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龍王陛下に𠮟られるから

『Delirium』

May


 初夏の清浄な朝陽を浴びる娘の裸体には、情交の痕が残されていた。
 相手など――推測するのも馬鹿らしい。
 この教会で。
 彼の部屋の彼のベッドで、嫌がらせのように――否、『ように』は不要だった――女を抱いてそのまま放置するなんて、この教会の主の所業以外にありえない。
 ――たまに朝帰りしてみれば、これである。
 この教会の神父は間違いなく生臭坊主であるが、色魔の類ではない。むしろ、異性関係は潔癖の感すらある。妻とは十年以上前に死別しており、娘がいるとかいないとか。かの神父は、先の聖杯戦争以前の己を不自然なほど客観的に語る。実際、他人事だろう。あの前と、後とでは、言峰綺礼は別人である。
 ――要するに、己の悪性を発見し、容認したのだ。
 綺礼にそれをさせた張本人は、手持ち無沙汰に室内を徘徊すると。
 ベッドの傍にとって返し、己がマスターに抱かれた――らしい――娘をまじまじと見下ろした。
 乱れた黒髪。
 華奢な体つき。
 女らしい豊かさとは無縁だが、すんなりと伸びたしなやかな四肢は目を引いた。無駄なモノが極力排されているそのフォルムは、娘の性質を如実に反映していた。
 ――悪くない。
 ひとめ見て、ギルガメッシュは遠坂凛をそう評した。
 ごてごてとした虚飾を取り払えば、ほんのちっぽけな中身しか残らぬ人間の多い世の中だが――どうやらこの娘には、それなりの“実”があるらしい。魂の輝きは眠っていても変わらぬ。
 唯一、難点を挙げるとすれば。
 既に、言峰綺礼に喰われているということ。
 ――些事だ。実に、どうでもいいことだ。
 処女は好きだが、処女でなければ抱けないなどという難儀な性癖は持ち合わせていない。人妻を奪うことに抵抗はないし、それよりえぐいことはいくらでもしている。世のあらゆる悦楽を知らずして、なにが王か。
 マスターのおこぼれを頂戴する、惨めなサーヴァント――などという、余人が少なからず抱くであろう下世話な発想に及ぶ暇もなかった。
 なにせ。
『触れてみたいと思ってしまった』。
 考えるより先に、ギルガメッシュはベッドの脇に腰を下ろし、普段からは想像もつかないほどそっと凛の頬に触れた。
 ――触れるだけで済むはずがない。
 そのままゆっくりと上体を屈めて。
 王は無防備な娘の唇を奪った。
 最初は啄ばむように。
 次第に大胆に。
 ――まずいな。
 この状況で凛が起きたら面倒だとか、綺礼が戻って来たら格好がつかないとか、そういう対外的な理由ではなく、実に個人的な理由から湧き出た焦燥であった。
 これ以上、続ければ。
 途中で止めることなど到底出来ぬ。否――。
 ――最早、手遅れ。
 唇の隙間から舌を入れ、より深く口づける。
 安らかな寝息が、わずかに乱れた。
 気付かぬ振りをして、口内を犯し続ける。柄にもなく貪っているという自覚はあった。なにせ、これほど芳醇な魔力(あじ)は、現界してから初めてである。
「――、ん……」
 鼻にかかった吐息が漏れる。
 夢うつつのまま、凛はサーヴァントの首に腕を回す。寝起きの頭の回転率はマイナス方向に定評のある凛ではあったが――寝こみを襲われているにもかかわらず、抵抗は一切なかった。
 むしろ。
 貪られる快楽に身を委ねていた。
「……」
「……」
 唇を離して、至近距離でみつめあう。
 先に――。
 動いたのは、ギルガメッシュ。
「ここが、我の寝所と知っての狼藉か?」
 凛の腕をやんわりと解いて上体を起こすと、傲慢な瞳を魔術師の娘に向けた。
「……」
 ぼんやりとした瞳はあてどなく宙をさまよい。
 結局、己を見下ろす赤に戻って来た。
「……貴方、誰?」
「質問に質問で返すか。――まあ、それもよかろう」
 いつになく上機嫌なギルガメッシュは、黒髪の一房を弄んだ。
「我の名を知りたくば、おまえが先に名乗ることだ。なにごとも等価交換――が、魔術師どもの基本理念であろう?」
「……」
 その間は、思考のためではなく――本当に、単なる反応速度の低下によるものだった。性交の後の疲労のせいか、凛は普段の三割増で寝ぼけている。
「……遠坂、凛」
 だから――。
『トオサカ』の名を耳にした瞬間の、ギルガメッシュのわずかな表情の変化に気付くはずもない。
「貴方は……綺礼の……客人か、なにか……?」
「そんなところだ」
 ――時臣(あの男)に、娘がいたとは驚きだ。
 凛の素性を正確に看破したギルガメッシュは、起き上がろうとした凛をベッドに沈めた。
「……なに?」
「なに、ではない。我の寝台でのうのうと惰眠を貪っておいて、ただで帰すと思うのか?」
「思うわ」
「な――」
 さすがのギルガメッシュも絶句した。
「だって……綺礼の客人ということは、この部屋は借り物ってことでしょう? この部屋も、このベッドも、貴方のものじゃないわ。教会のものよ。それをわたしが占有していることに、抗議する権利があるのは綺礼だけ。貴方に文句を言われる筋合いはないわ」
 小賢しいことこの上ないが、至って正論である。
 凛は疲れた様子でため息をついた。
「そう……ここ、綺礼の部屋じゃなかったんだ……ほんッと、どうしようもない悪趣味ね、あの似非神父……」
「おまえは――言峰の愛人ではないのか?」
「……うわ。冗談きつい」
 本気で嫌がっているらしい凛の横顔を、ギルガメッシュはまじまじとみつめる。
「なんだ、違うのか」
「どんな大金積まれたって、ありえないことだわ。……いえ、そうね、額によっては……」
 一瞬悪い誘惑に駆られた凛であったが、ぶんぶんと頭を振って追い払った。
「うちの財産すっからかんにした男に期待することなんてなにもないわ、ええ。……と、ところで。あの」
 年季の入った鬱憤を吐き出すと同時に、ようやく倦怠感も去ると。
 途端、凛は羞恥に顔を火照らせた。
「服を着たいから……その。どいてくださらないかしら」
「はあ!?」
「は――」
 はあってなによ、と凛はわめき返す。
 ギルガメッシュは心底憤慨した様子でこめかみをひくつかせると。
 不意に。
 ぞっとするほど優しげな笑みを浮かべて、凛の耳元に口を寄せた。
「我の褥で、裸で寝ているおまえが悪い」
 凛はびくりと身をすくませる。
「我を受け入れたおまえが悪い」
 寝ぼけていた――という言い訳が通用する相手でないことは、凛にもわかった。寝ぼけていても、この男の口づけはたしかに心地良かった。
「我をその気にさせた、おまえが悪い」
「……っ」
 凛はぎゅっと目を瞑る。
 ――少々いじめ過ぎたか。
 満足そうな笑みと共に、凛の唇を舐めた。
「操を立てた相手もいるまい、なにを臆することがあろうか。……まあ、背徳感で濡れる女もいるが」
「……別に。臆してる、わけじゃ」
 そっと開かれた青い瞳は、落ち着かなげに揺れている。
「男は嫌いか?」
「別に……そういうわけじゃ……」
 ギルガメッシュは辛抱強く、凛の煮えきらぬ答えに耳を傾ける。
「……ううん。本当のところは、よくわからない……。だって、男のひとって……綺礼しか、よく知らないもの……」
「では、これから知れば良い」
「――ッ――」
 男の手が娘の膚を撫でた。
 触れられたところが熱い。
 触れられただけなのにぞくぞくする。
 もっと触れて欲しい――のかも、しれない。
 手早く服を脱ぎ捨てて己の上に跨り直す男を、凛はぼんやりと見上げる。
「わたし……」
 何が起こっているのかよくわからない。
 だが、これから何が起こるのかは大方予想がつく。
「貴方の名前、まだ聞いてない……」
「――ああ」
 そうだったな、と呟いて、ギルガメッシュは尊大に告げた。
「ギル、と呼ぶが良い。真名を秘するは、魔術師の間では珍しくもなかろう」
「偽名……?」
 愛称だ、とそっけない返答。
 凛はそれ以上追究せず、男の腕に指を這わせる。
「貴方、魔術師なの……?」
 昨今、体を鍛える魔術師は少なくないものの――筋肉質な体である。教会の代行者の方が余程似合っている。
 否。
 本当に、代行者なのかもしれぬ。なにせ、綺礼の――わりと気が置けない感じの――客人だ。
「協会も、教会も、関係ない。……言峰とは個人的な付き合いだ。立場上、魔術師の知り合いは多いが、我自身は魔術師ではない」
「そう……」
 凛はうっとりと愛撫を受け入れる。
 ――こんなにひどい出会い方なのに。
 嫌悪感は微塵も湧かなかった。綺礼の知り合いだから気を許した、というわけでは絶対にない。あの似非神父と個人的な付き合いがあるような人間は、むしろ警戒すべきである。
「ん――」
 唇を塞がれると同時に、体の奥深くまで穿たれた。
 悲鳴は飲みこまれ、熱い視線が交わされる。
 ――痛い。
 苦しい。苦しい。息が出来ない。
「ッ……、ぁ……っん……」
 痛いから抜いて欲しいのに。
 苦しいから動かないで欲しいのに。
 制止や拒絶の言葉が紡がれる気配はなかった。
「――、……きついな」
 笑みを含んだ囁き。
 凛の体を抱え直し、更に深い場所で繋がる。
「――ッ!? あ、……い、や……ぁ……」
 いますぐ解放して欲しいのに。
 ――離れられるわけがない。
「そ……んな、おく……っ、……誰にも、触れられたことない……っ、のに……!」
「なんだ、言峰のやつ……手を抜きおって……」
 それは。
『仕方のない』ことだ。
「……綺礼に、抱いてって頼んだの、わたしだから」
 赤い瞳が驚きに見開かれたのは、ほんの一瞬。
「言峰のことだ、頼まれれば断るまい。……フン。よりにもよってアレを選ぶとは、おまえも男を見る目がないな」
「そ――んなの、言われなくてもわかってるわよ。仕方ないじゃない。綺礼以外にそんなことを頼める相手、いないもの」
 ほう、とギルガメッシュはせせら笑う。
「引く手数多、と豪語するかと思えば。今時、身持ちの固い娘など流行らんぞ」
「……だって、わたし、魔術師だもの」
 ぽつりと。
 凛は投げ遣りに呟いて、ギルガメッシュの背に腕を回した。
「遠坂の当主で、冬木の管理者で、魔術師だもの。……普通の女の子みたいに生きられるわけないじゃない。本当に、綺礼ぐらいしか……その辺の事情を全部知ってる人間、いないのよ」
 熱い膚を通して伝わってきたのは、地中深く眠る鉱石の冷たさ。
 孤独という名の、不治の病。
「何故」
 ――それは。
 ギルガメッシュもまた、長らく患っているもの。
「言峰に、抱かれようと思った?」
 口にしてから、実に下らない問いだと内心自嘲したが――。
 返ってきたのは、陰鬱な、至極真面目な答えだった。
「わたしね――」

 ――昨日、母を殺したのよ。


   *


 そぼ降る雨の朝。
 遠坂葵の葬儀――といっても、参列者はいなかったが――は、冬木教会でつつがなく執り行われた。最愛の夫の隣に埋葬される妻は、さぞや幸福であろう。夫婦の両隣は他人の墓である。外道神父の教会の敷地には絶対に骨を埋めまいとする、凛の密かな決意の顕れかもしれぬ。
 母を殺した、という凛の言の真相は、実にあっけなく明らかになった。
 ――これ以上、延命措置をしないことに、同意したというだけの話だ。
 葬儀を終えて私室に戻って来た綺礼は、ギルガメッシュの問いに淡々と答えた。サーヴァントのベッドで凛を抱いたことについての謝罪はまだない――というより、未来永劫、それについて綺礼が頭を下げることはないだろう。綺礼とギルガメッシュが契約関係にあることは揺るぎない事実だが、単純な上下関係、使役する側される側で片づけられぬ微妙な距離感と緊張感がある。前回の聖杯戦争以来、綺礼の嫌がらせは日常茶飯事であり、ギルガメッシュがその程度で本気を出して立腹することはない。
 ――あの女が十年前、間桐雁夜に殺され損ねたことは、おまえも知っての通りだと思うが。
 そんなことを一々覚えているはずがない、と返すと、綺礼はさもありなんとせせら笑った。
 ――正直、十年ももつとは思わなかった。凛がかいがいしく世話を焼いたおかげかもしれんな。
 だが。
 娘の献身にも限界が訪れた。
 それが。
 あの日の、前日――。
 ――わたしって、とことん冷血なのよ。自覚はしていたけど。
 母を殺したと語った娘は、自嘲気味にそう続けた。
 ――父のときもそうだったけど。母が死んでも、ちっとも悲しくなかった。自分が殺したっていうのに、なんの感慨もなかった。
 不用だから切り捨てた。
 ただそれだけだ、と凛は嘯く。
 ――悲しいとか寂しいとか、そういう感情を持てれば良かった。身内の死に、そういう思いを抱くのが、まっとうな人間ってものでしょう?
 ギルガメッシュに問いかけるというよりは。
 ほとんど独白の体であった。
 否――。
 告解、に近いのかもしれぬ。
 ――なにも、無かったわ。事務処理をした後の、機械そのもの。……わたしは、多分、母を愛していたんだと思う。『愛するひとを殺しても、なんとも思わなかった』。そんな自分に、とても失望したのよ。
 だから。
 母を殺した罪悪感から、自暴自棄になったのではない。
 母を殺してもなんとも思わぬ自分が、ひどく無価値なもののように思えて――。
 言峰綺礼に抱かれたのだ、と魔術師の娘は吐き捨てた。
 自らを罰するつもりだったのか、と問うと。
 罰を与える価値すらない、と答えた。
 その瞳があまりに真っ直ぐで――。
 だから。
 その瞬間、ひとめ惚れ『し直した』のだと思う。
 ギルガメッシュはタクシーを降りると、深山町では有名な“幽霊屋敷”こと遠坂邸を見上げる。この屋敷を訪ねるのは十年ぶりだが、懐かしさは微塵も湧かぬ。
 ――ここに。
 十年もひとりで寝起きしていた娘に思いを馳せていた。
 内心胸躍っていることなど微塵も感じさせぬ無表情で、門をくぐり、玄関の呼び鈴を鳴らした。
 程なくして。
 若き家主が姿を見せた。
「――え?」
 驚きに目をみはる凛を押しのけるようにして家に入ると。
 ギルガメッシュは尊大にのたまった。
「なにを呆けている? 今日からこの家に住んでやろうというのだ。本来ならば、五体投地して迎え入れるが道理である」
「……はあ?」
 凛は思わず眉を顰める。
「え……住む……って、なんで……?」
 が、その表情はすぐに当惑に塗り替えられる。
 ギルガメッシュは腰に手を当て、なおもふんぞり返った。
「我がどこに住もうと我の勝手であろうが」
「……それは、まあ……そうだけど。貴方、綺礼の客なんでしょう?」
「だから。どこに住もうと我の勝手だ。言峰の許可などいるものか」
 凛を顎に手を当てて首を傾げる。この珍事を、神父に報告すべきか否か――。
「そも、我はこの家の客だったのだ」
「――え?」
 ギルガメッシュのなにげない呟きが耳に入り、凛は思考の海から浮上する。
 なんでもない、と男はひらりと手を振った。
「おまえには関係のないことだ。……二階の東の部屋はまだ空いているな?」
「え、ええ。空き部屋ならいくらでも……というか、ちょっと待って。本当に、住むの?」
 フムン、とギルガメッシュは唸る。
「ここまで来て冗談を言うほど暇ではない。荷物は明日届くゆえ、我の部屋まで運ばせておけ。……どうした?」
 凛は。
 ぎゅっと両拳を握ると、真正面からギルガメッシュを見据えた。
「貴方は、わたしに同情しているの?」
 気丈に胸を張る遠坂の当主を。
 黄金の王は静謐な瞳でみつめ返した。
「憐れな娘だと――守ってやらねばならぬ無力な女だと、そう思っているの? だったら勘違いも甚だしい。とんだお節介だし、大きなお世話だわ。わたしはこれまでひとりでやってきたし、これからもひとりで生きていくのよ。わたしの自立を妨げる権利なんて、貴方にはない。一度体を許したくらいで、いい気にならないで」
 痛烈な言葉に。
「――ク」
 返ってきたのは、哄笑。
「は――ッ、ハハハハハハハハハハ! ……よかろう。その非礼、全て赦そうではないか。今生で、我に向かってかような口を利いた女は初めてだ、実に興味深い」
 粘着質の視線を凛に這わせた後。
 ギルガメッシュは笑いを噛み殺しつつ続けた。
「誰も、おまえをそんな安い女とは思わぬ。しかし、まあ……ククク。いい気なるな、ときたか。この我に対して」
 徐に一歩踏み出し、青い瞳を覗きこんだ。
「そんなに我を煽って、どうするつもりだ……? おまえを屈服させることなど、造作も無いのだぞ」
「わたしは」
 凛も負けじと赤い一対に挑みかかる。
「屈服なんてしないわ。わたしは誰にも支配されない。わたしの主は、わたしだけよ」
「ふふん。その言葉、ゆめ忘れるな」
 上機嫌に鼻を鳴らすと、ギルガメッシュはさっさと踵を返した。
「……どうして」
 その背に。
 凛は思わず弱音を吐く。
「そんなに、優しいの……?」
 あれだけの啖呵を切った本人とは到底思えぬ。
「わたしは……本当に」
 遠坂凛という魔術師は強くとも。
 遠坂凛という女は、脆い。

 ――ひとりぼっちでも、良かったのに。

 その強がりには応えず。
 ギルガメッシュは迷うことなく、家の奥へと消えた。


July


「――と・お・さ・かっ!」
「ッ――!!」
 声にならぬ悲鳴を上げて、凛は椅子から飛び上がった。
 一方――。
 驚かせた張本人はばつの悪い表情で三歩ほど後退した。
「あ……あはははははは~、悪い悪い。そ、そんな驚くとは思わなくってさぁ……」
 はあ、とひとつため息を吐いて椅子に座り直すと。
 凛は悪友兼天敵をじとりと見上げた。
「いきなり背後から目隠しされれば普通驚くわ。……で。何の用、綾子?」
「何の用、じゃないわよ」
 すっかりいつもの調子を取り戻した美綴綾子は、腕を組んで凛に詰め寄った。
「いつになく察しが悪いわね、遠坂。今日は終業式で明日から休み――とくれば、することはひとつしかないでしょ」
「早目に課題を済ませておくことをお勧めするわ」
「あっはっはっはっは! そんなの最終日に実典を総動員するに決まってるじゃない!」
「……弟さんが心底気の毒だわ」
 もっとも、この年までこんな風にじゃれているのだから、案外仲の良い姉弟なのかもしれぬ。
 まァそんなことはどうでもいいんだけどさ、と綾子はあっさり話題を戻す。
「とにかくどっか遊びに行かない? 弓道部(ウチ)の一年の中でも上玉を取り揃えておいたからさァ、遠坂のお眼鏡にも適うという自負がある」
「接待されたいのは山々だけど、わたしはパス」
「え。なんでよ。正当な理由がない場合、勾引することも吝かではない」
 凛はやれやれと肩をすくめる。
「美綴法(ルール)を作るのは止めなさい。あと、基本的人権を盾に断固拒否する」
 むう、と綾子は眉根を寄せた。
「人助けだと思って付き合いなさいよ。アンタを餌にしてメンバー固めたんだから。パンダはパンダとしての役割を果たしなさいっ」
「……だから。本当に今日は忙しいんだってば」
 凛はテキストを鞄に仕舞うと、徐に立ち上がった。
「あァ、そうなの。なんだ、つまんなーい」
 実にあっさりと引き下がった。綾子のこういう気風の良さのお陰で、いまだに無理なく友人関係を続けられているのだと思う。
「じゃあ、休み中にまた誘う――」
「あァ、ごめん。多分、それも無理だと思う」
「――わ、って。え? なにそれ。聞いてないわよ、ソレ」
 当たり前じゃない、と凛は首を傾げる。
「だって、言ってないもの」
「……。なんか、危ないバイトでもするの? 捕まらない程度にしときなさいよ。アンタが退学しちゃったら、面白くないし」
「何故そういう発想になるのか小一時間ほど問い詰めたいのだけど……まあいいわ。バイトじゃなくて留学――というより、遊学、の方が語感的に合ってるかしらね。冬木にはほとんどいないことになってるから」
 え、と綾子は言葉を詰まらせた。
「う……嘘だろ? 交通費ケチってどこにも行かない遠坂が?」
「ケチで悪かったわね」
 吝嗇は遠坂凛の重要な構成要素のひとつである。
「自腹だったら絶対行かないわよ。……ちょっとまとまったお金が入ったの。来年は、ほら、進学の準備で忙しいだろうし。若い内に色々見ておきたいなと思って」
 ふーん、と深刻そうに肯く綾子。
「アンタの志が高いのはよく知ってるけども……そのお金、ちゃんと洗浄済み? アシついちゃったら大変よ」
「いやなんで汚いことが前提なのか……」
 ピカレスクの読み過ぎではなかろうか。
 凛は頭を抱えつつ鞄を肩にかけた。
「……要するに、『あしながおじさん』が見つかっただけよ。ほら、わたし、両親いないでしょ?」
 綾子はきょとんと凛を見返すと。
 ニヤリと笑って敬礼した。
「そうかいそうかい……海外での健闘を祈るよ」
「ありがとう、綾子。貴女も元気で」
 いつもの微笑。
 いつもの横顔。
 だというのに――。
 その後姿は、蜃気楼のように遠く、果敢なく感じられた。
 ――ああ。
 遠坂凛が、行ってしまう――。
「……綾子ちゃん、どうしたんですか?」
「ひぇ――っ、あ、いやなんでもっ!?」
 ぱたぱたと目の前で手を振る三枝由紀香に不審すぎる対応をすると、綾子はため息と共に肩を落とした。
「どうも、してないから……大丈夫」
 今度は由紀香が慌てる番だった。
「そ、そそっ、そうですかっ? 余計なことしちゃってたらごめんなさいっ。そのあのなんていうか……綾子ちゃんが、とっても……うん。寂しそう、だったから」
「あ――っはははははは! あたしに向かってそんなこと言えるのは、三枝さんだけだね!」
 豪快に笑い飛ばす綾子に、由紀香は尚も気遣わしげな視線を向けた。
「そ、そうかな? 綾子ちゃん、たまに、とっても切ない顔してるけど……」
「――うぐっ。それはなるべく他言無用でお願いしたいな、三枝氏」
「え? それはもちろん誰にも言わないし、言ったところで信じてもらえないんじゃないかなぁ……」
 頬をかきつつ照れた笑みを浮かべる由紀香。
 うんうん、と綾子は何度も肯く。
「言われてみればそうだった。にしても、人のことよく見てるよ、三枝さんは。衛宮の次くらいに恐ろしい」
「ふぇっ? そ、そうかなぁ……」
 由紀香はひたすら恐縮している。
「わたしは、別に、恐がられるようなことはなにも――」
 そう言いつつ、なにげなく窓外に視線を遣ると。
 見慣れぬものを発見した。
「ん? どした?」
 綾子も窓際に寄ってグラウンドを見下ろす。
「……また、あのひとだ」
 由紀香は静かに息を飲む。
 件の人物の姿は、グラウンドの向こう――校門脇にあった。
 豪奢な金髪にすらりとした長身。遠目に見ても、存在感と、そこはかとない威圧感がある。学舎にはあまりに不釣合いなそのガイジンを、学生達は咎めるどころか、憚ってそそくさと通り過ぎる始末。
「また?」
「うん……グラウンドの整備を手伝ってるときにね、話しかけられたことがあって」
「英語で?」
「ううん、日本語上手だったよ」
 それきり。
 会話は途絶えた。
 綾子も由紀香も、眼下の光景を食い入るようにみつめる。
 金髪の男に。
 ひとりの女子学生が駆け寄った。
 ふたりは二言三言交わすと、慣れた様子で手を繋いで去って行った。

「……遠坂」

 様々な感情がない交ぜになった呟きを、由紀香はあえて聞き流した。
「遠坂さんの、お父さんの、お知り合いだって言ってました。……綾子ちゃんは、会ったことなかったですか?」
「なんだ……ふうん。そっか」
 妙に納得した顔の綾子を、由紀香はおずおずと窺う。
「遠坂ったら、ちゃんとカレシがいるんじゃないの」
 心配して損した、と嘆息する綾子。
「いえあの……どっちかっていうと、家族、じゃないかなぁ」
「家族? フィアンセってこと?」
 ずけずけとした物言いに、由紀香は困った顔でうぅぅと身をすくめる。
「遠い親戚だって言ってたし、一緒に住んでるみたいだし……遠坂さん、ご両親がいないから……」
 神妙に語尾を濁した由紀香に向かって。
 綾子は目を瞬いてみせた。
「え? それって設定じゃなかったの?」
「遠坂さんのお母さん、この前亡くなったばっかりだよ! ――あ、そうか。綾子ちゃん、部活だったから聞いていなかったっけ」
 たしかに――。
 先月か先々月に、凛が忌引きで休んでいたことは知っている。だが、あえて、詳しいことは訊かなかった。休んだ日数もたしか二日か三日で、近親者の死とは到底思えなかった、ということもある。
「――あたし」
 呆然と。
「遠坂のこと、なんにも知らなかったんだね」
 愕然と呟く。
 ――友人が、聞いて呆れる。
 由紀香は苦笑した。
「遠坂さん、あんまり自分からそういうこと、言わないから……」
 それが。
 遠坂凛の在り方であり。
 彼女の矜持の顕れなのだろう。
「……なんて、友達甲斐のない」
 誰にともなく吐き捨てると。
 綾子は由紀香に背を向け、二年A組の教室を出て行った。


   *


「ん――ッ、ちょ、ちょっと、ギル……止めて、ってば」
 温かな明かりの灯る屋敷に、夕餉の香りが満ちていた。
「どこ、触って……ひゃんっ!?」
 菜ばしをつかもうとした手が空を切る。
 凛を背中から抱き締めたギルガメッシュは、満足そうに、娘のうなじに顔を埋めた。
「……我のことは気にするな。調理を続けよ、リン」
「ば、ばか……っ、そ……なの、ムリ……っ!」
 一ヵ月半共に暮らしてみてよくわかったのだが――。
 この男、異常なほどに寂しがり屋である。
 遠坂邸に起居するようになってから、おとなしく自室で寝たのは数えるほど。特に理由もなく凛のベッドにもぐりこんで一晩明かすか、リビングのソファで凛を拘束したまま眠りについた。凛が拒絶すると、翌朝機嫌がすこぶる悪いから始末に終えぬ。
 夜だけならば、まだ許容範囲だった。
 同棲して日も浅い頃、凛のベッドで眠るギルガメッシュを放置して、さっさと登校したことがあった。無論、朝食は作っておいたし、書置きもした。何も問題はない。問題の起こりようがない。
 だが。
 昼頃、学園に現れたギルガメッシュは、大層ご立腹だった。
 ――わけがわからない。
 凛が学生であることを承知しているのだから、学生らしい生活をしたところで咎められる謂われはない、とまくし立てたら、そういう問題ではないと一蹴された。やはり、意味不明である。
 それ以上説明する気のないギルガメッシュに、校内で散々セクハラされた後、下校時にまた捕まって、新都での豪遊に付き合わされた。あれは本当にひどかった、と凛は思う。
ギルガメッシュは凛を、愛人兼召使いか何かと勘違いしている節がある。
 そう――この男。
 過剰なスキンシップ――というか、端的に言って、性的関係である――を、凛に対して四六時中求めてくるのである。それはもう、鬱陶しいことこの上ないほどに。
 いいかげんにして欲しい、と凛が苦言を呈すと。
 ――これでも昼日中は自重してやっているのだぞ。
 という、尊大な返答。むしろ、それは自重して当然のことである。威張るところではない。断じて。
「ひ……ッ、や……ぁ」
 辛うじてコンロの火を消す。鍋を焦がしてしまったら悲惨だ。
「……なんだ、リン? もう濡れてしまったのか?」
 本当に感じやすいのだな、と耳元で囁く。
「あ――ッ、貴方が……いやらしいこと、ばかり……するから……っ」
「フン。……まあ、たしかに、おまえを開発したのは我だが。元来、感じやすい体質であろう。自覚はなかったか?」
「あ……ッ……あるわけ、ないわよ……っ、そん、なの」
「そうか」
 感慨深げに呟くと、ギルガメッシュは下着ごしに凛の体をまさぐった。
「では、おあいこだ。我とて……おまえをこれほど愛でるつもりはなかった」
「――んっ、あ……」
「おまえがあまりに――我を、煽るのでな」
 快楽に溺れながら、流されまいとする体が愛しい。
 男を受け入れながら、絶対的に拒絶する心が憎らしい。
 遠坂凛という娘は、まったくもって、ギルガメッシュの好みではないのに――。
 何故だか、ひとときも手放せぬ魔力があった。
「そんな、こと……わたし……してない……っ!」
「おまえはそのテのことが無自覚に過ぎる。いったい、どれだけの男を惑――いや、そうだな。実質被害はないのだったか」
「なに、よ……ひとを、歩く災厄みたいに……」
 魔術師としての生き方を貫く遠坂凛が、誰かと必要以上に親しくすることはなかったし、これからもないだろう。
「貴方の方、が――っ、ずっ、と――ッん」
 凛はびくりと体を震わせた。
「我の方が、なんだ?」
「……女たらし、なんでしょう? だって、上手すぎるもの。女の扱いが」
 ギルガメッシュは。
 しばしきょとんとすると、不意にニヤリと笑った。
「ほう……? それは、つまり、嫉妬か?」
「アンタの女性関係なんて心底どうでもいいわよ。……というか、否定しないのね。どんだけ自信家なの」
「事実だからだ」
 凛は思わず眉間に皺を寄せる。
「数多の女を抱いたのは、事実だ。……半分以上は義務だったが」
「仕事、ってこと? ハニートラップでもしていたの?」
「まあ……そうだな。職務の一環という意味では、あながち間違いでもないか」
 珍しく婉曲な言い回しをしたギルガメッシュをそれ以上追究することなく、凛は静かに嘆息した。
「別に、偏見とかはないから。気にしないで。ただ、セックス依存症の疑いはいまだに濃厚よ、貴方」
「だから我は色魔の類ではないと何度言ったら」
 ぐぬう、と唸るギルガメッシュに。
 凛はくすりと微笑をこぼした。
「はいはい。普通の人よりちょっと性欲が強いだけね。……ところで、ギル」
 なんだ、とギルガメッシュはぶっきらぼうに応じる。
「そろそろ離してくれないと、今日のお夕飯抜きになるんだけど」
「はあ……? だから、我のことは気にせず調理に勤しめと言ったはずだが?」
「ば――ッ」
 ばかじゃないの、と凛は真っ赤になって憤る。
「こ、こんな状態で……っ……、できるわけない、でしょっ?」
 抗議の声も、いつもの凛に比べれば、大層弱々しく――艶かしい。
 フン、とギルガメッシュは鼻を鳴らした。
「言われんでもわかっている」
「ひ……ッぃ……ん……だ、だったら――!」
「我が離れたところで集中できまい。……まったく。色情狂はどちらだ? この程度で腰砕けになりおって……」
「――あ」
 貴方のせい、と凛は喘ぐ。
「ぜん、ぶ……貴方のせい……! こんな……っ……こんな、体に、したの……わたしを、こんな風にダメにしたの……、っあなた、じゃない……!」
「――いかにも」
 その通りだが、とギルガメッシュは嘲笑(わら)う。
「おまえとて、それを望んだ」
「……それは」
 凛はぎゅっとギルガメッシュのシャツの裾をつかんだ。
「それは……違うわ。わたしは、貴方の優しさに甘えているだけ」
「甘やかした覚えはないがな」
「ねえ、ギル」
 か細い声で。
 凛は己を抱く男に問う。
「いつまで、冬木にいるつもり……? いつまで、この家で暮らすつもりなの? いずれ、別れが来るのだったら……いますぐ別れた方がいいのだと思うわ。……だって、わたし」
 あまりに切実な。
 真情の吐露。
「貴方が、いなくなってしまったら……どうやって生きていけばいいのか、わからない……! 忘れてしまったの。全部、忘れてしまったのよ……どうやって、ひとりで生きていたか。貴方の存在が大き過ぎて、ひとりで生きていた頃のことが全然思い出せないの――ッ!」
 幸福であることの苦悩。
 ――娘の懊悩の正体を、ギルガメッシュはよく知っている。
「だから、お願い。わたしを、捨てて……。どうせ捨てられるのなら、早い方がいい。わたしが……貴方に相応しくないってこと、最初から、わかっていたから……」
 凛をきつく抱き締める。
 華奢な娘の体は尚も震えていた。
「……我の、真名を知ったのか?」
 知るわけがない。綺礼がわざわざ告げ口をすることはないし、凛自身がそれを知るための行動をしたこともない。
 だから。
 無意味な問いだ。
 或いは、知って欲しいと思ってしまったのか――。
 その全ての煩悶を打ち消すように、ギルガメッシュは凛の耳元に口を寄せた。
「おまえが我に相応しいか、どうか――それを決めるのは、我だ」
 震えは止まり。
 拒絶は許容に移行した。
「……ずるいわ」
 甘えるように囁き返す。
「そうやって、たくさん……女を泣かせて来たんでしょう?」
「我の遍歴になど、興味はないのだろう?」
「ええ。……聞きたくないわ、そんなもの。当たり前でしょう」
 凛は。
 無理矢理笑みを浮かべた。
「聞いただけ、気分が悪くなるだろうし。聞いたって、貴方を愛する気持ちは変わりようがないもの。だったら、聞くだけ損ってものだわ」
 あっけらかんとした答えに。
 ギルガメッシュは思わず苦笑した。
「……リンらしい」
 そして。
 下着を脱がし、熱い膚に直接触れた。
「ちょっ、ちょ――ちょっと待って、ギル!」
「なんだ?」
 凛の首筋を噛みながら物憂げに質す。
 さて――。
 何と主張すべきか。
 否(いや)、言うべきことは明白である。
「……ここで、するの……?」
「無論」
 即答だった。
 唖然とする凛を抱え直し、シンクに片膝をつかせると、片手で器用に自身の身支度を整えた。
「う――嘘でしょ? そんな、いきなりはい――ッ」
「挿入(はい)る」
「――う――ッあ――!」
 ギルガメッシュの宣言通り、凛は易々と男を銜えた。
「ふふん……おまえの体なぞ、隅々まで、リサーチ済だ」
「や、め……そん……っ、な……急に――」
「どこが急なものか。朝からさんざ焦らしておいて……」
「ん……ッ、それは……貴方が、勝手に」
 出掛けに、今日は学校が午前中までだと告げたら、では午後丸々我に付き合えと間髪入れずに返され、実際延々と旅行代理店巡りをした。この苦行、完全な冷やかしであるから、不毛なことこの上ない。行く場所も、日程も、全て決まっている上で、『ここを目的地とした最高のプランを提示してみよ』などとほざくのだから、ギルガメッシュの厚顔さといったら。
「それとも、また、学校で抱かれる方が良かったのか……?」
「ば――っ、ばか! 思い出させ、ないで……!」
「我はどちらでも良いが。どちらにしろ、リンが良い声で鳴くことに変わりはない」
「……っ……うぅ」
 凛は赤面して俯く。
「こんなこと、してたら……っ、そのうち……おかしく、なっちゃう……」
「――そうか」
 凛の内部をゆっくりと穿ちながら、ギルガメッシュはため息混じりに呟く。
「我は、もう、とっくに――」
 ――ひとりの女に執着している時点で、己は既に破綻している。
 王として、赦されざることだ。
 サーヴァントとして、あってはならぬことだ。
 だから、これは。
 束の間の夢に過ぎぬ。
「……ぎ、る?」
 顔を振り向かせた凛の唇を奪い、雑念を追い払う。
「ふ……ッむ……、ぎる……」
 舌先を絡めては離し、飽きずに繰り返す。
 熱く蕩けた瞳が。
 ごくりと鳴った喉が。
「リン……」
「ぃ――あっ、や……ぁ!」
 どうしようもなく扇情的だった。
「ぐ……っ、う――ッ、く……ぁ……」
 不安定な体勢で貫かれているせいで、体の最奥への衝撃を緩和しきれない。体重を支えるべき両腕に力は入らず、腰をつかむ男の両手に体を預けきっていた。
「……だめ……おく、あたって、る……」
「当てている」
 ごりごりと膣奥を擦ると、凛の体が文字通り跳ねた。
「ぃ……や……いや、ぁ……」
 ぽたりと。
 床に愛液が滴った。
「体は正直だな」
「ち、が……もう……やめ、て……ッ」
 必死の懇願はあえなく無視された。
「ッ――!」
 凛の唇を塞ぎ。
 一際強く突き上げる。
「――、は――ッ」
 弓なりにしなった背が。
 男の袖をつかんだ手が。
 爪先立ちになっている片足が。
 全身で――与えられた快楽の強さを伝えた。
「……悦(よ)かったか?」
 凛は、ただ、荒い呼吸を繰り返した。
「言葉に出来ぬほど悦かったか」
「……ん……っ、ばか……」
 悪態とは裏腹に、凛の内腿ははしたなく濡れていた。
 腰を動かすたびに、結合部からはとろりと愛液が零れ、膣壁はきゅうきゅうとギルガメッシュを締め付ける。
「もう……いい、でしょ……っ。ぬきなさい、よ……」
 ――まったく。
 どこまで素直でないのか、この娘は。
 だが、確実に。
 それすら愛おしいと感じている。
「……難儀なことだな……」
「え……?」
 凛は思わず驚きの声を上げる。
 唐突な解放感と、若干の物足りなさ。
 上げていた片足は痺れており、シンクに両手を突いて、辛うじて立っていた。
「な、に……?」
 ――何を考えているのだろう。
 抜けと言われて素直に抜くような男でないことは、百も承知している。それでも、一時的にしろ、凛との繋がりを絶ったということは、何か良からぬことを企んでいるに相違ない。
 ギルガメッシュは。
 凛を軽々と抱きかかえると、リビングに向かった。
 そして。
 ソファの上に、凛の体をぞんざいに放った。
「ちょ――、アンタねえ……」
「仕切り直しだ」
 当然のように宣言すると、ギルガメッシュは凛の上に覆いかぶさった。
「……。最初から、こっちですれば良かったじゃない」
「それでは面白くなかろう」
「面白――さなんて、求めてないから」
「おまえの都合など知るか。我の嗜好だ」
「……。変態」
 ギルガメッシュは怪訝そうに首を傾げる。
「とうに理解していると思っていたが。今更気付いたのか?」
「……ばか。最初から、知ってたわよ」
「……」
「なによ?」
「いや。おまえは本当に我を飽きさせぬと、感心していたのだ」
 そっと頬を撫でると、凛はくすぐったそうに身を捩った。
「そ……そう? お褒めにあずかり光栄だわね」
 凛もまた。
 ギルガメッシュの顔を両手で包んだ。
「……続き……」
 青い瞳が。
 戸惑うように伏せられた。
「して……」
 赤い瞳を細めると。
 ギルガメッシュは凛に口づけを落とした。
「――ッふ」
 膚と膚が触れ合うたびに。
 体の境界が曖昧になる。
「ギル……」
 指と指を絡め。
 舌先と舌先を絡め。
 下腹同士を擦り合わせる。
「っん……す、ご……あつ、い……」
 ギルガメッシュはふっと笑みを零し、凛のシャツを脱がせた。下着を剥ぎ取り、形良い乳房を乱暴に揉みしだく。
「――ぁ――く……っ」
 普通の女ならば苦痛を訴えるであろう強さで玩弄する。歯を立て、ねじ伏せ、愛情と所有の証を刻み込んでゆく。
 凛は陶然と。
 己の体を貪る者の頭を抱いた。
「ふ、ぁ……だめ……ぇ……」
 燦然たる魂と。
 強靭な精神と。
 釣り合わぬ、被虐的な体。
「……まったく。おまえの方が、よほど……」
 その歪さに。
 欲情していた。
「ん――っ、おへそ……よわい、の……ぉ」
 ――弱いから責めているのだろうが。
 凛の内腿が切なげにギルガメッシュの脇腹を擦る。
「いや……んっ……や、だ……っ……ギル……」
「どうした? もう止めるか?」
 ぺろりと膚を舐めて、挑発的な視線を浴びせる。
 凛はびくりと体を震わせた。
「――ぁ――」
 言葉は続かなかった。
 凛は。
 気まずそうに口を引き結び。
 恨めしげにギルガメッシュを見上げた。
「どうした? 止めるぞ」
 始めるときは恐ろしく強引なくせに、気が乗らなければ、たとえ絶頂直前でも行為を止めてしまうのがギルガメッシュである。
 そんなことをして苦しいのはアンタじゃないの、と憎まれ口を叩くと、我を誰だと思っているのだと無意味に威張り返された。この男の正体など、凛は知らぬ。
 ――イきたいのならば、それ相応の努力をせよ。
 つまり、最後までしたいのなら、最後までその気にさせろ――と言っているのである。
 実に、無茶苦茶である。
 だが、同時に――。
 とても、この男らしい、とも凛は思う。
 ――何者か知らぬのに、『らしい』などと言うのはおかしな話だが。
「……うぅ」
 羞恥のあまり顔を覆った両手は、ギルガメッシュによって呆気なく取り払われてしまった。
「リンは我にどうして欲しいのだったか」
「……っ……」
「言わねば止めるぞ」
 ――最悪な脅迫である。
「い……言ったら、ちゃんと……言った通りに、してくれるの?」
「ああ」
「本当に?」
「二言はない」
 凛は知っている。
 ――この男は、嘘はつかない。
「あ……貴方、に」
 それ以上。
 言葉は出てこない。
「……うぅ」
 再び凛は顔を覆った。
 ギルガメッシュは辛抱強く待つ。――待つ時間すら愛おしい。
「……さっき、みたいに」
 ぽつりと。
 欲望の言葉が零れ落ちた。
「貴方に……滅茶苦茶に、されたい……好きなだけ、犯して欲しい……だって」
 震える声。
 熱い吐息。
 指の隙間から見える景色は、滲んでいる。
「嫌なのに……本当に、嫌なのに……っ、……馬鹿みたいに、気持いいんだもの……! 流されないように、しなきゃ……って、でも……触れられて、キスされただけで……欲しくなってしまう……」
 その一対の赤にみつめられているだけで。
 体の奥はひどく疼いた。
「だから……いれて欲しいの……わたしの、なか……」
 所有者として。
 支配者として。
 ――所有されることも支配されることも、真っ平だったのに。
「刻んで……永遠に、消えない証……」
 所有の証を。
 支配の証を。
「――上出来だ」
 傲慢な言葉とは裏腹に。
 ギルガメッシュは優しく凛の涙を舐め取った。
「あ――ッ、ん……ギル……!」
 そして。
 徐に、凛の中へと己を埋めた。
「……はぁ……、うれし……やっと、きてくれた……ぁ」
 幸福そうに微笑む凛に。
 思わずキスを落とした。
「ギル……」
 ――だいすき。
 まるで。
 幼い少女のような、無垢な言霊。
 ふふっと凛は満足げに笑うと、ギルガメッシュの首に腕を回した。
「……もう、はなさない、から」
 くッとギルガメッシュは笑みを返し、娘を抱き締めた。
「それはこちらのセリフだ」
「そう、なの……?」
 こころも体も繋がっているのに。
 これ以上ないほど満ち足りているはずなのに。
「はなさない、で……」
 口を突いて出たのは、切なる願い。
「もう……ひとりは、いやなの……ずっと、一緒がいいの……」
 手に入れた瞬間から、失う恐怖が付きまとう。
 永遠など。
 この世にはない。
 ――永遠を願うのは、それが叶わぬものだと識っているから。
「ん、あ――ッ、あっ、ぎ、る――ッう……つよ、ぃ……っ」
 一緒にいてくれと請わぬのは。
 それが果たせぬ約束であると識っているから。
「――我は」
 ふと、動きを止め。
 ギルガメッシュは静謐な瞳を凛に向けた。
「おまえを離さない。おまえの望む限り、おまえの傍にいよう。――リン」
 青い瞳が、徐々に見開かれる。
 それは。
 偽りなき、誓約の言葉。
「……まあ、断られても居座るがな」
 ギルガメッシュは愉快そうに笑い飛ばすと、抽送を再開した。
「ッ――、っあ!」
 凛は無我夢中でしがみつく。
 体を重ねるたび、細胞を書き換えられているようだった。
「ん……ぁ……あ、つ……、おく……すご……ッ、こすれ、て……あ――あ、ァああん……!」
 体の奥深くで、融けあっているのではないかとすら思えるほど。
 ギルガメッシュは執拗に凛の子宮口を責め立てた。
「ひッ、ぐ――っ、う……、あ……っ、は、あ――ッ」
 どこもかしこも。
 ――融けてしまいそうだ。
「や……ぁ、いや……ギル……ギル……っ!」
「どう――した、リン?」
 囁くように問いかける。
 凛はきゅっと目を瞑り、息を整えた。
「ギ、ル……ギル――もっと……は、ぁ……もっと、おく……もっと、いっぱい……ギルを、かんじたい、の……」
 くッ、とギルガメッシュは口の端を歪めた。
「愛いことを言う」
 何度も互いの名を呼び。
 何度も互いの膚を擦り合わせる。
「リ、ン……」
 それだけのことが幸福だった。
 脳髄も下腹も、きっと麻痺してしまっていた。
「きて――ギル、きて……なか……っ、わたしの、なかに……だ、して……っ」
 互いの唇を塞ぎ合う。
 互いの熱が溶け合う。
 くぐもった呻き声と共に。
 凛はギルガメッシュの精液を受け入れ。
 ギルガメッシュは凛の膣奥に射精していた。
「……、リン」
 赤と青が交錯し。
 どちらからともなく、深く口付けた。
「ぁ……ぎ、る……」
 ――そう。
 これは、夢だ。
 いつか起きることがわかっていても、見続けることしかできない――。

 これは、夢だ。


Sept


 道端にうずくまる制服姿の人影に駆け寄った間桐桜は、思わず驚きの声を上げてしまった。
「遠坂先輩――ッ?」
 どうして、と問うより早く、桜は凛に肩を貸して立ち上がらせると、躊躇せず遠坂邸の門をくぐった。とにもかくにも、凛が倒れていたのが、屋敷からさほど離れていない場所だったのは幸いだった。魔術師である凛を迂闊に救急車に乗せて病院に搬送してしまうと、後々面倒である。
 それにしても。
 こんなきっかけで、遠坂の家を再び訪れることになろうとは――。
 感慨に浸る暇もなく、桜はてきぱきと凛をベッドに寝かしつけた。
「……ありがと、桜」
 凛はぐったりとしていたが、意識はあった。
 桜は柔らかく微笑み返す。
「お大事になさってくださいね。それじゃあ、わたしはこれで――」
「待って」
 凛の声は存外強かった。
「そんな……逃げ帰るようなこと、しなくていいわ。ここには、貴女の来訪を咎める人なんて、いないんだから」
「ですが――遠坂と間桐の、不可侵の取り決め、は」
「形だけよ、あんなの。本当に徹底するつもりなら、桜も慎二も留学させるべきでしょ。……同じ学校に通わせといて、今更不可侵だなんて」
 馬鹿げてる、と凛は吐き捨てる。
「……でも、あの」
「いいから。……乗りかかった船でしょ、もうちょっと看病していきなさいよ。朝練欠席については、わたしから綾子に連絡しとくから」
 相変わらず素直でない凛の言葉に、桜は満面の笑みをこぼす。
「そこの、椅子……適当に座って」
「はい。それじゃあ、お言葉に甘えちゃいますね」
 ベッド脇まで椅子を持って来て腰かけると、桜はそっと凛の額に手を当てた。
「熱……は、ないみたいですね」
「ええ。……平気よ」
 ちっとも平気そうには見えぬ。
「ええと、なにか……簡単に、お粥でも作りましょうか?」
 腰を浮かしかけた桜の手首を。
 凛がすかさず握った。
「いいの。……本当に、大丈夫だから。ごはん、あんまり食べたくないし」
 桜は戸惑い気味に座り直し、凛の白い手に己の手を重ねた。
「体調が悪いだけで、病気ってわけじゃないの。……少し、話し相手になって」
 そう請われれば、肯くしかない。
 凛は満足げに目を閉じると、桜の指に己の指を絡めた。
「……今日は、衛宮くん家に行かなくていいの?」
「えっ!?」
 桜は文字通り飛び上がった。
「な、ど、どうして遠坂先輩が、そんなこと知って……?」
 ふふっと凛は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「わたしの情報網を侮らないことね。……てっきり、毎日行ってるものだとばかり思ってたけど」
「毎日、だなんて……先輩にも、きっと、ご迷惑でしょうし……」
「――はあ」
「なっ、なんでため息つくんですか?」
 やれやれと頭を振ると、凛は苦笑した。
「駄目よ、桜。そこはガンガン押していかないと……。だいいち、こんな可愛い後輩に朝晩来てもらってる分際で、〝迷惑〟のめの字でも言ってごらんなさい。半殺しじゃすまないわ」
「うぅ……穏やかじゃないです……」
 しかもわりと本気であることが恐ろしい。
「桜。衛宮くんのこと、好き?」
「す――」
 たちまち耳まで真っ赤になったその姿を見れば、答えは火を見るより明らかである。
 凛はぎゅっと指に力を込めた。
「絶対、離しちゃ駄目よ。……衛宮くんなら、絶対大丈夫。姉として太鼓判を押せるわ。……まあ、高跳び馬鹿だけどね、アイツ……」
 くくく、と笑いを噛み殺す。
 桜は。
 ぽかんと口を開けて姉を見下ろした。
「……どう、して……それを」
「えっ?」
 そのリアクションこそ予想外であった。
「どう――ッて……うそ。衛宮くんって、毎日あんな馬鹿なことしてたの?」
「いえ、先輩が高跳びしてたのって、あの日だけだと思いますけど……どうして、姉さんがそれを知ってるんですか?」
「あァ、わたし、その日たまたま、生徒会の用事で桜たちの学校に来てて……そっか」
 今でも鮮やかに思い出せる。
 あの日の。
 眩暈がするほど赤い光景を。
「おんなじもの、見てたんだ……なんだか素敵ね。そういうのって」
 まるで。
 本当の姉妹みたいで――。
「姉さん、は」
 最早、凛を姉と呼んでいる失態に気付く余裕などなかった。
 祈るように。
 耐えるように。
 桜はそっと問い質した。
「衛宮先輩のこと、好きじゃないんですか……?」
 そんな噂は一度も聞いたことがない。ひとつ上の学年の遠坂先輩は、学園のマドンナ的存在であって、告白されることはしょっちゅうでも、誰かに告白したという話はついぞ聞かぬ。
 そういえば。
 金髪のガイジンと同棲していると、誰かが言っていたっけ――。
 凛はくすっと笑って、桜の手を両手で包んだ。
「好きよ」
 桜は。
 絶望的に。
 痛ましげに、凛を見下ろす。
「初恋、だったのかもしれないわ。……いまだに忘れられないってことは。それくらい、あの高跳びは一種のトラウマだった。だって、あんな人間、絶対いちゃいけないわよ。眩しすぎるもの」
 眩しい人間とは、普通、凛のような者を指す。
 その凛が。
 衛宮士郎は眩しい、と言う。
「でも、だからこそ……桜には、あの光が必要だと思う。だって、あいつ、わたしにできないことを、軽々とやってのけちゃうんだもの」
 ――敵わないわよね。
「姉さん、は」
 言葉を切り、唇を噛み締める。
 桜にとって。
 姉は誇りだった。絶対に手の届かぬものだった。嫉妬の対象であり、思慕の対象であった。その輝きに憧れると同時に、血を分けながらも、その輝きとは決して並び立てぬ己を卑下した。
「それで……いいんですか……ッ?」
「いいのよ」
 ――桜は、近親者であるがゆえに、凛の本質を失念している。
 異常なほどに妹想いであること。
 そして。
 ひとりの女としてよりも、魔術師としての、魔道の家系の当主としての在り方を徹底していること。
 それらこそ、遠坂凛を、遠坂凛たらしめている所以である。
「だって……わたし、ね」
 凛は。
 最愛の妹に向かって、静かに真実を口にした。


    *


 蹌踉とした足取りで玄関に向かった桜は。
 ちょうど、帰宅したギルガメッシュと鉢合わせた。
「……」
「……」
 睨みあいは、ほんの数秒。
 ――互いを〝敵〟だと認識するには、そのわずかな時間で充分だった。
「時臣の娘か」
 ギルガメッシュは吐き捨てるように呟くと、さっさと桜の脇を通り過ぎた。
「待ちなさい」
 その言葉は。
 普段の桜からは想像もつかぬ強い響きを以って、黄金の王を振り向かせた。
「わたしは」
 遠坂の娘だと看破されたことは、たしかに、驚くべきことである。
 だが。
 それ以上に。
 桜を支配していたのは、本人すら捉えられぬ魂の奥底から湧き起こる、怒り。
「貴方を――絶対に、赦さない」
 ギルガメッシュは。
「……ほう?」
 赤い瞳に剣呑な光を宿らせた。
 その様は、さながら。
 獲物を見据える大蛇のごとき――。
「時臣の娘の分際で、よくも吠えたものだ」
 だが。
 ギルガメッシュは薄々感づいている。
 その獲物もまた、毒蛇の類であることを。
「……わたしの父は、遠坂時臣ではありません。遠坂の家は、わたしを捨てたんですから」
「フン。まあ、そんなことはどうでも良い。疾(と)く去れ、娘。その身中の毒が漏れぬ間に、巣に戻るが良かろう」
 ――どこまで見抜かれているのだろう。
 炯々とした一対の赤に薄ら寒いものを感じつつ、桜は物憂げに目を伏せた。
「ひとつ、訊かせてください」
 応えなど待たず。
 冷ややかな視線で男を射抜いた。

「貴方は、遠坂凛を愛しているんですか――?」

 それは。
 愛していて欲しいという願望の、
 愛しているべきであるという妄執の、裏返し。
 だって。
 愛していなければ救われない。
 愛していなければ、
 ――赦せない。
「……返してください」
 答えなんか必要ない。
 だってこの男は、
「返して」
 遠坂凛を愛してなどいない。
 この男の〝愛し方〟は、人間に赦されたそれを逸脱している。
 所有物を愛でるように。
 愛玩動物を手懐けるように。
 人間を玩弄して愉しむ――そういった類の悪鬼だ、この男は。
「わたしの、姉さんを……返して……!」
 この男の愛は、愛なんかじゃない。
 だって。
 その愛は。
 誰ひとり、幸福にしない――。
「……まったく、これだから、女というイキモノは」
 静かに嘆息すると。
 ギルガメッシュは嘲笑を浮かべた。
「姉妹であるからという理由だけで、リンを独占した気になっていたか? まあ、おまえを甘やかしたリンにも落ち度はあろうが」
 黄金のサーヴァントは。
 かつてのマスターの娘を睥睨する。
「去ね、時臣の娘。そして二度とこの屋敷の戸を叩くな。――リンは、おまえではなく、我を選んだのだ」
「――ッ」
 騒々しい音を立てて、桜は生家を後にした。
 ギルガメッシュの足は。
 自然と、凛の部屋に向けられた。
 ――実に、愚問である。
 愛しているに決まっている。
 見事な大輪の華を手折るように。
 美しい声で囀る鳥を飼い殺すように。
 ギルガメッシュは真実(ほんとう)に凛を愛している――彼なりの愛し方で。
 ノックもせずに扉を開けると、つかつかとベッドに歩み寄った。
「……、ギル?」
 億劫そうに身を起こそうとした凛を押しとどめると、ギルガメッシュは、横たわる娘を無言で見下ろした。
「もう……帰ってきちゃったの……?」
「……」
「桜は……? ちゃんと、学校行った……?」
「……」
「……」
 凛は諦めて双眸を閉ざす。ギルガメッシュのだんまりなど、別に珍しくもない。
 しばらく。
 静寂が空間を支配した。
 居心地は悪くなく、凛はそのまま眠りに落ちようとしていた。
「――我に言うべきことがあるのではないか?」
 その声に。
 促されるように瞼を開ける。
「ないわ」
「隠す必要はない。……『それ』を咎めるつもりはない。我も同意の上でのことだ」
「……」
 これでは。
 隠匿するどころか。
 完全にバレているではないか。
「……わかってるんでしょう? なら」
「おまえの口から聞きたいのだ」
「……」
 なんという。
 ――わがまま。
「……はあ」
 凛はひとつため息をつくと。
 観念して、真っ直ぐにギルガメッシュを見上げた。
「子どもが……できた、みたい」
「そうか」
 返答はあまりに素っ気なかった。
「みたい、ではなかろう。いるか、いないかの、どちらかしかありえぬのだから」
「……うん。できた。できました。オメデトーゴザイマス――って、別にアンタにとってはめでたくもないか」
「何故だ?」
 たしかにめでたいわけではないが。
 腕を組んで小首を傾げるギルガメッシュに向かって、凛は投げ遣りに続ける。
「だって……その。こんなところに子ども作ったって、困るだけでしょう? 本妻への言い訳とか、どうするのよ」
「? いや待てなんの話だ?」
「あー別に認知とかしなくていいから。わたしはわたしで勝手に育てるから。父親は死んだことにしといてあげるわね」
「おい、リン。待て。落ち着け早まるな」
「落ち着いてるわよ。とってもクールアズキュークよ、わたし」
 ぐぬう、と唸ると。
 ギルガメッシュはベッドの端に腰を下ろし、凛の頬にそっと触れた。
 ――我は王だ。
 ――否(いや)、王だった。
 凛と共に海外を飛び回っている最中、何の気になしにそう告げたことがある。その言葉を凛がどう受け取ったか――単なる冗談として流したか、何かの比喩だと思ったか、それはわからない。
「……わたし」
 ギルガメッシュの手の平に、温かな雫が落ちて来た。
「貴方が知ったら、きっと、堕ろせって言うだろうから……だから絶対、気付かれないようにしなくちゃって……」
 ギルガメッシュは。
 思わず苦笑した。
「おまえは我をなんだと思っているのか」
「だって」
 凛は涙をそのままに、ギルガメッシュをみつめる。
「この子は、魔術師だもの。貴方の後継者にはできない。この子には、遠坂の業を継がせなければいけないの」
「無論、それで良い。何か問題が?」
 ――あまりにも。
 あっけらかんとした答えに、凛は絶句する。
「腹の子は、おまえの子だ。おまえの好きなように育てれば良い。遠坂の継嗣にしたいのならば、すれば良い」
「……いい、の?」
 見開いた目から、もう涙はこぼれていない。
 ギルガメッシュはぞんざいに肯くと、凛の額にキスを落とした。
「ねえ、ギル」
 ――今更だ。
 今更すぎる問いを。
「貴方、本当は何者なの……?」
 何度もした問いを、凛は途方に暮れつつ発した。
 答えもまた。
 いつもと寸分違わぬ。
「知らぬ方が、お互いのためだ」
 ギルガメッシュは音もなく立つと、凛の部屋から去った。


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 その日の朝、右腕に鋭い痛みが走った。
「――ッ」
 朝食の用意をしていた凛は、彼女にしては随分珍しく、皿を落として割ってしまった。
「どうした、リン?」
 すぐに台所に顔を出したギルガメッシュは、破片を拾おうとする凛を押しとどめた。
「戯け、妊婦が余計なことをするな」
「大丈夫よ、このくらい。……もう。過保護なんだから」
 再びしゃがもうとする凛の右腕を。
 ギルガメッシュがつかんだ。
「い――たッ」
「まったく。生傷の耐えん女だ――な……?」
 問答無用で凛の右袖を捲りあげる。
 そこには。
 その、白い膚の上には。
 はっきりと、聖杯戦争のマスターの証である、令呪が顕れていた。

 ――その日、五度目の聖杯戦争の始まりを知った。


   *


 その年の、最後の日の、夜。
 凛は屋敷の庭で星空を見上げた。昨日も、今日も、冬らしい快晴。この調子ならば、さぞ美しい初日の出が拝めるだろう。
 呑気にそんな感慨を抱いていると――。
 玄関からギルガメッシュが出て来た。
 こんな時間に凛を外に連れ出す意図がさっぱりわからない。もっとも、彼が何を考えているかなど、わかったためしがないのだが。
「星、綺麗よ」
 凛の指さす方を、ギルガメッシュはぼんやりと見遣った。
「……そうだな」
 吐く息が白い。
 凛はふっと両手に息を吹きかけ、微笑した。
「わたし、冬木(ここ)の冬が好き」
 告げる言葉は温かい。
「まあ、根本的に冬木という土地が好きだから、春夏秋冬いつでもいいんだけど……特に、冬が好きなの。冬生まれだからかしらね」
 夏の星よりも。
 冬の星の方が、近く感じる。
「貴方は」
 ――だが。
 傍らで瞬く黄金の星は。
「冬木の冬は、初めて――?」
 あまりに、遠い。
 サーヴァントは。
 静かに微笑(わら)った。
「いいや」
 前回の聖杯戦争で召喚され。
 受肉して、この街で暮らすようになって。
「十度目だ」
 これは。
 十度目の冬。
 ――既に、十年が経っていた。
 その遣り取りだけで、凛がどれほどの真実を看破したかは定かでない。
 ただ。
 魔術師の娘は顔色を蒼白にし、全身を戦慄(わなな)かせた。
 ――知らなければ良かった。
 知らないまま、過ごせれば――。
 否(いや)。
 それは土台無理な話だ。
 令呪は割り振られ、
 聖杯戦争は始まってしまった。
 七人の魔術師の殺し合い。
 聖杯という願望機の奪い合い。
 始まりの御三家、遠坂の魔術師である以上。
 聖杯戦争に参加し、聖杯をこの手に勝ち取る義務がある。
 前回の聖杯戦争は十年前。
 この男は。
 今年、冬木で十度目の冬を迎えるという――。
「ギル……貴方、は」
 そこから先の言葉が発されることを、黄金の王は赦さなかった。
 虚空より。
 飛来した〝矢〟が。
 凛の体を無慈悲に貫いた。

「――我は言峰のサーヴァントだ」

 凛は。
 罵倒の代りに血を吐いた。
「ッ――」
 膝からは力が抜け。
 力なく、地面に倒れた。
 ――それでも。
 母親の本能がそうさせるのか、腹の子を守ろうと体を丸めた。
「……、……っ」
 無論。
 母子共に、助かる見込みなどない。
 助けは来ない。
 ここで殺すと決めた以上。
 凛はここでギルガメッシュに殺されねばならない。
 無機質な瞳で、死にゆく女を見下ろす。
「己がサーヴァントを連れず、敵サーヴァントと相対した、己の愚かさを悔いるのだな」
 かつて愛を囁いた声が。
 鋭利な刃となって凛の脳髄に突き刺さる。
「おまえがマスターとなり、聖杯戦争に参加すれば――ほどなく真実を識ることになろう」
 十年前。
 誰が、誰を殺したのか――。
「さすれば、おまえは、おまえのサーヴァントを以って、父の仇である言峰を殺すだろう。我はサーヴァントとして、マスターを守ったに過ぎん」
 ――父の仇、
 言峰。
 そうか――。
 そうだったのか、と凛は無感動にその事実を受け入れた。
 知ろうとしなかったのは。
 知りたくなかったからだ。
 知らなければ、いつまでも、あの安寧が続くと思った。知って壊れてしまうぐらいなら、永遠に目と耳を塞いでいればいいとすら思った。
 それほどに。
 ギルガメッシュとの日々は。
 輝かしく、かけがえのない、大切な――。
 人生でおそらく初めての、明確な幸福だった。
「わたしは、ただ……」
 聖杯戦争さえ起こらなければ。
「わたしは、ただ、貴方と」
 これから先。
 何年か、何十年になるかはわからぬが、彼と共に在る限りは、きっと幸福は続いたはずだ。
 子を産み、育て。
 血を繋ぎ、業を伝える。
 そんな、人間として当たり前の営みを――。
 魔道の家系というハンデがあったとしても、普通の、幸福(しあわ)せな家庭を築くことは、不可能ではないと思っていた。
「……貴方さえ、いて、くれれば……」
 そう。
 彼さえいてくれれば。
 ――柄にもない夢を抱いていた。
 普通の幸福。
 普通の家族。
 普通の、愛。
 そんなものは。
 結局、全部夢だった。
 ――だから。
 遠坂凛であることよりも、この男に愛されることを選んでしまった時点で。
 遠坂凛は死んでいたのだ。
 だから。
 これは、夢だ。
「……なんだ、……そっか……」
 吐息のように呟くと。
 凛は眠るように息を引き取った。


   *


 ちょうど三コール後、教会との通話が繋がった。
『凛は、死んだか』
 ――冷水を浴びせられたような心地だった。
 ギルガメッシュはフンと鼻を鳴らして虚勢を張る。
「貴様の思惑通りに事が運んで、笑いが止まらんだろうが。我慢せずとも良いのだぞ、言峰」
 唇は弧を描き。
 一対の赤で虚空を見据える。
「――笑えよ」
 返ってきたのは。
 沈黙。
 ギルガメッシュはこれ見よがしに舌打ちした。
『思惑通り、などではない。おまえの行動は、いつも私の予想を軽く超える』
「……なんだと?」
 フムンと綺礼は思案げに唸った。
『ひとつ確認するが。凛はおまえの子を孕んでいたのだろう?』
「そうだが」
 わからんな、と綺礼は嘆息する。
『子をなす欲求があるのに、その子を躊躇なく殺すとは……王とは、己の血統を残すことにこだわるものではないのか? 遠坂の家に己の血を混ぜるのは、ある種の意趣返しかとも思ったのだが』
「戯け。何故我が時臣なんぞに恨みを抱かねばならんのだ。凛を孕ませたのは成り行きであって、目標(ゴール)ではない。それにな、言峰」
 壁に背を預け。
 ギルガメッシュは瞑目した。
「英雄と子殺しは、切っても切れぬものぞ。我がそれをしたところで、驚くには値しまい」
 淡々と告げて。
 最古の英雄は口の端を吊り上げた。
「もっとも――親が直接手を下さずとも、英雄の子というやつは、大概薄幸で短命なものだ。あのままリンが産んだところで、真っ当に育ったかどうか」
『育てるつもりだったのだろう、凛は』
 受話器ごしに、綺礼の含み笑いが聞こえた。
『母親というのは、存外強いものだぞ。侮りがたい』
「言うではないか。おまえの妻は子を産んですぐに死んだと聞いたが」
『あァ――あれは、病弱、などという表現では片付けられぬ半死人だったからな。出産に耐えられたこと自体が奇跡だ』
「――フン。なるほどな」
 自覚はなくとも充分歪んでいたわけである。
『とにかく、ご苦労だった、ギルガメッシュ』
 綺礼の声は事務的な調子に戻っていた。
『教会に戻って来るがいい。おまえの部屋はそのままにしてある』
「……或いは」
 ギルガメッシュは。
 思わず自嘲した。
「あれが、おまえの子ならば、殺さずに済んだのかもな……」
『――ん? なんだって?』
「いや、なんでもない。気にするな」
『切るぞ。来客のようだ』
 来客――?
 こんな時間に、言峰教会に、何の用があるというのか。
 ギルガメッシュが問い返すより早く、綺礼はがちゃんと無造作に通話を切った。
 ――まあ、いい。
 ギルガメッシュは受話器を置くと。
 ぼんやりと、天井を見上げた。

「――すまぬ、リン」

 何について謝っているのかわからぬまま。
 黄金のサーヴァントは生ける屍のごとき足取りで、愛した娘の家を後にした。

【 BAD END 】

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