がそろりと首筋に触れる。
「おまえが司馬仲達(しばちゅうたつ)ほど有能かどうかはともかく……この状況で、おまえに拒否権があると思うか?」
 白い膚に刻まれた鎖の痕は。
 まるで首輪のように見えた。
「悪いことは言わぬ。我に君臣の誓いをせよ、リン」
 どれだけ甘く囁かれようと。
 凛の決意は微塵も揺るがない。
 あくまで頑なに、凛はギルガメッシュを睨み返す。
「……断るッ」
 不意に。
 ギルガメッシュは上体を起こすと。
「――そうか」
 少し残念そうな振りをして。
 上着を脱ぎ捨てた。
「そうだな……いや、そうでなくてはつまらん。我が臣たるもの、そのくらいの気骨がなくては。躾け甲斐がないというものだ」
 凛は。
 無意識に体を強張らせる。
「は……ッ、従わなければ、力ずくってこと? 馬鹿のひとつ覚えよね、それ」
「おまえとて望んでいることだろう? 支配されることで得られる安堵は、自由よりはるかに価値があると思うが?」
「冗談。そんな世迷言をぬかす人間、片っ端から殴り殺す……、っ……!」
 シャツ越しに腰をつかまれただけなのに、凛の体はびくりと跳ねた。
「触れられることには慣れていないか?」
「う――るさい、余計な気遣い、しないでよ」
 それもそうだな、とギルガメッシュは肩をすくめる。
「臣に甘いのは我の悪い癖だ……。最初に言っておくが。どれだけ泣きわめこうが、許しを請おうが、我は手を緩めんからな」
 淡々と告げつつ、その手は着々とシャツのボタンを外してゆく。
「……っ、泣きわめかないし、許しを請う予定もない……!」
「そうか――それは、愉しみだ」
 白磁の膚が暴かれる。
 凛はぎゅっと目を閉じ、羞恥に耐える。
 ぱさ、ぱさ――と脱いだものが床に落ちる音。
 ぎし、と。
 ふたり分の体重を負わされたベッドのスプリングが不平を鳴らす。
 見えなければ、見えないなりに――。
 不安は募った。
「――っ――」
 凛は。
 おそるおそる瞼を開く。
 ――見えてしまえば、なんということはない。
 ギルガメッシュは凛のすぐ傍に座ったまま、じっと娘の裸身を見下ろしていた。
「……。なに?」
「いや」
 なんでもない、と頭(かぶり)を振ると。
 実に面倒臭そうに上体を屈めて、凛の足首をつかんだ。
「リン」
「なによ?」
「我は、おまえを抱くのか?」
「……いや、なんでそれをわたしに訊く?」
 意味不明である。
 ギルガメッシュは人形を扱うがごとく、凛の足をぷらぷらと上下に揺らす。
「おまえが一言『うん』と言えば、済む話であろうが」
「だから嫌だって言ってるでしょ。何度言わせるつもりよ」
「……」
 ギルガメッシュは徐に中空から鎖を引き出すと、つかんでいる凛の足に巻きつけた。
「臣になるのは嫌で、抱かれるのは構わぬのか?」
 もう片方の足も同様に吊るすと。
 皮肉げな笑みを浮かべる。
「……構わぬ、なんて、一言も言ってないけど」
 強制的に足を開かされて、尚、凛は減らず口をたたく。そうでもしなければ憤死してしまいそうだった。
「それに。臣下になったって、結果は一緒な気がするんですけど」
「あァ――」
 それもそうだな、とギルガメッシュはあっさり肯く。
「……アンタ、実は、相当な馬鹿でしょ」
「ふふん? その強がりがいつまで保つか、見物だな」
 サーヴァントの指が凛の内腿に食いこむ。
 遠坂凛という娘は、断じて、ギルガメッシュの好みではない。容姿はもとより、性格も、ギルガメッシュの琴線に触れるかと問われれば、答えは否である。
 では、何故――。
 セイバーと同等か、それ以上に執着を覚えるのか。
「……ッ、や……ぁ」
 ――時臣に未練があるのか。
 内腿から指を滑らせ、無防備にさらされた秘所を弄う。凛は再びぎゅっと目を瞑り、あえかな息を吐く。
 ――馬鹿馬鹿しい。
 それこそ、ありえない。
 時臣の“代わり”をさせるために、凛を連れて来たわけではない。
「さわ……っ、ない、で……」
「触れずにどうやってするというのだ? それとも」
 ギルガメッシュは意地悪く笑う。
「慣らさないで挿(い)れられる方が良いのか……? そういう趣味だとは知らなかったが」
「――ッ、違」
 びくん、と凛の背がしなった。
「や……ッ……ゆび、ぃ、やぁ……」
 ギルガメッシュの指は執拗に凛の内奥(なか)をかき回す。
「指より、舌の方が良かったか?」
「――ッ」
 見る間に凛は紅潮し。
「ば――ッ、な、何言ってるのよ!? 馬鹿じゃないのっ?」
 精一杯ギルガメッシュに食ってかかった。
 予想通りの反応に、黄金のサーヴァントは肩をすくめる。
「冗談だ」
「……ばか」
 凛は口をへの字に曲げてそっぽを向く。
「期待させてしまったか? それは済まなかったな」
「してない」
「安心せよ、リン。指だけでも充分濡れている」
「な――ッ、なんてこと言うのよ、アンタはっ!?」
「事実だ」
 しれっと告げると。
 ギルガメッシュは凛の内奥から指を抜き、徐に体勢を変えた。
「な……に?」
「もう挿れてもよかろう」
「……」
 凛は。
 困ったような、拗ねたような――ばつが悪い表情で口を引き結んだ。
「どうした?」
 今までの倍の罵倒が返ってくるだろうと予想していたギルガメッシュは、思わぬ沈黙に肩透かしを食う。
「……」
 無言も、ある意味、抵抗かもしれぬ。
「いつもの調子で悪態をつかれねば、こちらとしてもやる気が出んのだが」
「嘘おっしゃい。ヤる気満々じゃない」
「この状況で勃(た)たねば、男として問題アリだろう」
「……。だとしても節操なさすぎじゃない?」
「その言葉、そっくりそのまま返すが」
「……」
 墓穴を掘って閉口した、というよりは。
 軽口に応じてしまった自分に幻滅している――というところか。
「……ねえ」
 視線を合わせることなく。
 凛はぽつりと問いかける。
「アンタこそ、わたしなんか抱いて愉しいの……?」
 しばし、静寂が場を満たした。
「……わからんな、こればかりは。実際、抱いてみないことには」
 凛は、刹那、覆いかぶさる男に非難がましい視線を向けたが。
「そ――そう。そういうもの?」
「あァ、そういえば……魔術師にとって媾合(まぐわい)は、魔術の儀のひとつに過ぎなかったか」
「む……」
 凛は難しい顔で考えこむ。
 が、慌てて益体ない思考を打ち切った。
「ま、まあ、たしかにねっ。……愉しいとか、愉しくないとかのくくりじゃないことは、たしか。でも、貴方は魔術師じゃないから、その……普通、セックスって好きなひととするものじゃないの?」
「……」
 今度はギルガメッシュが考えこむ番だった。
「……いや、それはどうか。好き嫌いで抱く相手を選べるのは、おまえたちの時代の特権であろうよ」
「あ――」
 凛は舌打ちせんばかりに己の浅慮を悔いる。
 ――そうだ。
 このサーヴァントの真名は。
「とはいえ」
 人類最古の王は。
 魔術師の娘に向かって笑みを零す。
「女ならば誰でも抱ける、というほど色狂いでもない。選り好みはするぞ、それなりにな。野の獣とて、番う相手を選ぶのだ。誰でも良いなんてことは、ありえん」
 ――ああ、そうか。
 不意に。
 ギルガメッシュは理解した。
 凛が時臣の代わりでないのは当然としても。
 彼女を臣にしたいと思ったのは、気まぐれなどではなく、正真正銘、凛を気に入ってしまったからなのだ。
「……。わたしの意思はどうなるの?」
 全然好みではないのに。
 凛の在り方を、悪くないと思っている――。
「おまえの方から、我の臣にしてくれと懇願するようになるさ」
「……。ありえないから」
 凛の反応はにべもない。
 だが。
 先刻よりはるかに、ギルガメッシュに対して気を許していることは明らかだった。
「いいや、絶対だ。なにせ――」
 そう言いつつ。
 凛の腰に両手を回し、引き寄せる。
「――我の決定は絶対だからな」
 凛は頬をシーツに押しつけ。
 男を受け入れる。
「――ん――ッ、う――」
 苦悶の表情は艶かしい。
 両足が跳ねるたび、鎖の音が響く。
 繋がれた両手をぎゅっと拳の形にして、折れそうになる心を支える。
「痛むか、リン……?」
「……。っ……ぁ……」
 答えようと口を開くが、意味ある言葉は紡がれず。
 瞬きすると同時に大粒の涙が零れた。
 ――その様が。
 ひどくそそった。
「……すぐに悦(よ)くなる。しばし我慢せよ」
 ギルガメッシュを拒むように固く閉じた蕾を少しずつ開かせる。
 それは。
 ひどく甘美な行為。
「っ――んっ、……は……ぁ……っ」
「……ん?」
 ふと。
 ギルガメッシュは、愉しげに進めていた腰を止める。
「ぁ――はあ……はあ……はあ……っ」
 赤い瞳を瞬かせると。
 荒い息を吐く娘をじっと見下ろす。
「――処女か」
 凛は。
 呼吸も忘れ、絶望的に男を見上げる。
 その呟き自体は至極淡々としたものだったが。
 男の表情が何よりも雄弁にその感情を物語っていた。
「我のために純潔を守るとは、中々どうして殊勝な臣ではないか」
「――ッ、アンタのため、なんかじゃないっ!」
「ほう……?」
 ギルガメッシュは。
 実に愉しげに双眸を細める。
「では、誰のためだったのだ?」
「……。それは」
 凛は視線を逸らして言いよどむ。
“誰か”――という漠然とした答えしか浮かばない。
 衛宮士郎に対して淡い恋心を抱いていたことはたしかだが、実際に恋人同士になるとは夢にも思っていない。そもそも、士郎の頭の中はセイバーのことでいっぱいである。
 士郎には最初から期待していない。
 だから。
 士郎以外の、“誰か”。
「……アンタ以外に、決まってるじゃない」
 凛の内心をどこまで看破したか定かでないが――。
 ギルガメッシュはやれやれと首を振った。
「結果が全てだぞ、リン。なに――そうとわかれば、おまえの処遇も考え直さねばな」
 意味深に言い置くと。
「――ひ、ィ……いッ!」
 処女膜を破り、未通の秘所を力任せに穿った。
「あ……ッく、う……ぁ……!」
「っ……存外、きついな……」
 ゆっくりと腰を上下させて蕾を解く。
「ん……っ、う……んぅ……っ」
 ギルガメッシュの動きに合わせて、凛は苦しげに吐息する。
 喪失感よりも。
 はるかに強い圧迫感。
「は――ッあ、ぁ、や……あ、ああ……」
 犯されていること自体にはひどく現実感がないのに。
 体が訴えてくる痛みと快感の芽生えは、濁流のように凛を翻弄する。
「や――ッ、や、だ……いたい、のぉ……っ! ぬい、て――ぬいて、おねが、い……っ」
 膚と膚が触れる部分は熱く。
 絡み合う肉は本能だけに従って互いを求める。
「リン」
 意味もなく名を呼ぶと。
 凛は反射的に顔を上げた。
「……っ、う……ん?」
 薄く開いた唇。
 涙のあとが残る頬。
 蒼い瞳に無垢な光を宿し、魔術師の娘は王に怪訝な眼差しを向ける。
「リン」
 深くつながったまま。
 どこか満足げに娘の名を繰り返す。
 ――リン、という響きは。
 この娘によく似合っている。
「……? な、に……?」
 震える声で問う。
 ギルガメッシュは。
 答える代わりに、凛の乳房を鷲づかみにした。
「ひゃう――ッ」
 新たな刺激に凛の腰が跳ねる。
「や……っん……さわ、ら……ないで……」
 涙ぐんだ瞳で。
 乱れた呼吸で。
 懇願する――あまりに効果的な誘い文句。
「もっと、触れて欲しいか……?」
 囁きを返し、掌にすっぽりと収まっている柔肌を揉みしだく。
「あ……や、ぁ……んっ」
 自分の指で慰めるのとは異なる、
 加減も容赦もない男の指に蹂躙され、否応なしに、挿入されているものを強く締め付けてしまう。
「――ッ、は」
 凛の意識が下腹に向かったのを察知したように、ギルガメッシュはゆったりと腰をグラインドさせる。
「……んっ……ん、ん――っ! やだ――って、言ってる……!」
 口が強情な言葉を流す一方。
 瞳も内奥も蕩けていた。
「ふうん……では、止めるか」
 宣言するやいなや。
 ギルガメッシュは汗ばんだ膚からそっと手を離す。
「え――?」
 凛の口から漏れたのは、戸惑いの声。
 ――嫌なはずなのに。
 解放された安堵より、物足りなさが勝った。
 背を伸ばし、ギルガメッシュは悠然と凛を眺め下ろすと。
「……っ……な、――んぅッ!?」
 背を丸め、つんと上向いた乳房の先端を口に含んだ。
「あ――ァ、や――っん、い……やぁ……! 吸っちゃ、だめ……ぇ……だめ、なのぉ……っ!」
 がちゃがちゃと鎖を鳴らして凛は悶える。
 ざらりとした舌に。
 時折当たる歯に。
 どうしようもなく感じてしまっていた。
「――ぃッ、だ――だめ、も――ぉっ」
 ぞくぞくと背筋を震わせて。
 全身を襲う快感の波に、それでも凛は抗った。
「だ、め……や……ぁ……」
 逃れようと身を捩ったところで、なんら甲斐はなく。
 ただ。
 されるがままに。
「――ッ、……あ……」
 凛は絶頂を迎えていた。
 ――こんな。
 ――こんな、簡単に。
 落胆と羞恥に頭が真っ白になる。
 あまりの気持ち良さに脳髄が痺れている。
「イったか、リン……?」
 笑いを含んだ声が降ってくるが、それすら気にならない。
「敏感だな」
 ぼんやりとサーヴァントを見上げていると。
 完全に脱力した両足が、ベッドの上に落とされた。
 ――何を思ったのか。
 ギルガメッシュは凛の両足を拘束する鎖を解いた。
 そして。
 娘の両手を戒める鎖を無造作に引くと、仰向けになった己の上に凛を跨らせた。
 見下ろす側と見上げる側が逆転したところで、形勢はまったく変わらない。吊るされた凛はとろんとした瞳で、尚も己を犯し続ける男をみつめ返す。
「も……う、いいでしょ……? 放、して……」
 ――限界だった。
 これ以上体を繋げていたら。
 これ以上触れ合っていたら。
 壊れてしまうという予感があった。
「では屈するか? 我の臣になると誓約するならば、或いは考えんこともない」
「……っ」
 凛は下唇を噛む。
 こんな状況になっても。
 触れられ、嘗められ、喘がされ、達(い)かされても尚、屈服する気など毛頭なかった。
「い、や……絶対に、いや……」
 ギルガメッシュは上機嫌に喉の奥で笑う。
「強情だな、リンは。まあ、そこが愛いのだが」
 思わず本音を漏らしたことにも気付かず、ギルガメッシュは娘の肢体に視線を這わせる。
「ところで、リン。我は先刻、おまえの戒めを解いたわけだが。……放して欲しくば、我の腹の上から、疾(と)くその体をのけるが良かろう」
「……え……?」
 凛は猜疑のこもった視線を返す。
「そんなこと、言って……どうせ、邪魔するんでしょう……?」
「王に二言はない。それに、英霊は嘘をつかぬ」
 余裕綽々としたサーヴァントをひとしきり睨むと。
 凛はぐっと両腕に力をこめた。
「……っ」
 両足どころか。
 丹田にも力が入らない。
「――う、そ――」
 まるで楔を打ちこまれたように、ギルガメッシュから体が離れない。
「っ……あ!」
 愕然とした拍子に力が抜けると、更に深くまで侵入を許してしまう。
「う……く……ッ、なん、で……」
「どうした、リン?」
 獲った鼠を甚振る猫のように。
 王は魔術師の娘を愉しげに見上げる。
「我は気が短い。抜くなら早くせよ」
「――っ、わか……ってる、わよ……!」
 今度は腕の力だけで体を持ち上げようとするが――。
 鎖に縛られっぱなしの両手は虚しく震えるだけで、凛の体重を支えるには用をなさない。
「ッ――ん……ぅ!」
 それでも。
 何度目かの試みで、ようやく凛の体が持ち上がる。
 ――良かった。
 あからさまに安堵する凛を。
「……ク」
 ギルガメッシュは既に見ていなかった。
 ――諦めの自嘲か。
 凛は深く考えることもなく、一気に体を引き上げる。
「――ッあ、ああァっ!」
 迸った嬌声に一番驚いたのは凛自身だった。
「……くく……」
 ギルガメッシュは瞑目したまま笑いを噛み殺す。
 ――引き抜くときとて、突きこむときと同じだけ摩擦するのだから。
「どこもかしこも弱いのだな、リンは」
「……うるさい」
 己の上で悄然とする凛を想像し、ますます笑みを深めた。
「嫌がっているとは、到底思えんが」
「……うるさい、ばか」
 乱れた呼吸を整え。
 最早条件反射のような悪態をつき。
 凛はそれでも諦めずに、全身に力をこめる。
「なん……で……、いつまでも、勃ってるのよ……ッ」
 それは。
 もしかしたら、初めての“弱音”かもしれなかった。
「……は?」
 ギルガメッシュは思わず両目を見開く。
 凛は。
 耳まで真っ赤にして目を伏せた。
「わ――わたしの体じゃ……イけないって、言うの……?」
「……」
 凛をまじまじとみつめるのは、これで二度目だ。
 ギルガメッシュは肘を突いて上半身を起こすと、不機嫌にも見える表情で黙りこくった。
「……」
「……」
 気まずい沈黙。
 先に口を開いたのは。
 ――ギルガメッシュ。
「良いのか?」
「え?」
 サーヴァントは拗ねたように口を尖らせると。
 凛に鋭い視線を向けた。
「おまえは臣だろう。……妃妾でもないおまえが、我を褥で悦ばせる義務はない。おまえが我の命に従うのは当然だが、我の機嫌をとる必要はない」
 負けじと。
 凛はギルガメッシュを真っ直ぐ見返す。
「ここまで、ひとの体を好き勝手しておいて、そんなこと言うわけ? ……わたしという女に対して、それは失礼じゃない?」
「……むう」
 ギルガメッシュは難しい顔をして唸った。
「わからんな。女心は。一生わからん」
「なに馬鹿なこと言ってるのよ。既に死んでるじゃない、アンタ」
 ずけずけと言葉を返して。
 凛はくすっと微笑んだ。
「……」
 ――その笑顔は反則だ。
 ギルガメッシュはそっと凛の腰を掴むと、華奢な体を軽々と持ち上げる。
「い――ッ」
 凛の努力を嘲笑うかのように、易々と楔が引き抜かれる。
 繋がっていた場所からは、破瓜の血と共に愛液が零れて内腿を伝い落ちた。
「んっ……なに、を……」
 戸惑う凛を尻目に、黄金のサーヴァントは片手で鎖を引く。手枷の役割をする鎖に引っ張られ、凛は再びベッドに倒れ伏した。
「な、に……?」
 上目遣いで、窺うような視線を向ける凛に。
 黄金のサーヴァントはただ笑みを返す。
 そして。
 娘をうつ伏せに寝かせ直すと、その柳腰を愛撫する。
「っ……くす、ぐった……」
 きゅっと身をすくめる凛に構わず。
 その腰を一際高く持ち上げた。
「随分と素直になったものだ……」
 そして。
「――ッ――う、く――ぅんっ!」
 獣の媾合のように、凛を深々と貫いた。
「よほど、我に挿れられるのが好きと見える」
「ば……っ、なに、言って……」
 抗議の声も弱々しい。
 シーツに額を押し付けて、凛は肩で息をする。
「事実だろう。……こんなに濡らして、気持ち良くないはずがあるまい」
「ちが……っ、こ、れは」
「どんな男に挿れられてもこれだけ欲情するのだとしたら、それはそれで問題だな。……フムン。我が下女には、しかと我の味を覚えこませておかねば……」
「だから――ッ! 誰が、アンタの……下女よ」
 冷静になろうとすればするほど、体の奥深くに絡みつく熱を感じて悶える。
「安心せよ、リン。じきに我以外ではイけない体となろう」
「い、いい……っ、そんな、の……しなくて……っ!」
「我慢は体に毒だぞ? 欲しければ、欲しいと言うが良い」
「やめ――ッ、ま――って、まだ、うごかな――」
 両足をがくがくと震わせながら懇願する。
 先の絶頂の余韻に、新たな快楽が上塗りされていく。
「我に、これ以上、我慢しろというのか……?」
 ゆったりとした抽送は。
「ハ――。無理だな」
 一瞬にして激しいものに変わった。
「――ひ――ィ、あ! あっ! は――、ッん!」
 痛みはもうない。
 圧倒的な快感の波に溺れる。
 ただただ嬌声を吐き出すだけの雌に成り下がる。
 ――こんなの、
 涙が零れる。
 下腹は摩擦熱でイカれてしまっている。
 突き入れられるたびに愛液が溢れ、引き抜かれるたびに結合部を濡らす。
 ――こんなの、耐えられない。
 不意に、凛は理解する。
 今までの媾合は、あくまで凛を精神的に追いつめるためにしていたのであって、ギルガメッシュ自身の快楽は度外視されていたということを。
 手を緩めない、と言っておきながら。
 充分手加減されていたのだ。
「――ッ――く――」
 苦しげな呼吸は黄金のサーヴァントのもの。
 まともに女を犯すのは、実に十年ぶりのことである。
 ――否(いや)。
 正確な表現を用いるなら、これが現界して初めての性交であった。
 ――そう、本来なら。
 今生においてギルガメッシュの褥の相手を務めるべきはこんな小娘ではなく、十年でも五十年でも待つに値する女だったはず――。
「……ふ……ッ」
 思わず苦笑する。
 凛の外見は好みではない。小生意気な性格も趣味ではない。眉目秀麗で天才肌だということはわかるが、女として格別魅力的かと言われればそうは思わぬ。
 それでも。
 ギルガメッシュは。
 既に凛から離れられなくなっていた。
 ――絶頂は近い。
「は……っ、……ぁ……あッ」
 凛の声も一層艶めく。
「あ、つ……ふかい――深い、のぉ……っ! おく……っ、おかしくな、る……!」
「――ッ」
 一層強く。
 一層深く。
 男を知らぬ娘の内奥を抉る。
「ぁ――ッ、あ、っう――あぁあああ……っ」
 凛の背がしなう。
 ごり、と一分の隙も許さぬ突き上げの後。
 膚と膚をぴたりとつけたまま、呼吸すら合わせて、ギルガメッシュは凛の最奥に射精した。
「い……や、ぁ……」
「――ッは」
 どちらからともなく、ベッドの上に身を投げ出す。
 荒い呼吸――ふたり分の。
 汗ばんだ膚に張りついた黒髪をそっと払うと。
 ギルガメッシュは、まるでそのついでであるかのように自然な動作で、凛の手枷を外した。
「……?」
 凛は顔を上げ、視線で問う。
 答えは――ない。
 代わりに、
 ――凛は息を飲む。
 眼前にある、少年のようにあどけない寝顔を食い入るようにみつめて。
「……ギルガメッシュ……」
 思わずその名を口にしていた。
 体の奥が熱い。
 体が尚も求めている。
 ――もっと繋がっていたい。
 手を伸ばせば簡単に触れられるのに、その一歩が踏み出せない。
 ――もっと触れて欲しい。
 体が疼く。
 甘い毒に侵されてしまったようだ。
 ――わかっていた。
 こうなるだろうということは。
 否、こうなってしまうだろうということは。
 あの晩、衛宮邸の庭で、為す術もなく黄金の威容を見上げたときから、予感はあった。
 近付いたら、最後。
 きっと全てを塗り替えられてしまう――予感。
 凛はじっと息を潜めて、ほとぼりが冷めるのを待つ。
 ――このくらい、大したことはない。
 いつものように心を落ち着けていれば、嵐はその内去ってくれる。ひとりで生きていく上で、その事実は凛をいくらか強くしてくれた。悲しいときも、辛いときも、そうしてやり過ごしてきたのだ。刻印の熱に比べれば、この程度――心を乱すような類のものではない。
 ただ。
 凛にとっての誤算は。
「……リン?」
 目の前に。
 全ての元凶が、実に無防備に存在しているという現状。
「どうした……?」
 徐に開かれた紅の一対。
 柔らかな眼差しで。
 囁くように質す。
 凛は。
 サーヴァントの唇をそっと嘗めると、そのままかぷりとキスした。
「……ん……ッ」
 ギルガメッシュは凛を抱き寄せ、ぎこちない口づけに応える。汗で張り付いたワイシャツを剥ぎ取り、頭上から床に放り捨てた。
 ――予感があったのは、凛だけではない。
 セイバーだけを見ていたときは良かった。
 突然、視界に割り込んできた後も。
 時臣への怒りに駆られている限り、その娘に溺れることなどないと――高をくくっていた。
 時臣の娘なんぞに、心奪われはしない。
 時臣の娘なんぞに、本気になりはしない。
 ――本当は。
 わかっていた。
 父の咎だの罰だの――そんな理屈を捏ねる必要がないほど、心の底から凛を欲していた。
 ひと目見た、そのときから。
「……っ、……リン」
 名残惜しそうに唇を離すと、娘の体を横たえ直す。
 男に身を委ねて、甘いため息を吐く。
 力の抜けた肢体を長々と伸ばす。
 薄く開いたままの唇から。
 意図せず。
「ギルガメッシュ……」
 男の名が流れた。
 視線をからめ。
 唇を重ねる。
 ただ、
 名を呼ばれただけなのに。
 これほど心地良いなんて――。
「言いにくかろう。ギルで良い」
 宝石のような蒼が不思議そうに男を見上げる。
「ギル……?」
「ああ。――それで良い」
 柔らかい笑みを返すと。
 凛もつられて微笑んだ。
「……ギル……ッん」
 易々とギルガメッシュを受け入れ、凛は息を吐く。
「キス、して……」
 素直に求める言葉を発した娘に対して。
 王は誠実に応える。
「――ッむ、――ぅ、ん……っ! ん、ん――ぅ!」
 自然と腰を打ちつけていた。
 口内を犯され、内奥を穿たれ、凛はうっとりと目を瞑る。
「……ぷは……っ、おく……も……っ、ろ……」
 飽きもせず。
 何度も口づけられる。
 自由になったはずの両腕はギルガメッシュの首に回されていた。
「もっと――?」
 愉しげに問い返す声。
「ん……ぅ……もっと、ついて……」
 羞恥に語尾を濁しながらも、凛は明確にねだる。
「奥を突いて欲しいのか?」
「う、ん――そう、なの……っ! わたしのからだ――ッ、おかし、い……の……」
 とっくに自由になっている両足をギルガメッシュの体にからめ、その動きに合わせて腰を打ちつけ返す。
「すご……、しびれ、て……」
 ――もしかしたら。
 ギルガメッシュの精液には媚薬の効果があるのかもしれないと思い至ったが、問い質すのはあまりに馬鹿馬鹿しいので止めた。
 魔術師の体液に魔力が宿っているように。
 サーヴァントのそれにも魔力に似た成分が含まれていたとしても驚くに値せぬ。
「きもちい、い……の……」
 極上の魔力は美酒にも例えられる。
 ――酔っている。
 体の奥深くから蕩けてしまって、気持ち良くなることしか考えられない。
「……ギル、は……?」
 答えはなく。
 凛はしばらく、されるがままに体を穿たれていた。
 ――返事を期待したわけではないが。
 もし、同じ気持ちでいるのなら。
 それは、きっと、 「――出しても良いか?」
 耳元で優しく問われ、凛は思わず腰を跳ねさせる。
 何よりも雄弁な答えに、二の句が継げない。
 凛の耳元に口を寄せたまま。
 ギルガメッシュは笑った。
「良いか?」
「ん……ッ、なか、出して……っ! わたしの中にいっぱい出して――っ」
 はしたなくねだった凛に、ご褒美のようなキスを落とすと。
「ん、ううぅ――ッ!」
 口を塞いだまま。
 子宮口を突き上げる。
「ッ――ぁ……」
「く――ッ」
 ほとんど同時に達して。
 本当の恋人のように互いの体を抱き締めた。
 ――今、この瞬間だけは、きっとこの感覚を共有していて。
 それは、なんて、  倖(しあわ)せ。
「……あつ、い……ギル……」
「リンの方が、熱い……」
 どくどくと流しこまれる精液に、凛の思考は融ける。
「こんな……っ、……こんなの、はじめて……」
 ――初めてなのは当然だ。
 冷静な凛の指摘は。
 熱に浮かされた凛には届かない。
「わた、し……、また……イっ、ちゃった……ずっと……イきっぱなし、なの……っ……」
 ギルガメッシュの舌が、凛の口の端からこぼれた唾液を丁寧に嘗めとる。
「知っている」
 そう言って。
 こつんと、額と額をつけた。
「あ……あなたの、せい……!」
「ああ。そうだな」
 今、  この瞬間だけは。
「――我も、とても、心地良い」
 たしかに、同じ幸福感で満たされていた。
「……嬉しい……」
 父の仇であるはずの男に微笑む。
 賊臣の嫡長子たる娘に微笑み返す。
「そうか……」
 ――今だけは。
 たったふたりで。
 ふたりだけの幸福に溺れていたかった。

 ――もう、ひとりぼっちは嫌だから。



 目蕩(まどろ)んでは覚醒(めざ)め、好きなだけ互いの体を貪り合ってはまた気を失ったように眠ることを繰り返した。
 長い、長い夜は明けず。
 ギルガメッシュと凛はベッドの上で四肢をからませ続けた。
 抱き締める。
 撫でて口づける。
 更に欲しくなる――その円環。
「は――ッ、ギル……」
 胡坐をかいたギルガメッシュに向き合う形で、凛は座り直す。
 乱れた黒髪を男の手が整えた。
 しばし無言でみつめ合う。
 ――言葉はもう必要ない。
 互いの思いを確かめるように唇を重ねる。指と指をからめる。
 凛はゆっくりとギルガメッシュの方に倒れ――。
 屹立する雄を体の奥深くまで銜えこんだ。
「……っ、あ、……は――ぁんっ!」
 短時間で、凛の体は完全にギルガメッシュに馴らされていた。
「ッ――リン。もっと力を抜け」
 華奢な腰を支えるように両手を回し、娘の耳元で甘く囁く。
「ん、……っ、だ――って、すご……ひッ!?」
 ギルガメッシュの首に両腕を回し、その首筋に顔を埋める。
「リン……」
 その声に誘われるように顔を上げると。
 当然のように唇を奪われた。
 ――ああ。
 このまま。
 時が止まってしまえばいいのに。
「……ギル……」
「どうした?」
 否。
 本当は。
 時など、とうの昔に、正常に流れることを止めてしまったのかもしれぬ。
「貴方は……ちゃんと、ここにいる……?」
 今、感じているこの熱が。
 夢や幻でないことを切に願った。
「――ク」
 最古の王は。
 娘を抱きかかえる両腕に力をこめる。
「何を言う……? 怖くなったのか、リン?」
「……。怖い、わ」
 愚直なまでに。
 偽りなき思いを告げる。
「とても、怖いわ……わたし。だって」
 どこまでも傲岸不遜な赤い瞳が揺れているように見えるのは。
 凛自身の不安が投影されているせいだと思いたかった。
「この世界に、永遠なんて、ないもの――」
 見開かれた紅と。
 静かに閉ざされた蒼。
「……、それは」
 違う――と。
 娘の悲哀を覆すための言葉を続けようとした矢先。
「――ッ――」
 こみあげた不快感を殺す術はなく。
 結核患者が喀血するように。
 王は黒い泥を吐いた。
「……ギ、ル」
 凛は驚いて目を瞠る。
 手の甲で口の端についた汚れを拭うと。
「え……?」
 ギルガメッシュは絶句した。

 ――何故。

 思考は凍結し、許容できない現実を前に、ただただ呆然とする。
「な……ん、で」
 この泥は。
 この泥には見覚えがある。
「が――はッ」
 凛を突き飛ばし、ベッドの上にうずくまって口を押さえた。
 ――吐き気が止まらない。
 体内に渦巻く、何か。
 臓腑を灼(や)く、何か。
 ――その正体は明白である。
 この泥は。
 十年前、ギルガメッシュが飲み干した“この世全ての悪”の呪い。
 ――何故。
 何故、今。
 何故、今更。
「ギル――」
「触れるな。これは……毒だ」
 凛は。
 ギルガメッシュの傍らにいざり寄ると、そっと王の背をさすった。
「……離れよ、リン」
 肩を上下させて苦痛に耐える。
「死ぬぞ」
 視線だけは強く凛を射抜く。
 ――この泥は。
 あらゆる生を否定する類の呪い。浴びれば、いかに優秀な魔術師であろうとただでは済まぬ――。
 凛は。
 無言で首を横に振った。
「……リン。王命であ」
「嫌。そんな命令には従えない」
 咳きこんだギルガメッシュの掌から泥が零れる。
 ――無様だ。
 己の命に対する危機感よりも。
 弱々しい姿を臣に見せざるを得ないことに対して強く憤った。
 ――無様に過ぎる。
 寄り添う凛を払いのける力すらない。
「わたしにだって、それが危険なものであることくらいわかるわ……」
 逆流する泥が体内をくまなく穢す。
「――ッ」
 黒い塊をベッドの上に吐き出すと。
 ギルガメッシュは力なく凛の肩にもたれた。
「……愚か者」
 罵る声にも覇気がない。
 ――この温もりは。
 あまりに尊く、愛おしい。
 凛は王の頬に己の頬を寄せると、死の呪いに侵された体を腕(かいな)に抱く。
「……ハ。情けをかけられるような覚えはない」
 ――ああ。
 この温もりとは、あまりに離れがたい。
 悪態をついていなければ、簡単に弱音を吐いてしまいそうで困る。
 ギルガメッシュの強がりに構うことなく、凛は王の体を支える腕に力を込める。
 そして。
 労わるように唇を重ねた。
「っ――」
 ギルガメッシュは夢中で凛の舌を吸う。
 砂漠で得た一滴の雫のように。
 凛の魔力が体内に染み渡る。
 ――ああ。
 もっと、欲しい。
 際限ない欲望を断ち切るように唇を離すと。
 ぼたぼたと、凛の白い胸の上に死の泥が落ち、黒い染みを作った。
「……死ぬぞ、リン」
 こくん、と喉が動き。
 凛は苦しげな表情で口内に残る泥を嚥下する。
「それでもいい。貴方の苦しみが、少しでも和らぐなら」
「……馬鹿な。この泥は無尽蔵だ。おまえのごとき小娘が飲み干すことなど」
「わかってる。それでも、わたしは」

 ――貴方と、一緒がいい。

 再度深く口づけられて、ギルガメッシュはその甘さに酔う。
 互いに。
 夢中で飲み干す。
 ――ああ。
 もっと、
「っ……」
 頬に伸ばされたギルガメッシュの手を払い、顔を背けて凛は咳きこむ。
「リン……無理、を」
 気遣う言葉は凛自身によって塞がれる。
 最早。
 凛に支えられていなければ。
 凛の魔力を摂取しなければ。
 正気を保っていることさえ難しい――。
 噛みつくような不器用なキスに応えながら、サーヴァントの胸中に広がるのは。
 ――虚無。
 どれだけ貪り尽くそうと。
 満たされるわけがなかった。
 最後の力を振り絞って、ギルガメッシュは凛の体を押し返した。
「――もう、よい。充分だ」
 凛の。
 瞳が悲哀に揺れる。
「わたし、じゃ――」
 皆まで言わず。
 凛は俯いて嘆息した。
 ――わたしじゃ駄目なの、と問えば。
 それだけで心が折れてしまうような気がした。
 だから。
「ギルガメッシュ……」
 せめて。
「わたしたち……もっと早く、会えば良かった……」
 ――そうすれば。
「わたしも、貴方も……ひとりぼっちにならずに……済んだのかも、ね……」
 最期くらいは、
 笑顔で別れよう――。
 ぐらり、と娘の体が傾ぎ。
 黒い寝台の上にどさりと倒れた。

「……リン……?」

 顔を覆う黒髪をそっと払いのける。
 息を――していない。
 鼓動も、ない。
 ――ああ。
 どうして。
 得がたいものばかり、掌から零れ落ちていくのか。
「リン……」
 臣になるべきものの名を噛み締め。
 一向に涙が溢れる気配のない両目を呪った。
 ――乾いている。
「いつまで、盗み見をしているつもりだ……?」
 心も、魂も。
 焦げついている。
 視線を上げると――。
 閉めたはずの扉が開いていた。

「――疾く入れ、言峰」

 絶対者の許しの声と共に。
 漆黒の隙間から現れたのは、見慣れた長身。
「我を笑いに来たのか」
 淡々とした響きの底に流れる苛立ちを読み取って、綺礼はにやにやと笑みを深めた。
「永訣の邪魔をするつもりはなかったのだがな」
「……聖杯を得たか」
 神父は無言で肯定を示した。
 ――“この世全ての悪”の泥が逆流しているのも。
 この男が聖杯を得て、十年来の願いを遂げたからに相違ない。
「ここは?」
「杯の“内”だ」
 そうか、と呟いて。
 ギルガメッシュはがくりと凛の上に倒れた。
 ――道理で時間の感覚が曖昧なわけである。
 ここは。
 彼岸と此岸の境界のような地点。英霊にとっては、座に還る一歩手前。生者ならば、あの世に片足を突っこんでいることになる。
 喋る屍である綺礼にとっては、最も相応しい居場所かもしれぬ――。
「不服そうだな、ギルガメッシュ。私が聖杯を得ることは、おまえの望みでもあったはずだ」
「……ぬかせ。十年前とはわけが違う」
「ほう……?」
 心底愉快そうな声で。
 神父は王の傷に刃の切っ先を当てる。
「凛を慰み物にしたのは、時臣師への意趣返しだとばかり思っていたが……本気だったのか? これは驚いたな」
「……」
「ひとりの女に執心するなど、おまえらしくもない」
 ――まったくだ。
 ギルガメッシュは自嘲を浮かべ、マスターたる男を見上げる。
「おまえひとりで、セイバーとあの小僧を始末できたのか……途中で我に泣きついてくるのを愉しみに待っていたのだが」
「衛宮士郎など私の敵ではない。それに、セイバーなら、おまえの宝具と打ち合った後すぐに消滅している」
 致命傷だったのだろう、と綺礼はそっけなく付け足した。
「……そうか」
 結局。
 何も――。
「十年も待った結果が、これか」
 おや、と綺礼は肩をすくめる。
「何を期待していたかは知らんが――サーヴァントたるおまえが、この世界で手に入れられるものなど、何もありはしない」
 勝者は哀れな亡霊に向かって。
 刃に似た言葉を深々と突き立てる。
「それが運命だ、ギルガメッシュ。何度召喚されようと、おまえは何も得られない。……それがおまえの業だ。おまえという存在は、失うことしか知らない」
 ――ただ、失うだけの人生だった。
 綺礼の言は正しい。
 だが。
 それでは、
「凛の言う通りだ」
「――なに?」
 ギルガメッシュは思わず上体を起こす。
 陰鬱な視線は明後日の方へ向けられていた。
「十年間、手をこまねいていたのはおまえの非だ。それほど強く、魂を焦がすものがあるのなら――おまえは、凛と、もっと早く会っているべきだった。そうすれば、或いは」
 運命は。
 変わっていたかもしれない――。
 一方的に言いたいことだけ言うと、綺礼はカソックの裾を翻した。
 ギルガメッシュが止める間もなく、
 靴音が遠ざかる。
 ――止める気など、端からない。
 最早。
 体も、心も、限界だった。
 娘の亡骸に重なるようにしてくずおれる。
 じわじわと呪いに蝕まれる魂に蓋をするように、ギルガメッシュは意識を手放した。

【 BAD END 】

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