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龍王陛下に𠮟られるから

『殉血は赤』

UBWルート「幕間/囚われの姫」から分岐



 眼下には、アインツベルンの森が果てしなく広がっている。
 真冬の寒風に真紅の衣をなびかせて飛翔する弓兵の行く手を。
「――ッ――」
 地上から放たれた“矢”が遮った。
 あわや落としかけた元マスターを担ぎ直し、大木の枝を蹴って地面に降り立つ。
 ――厭な奴に捕まった。
 内心舌打ちしつつも、アーチャーは敵サーヴァントを冷静に見据える。
「私に何か用かね、ギルガメッシュ?」
 睨み合いは、暫時。
 鉄面皮を崩さぬアーチャーに向かって。
 不意に、ギルガメッシュは愉快そうな笑みを閃かせた。
「飛ぶ鳥を射てみたら、獲物まで付いてきたか。……たまには、アーチャーの真似事もしてみるものだな」
「弓兵風情と見下げていたのは、はて、どこの誰だったか」
「愚か者。弓は古来より王者の武具であるぞ。かつて、王権を顕すものは、剣ではなく弓矢であった」
 フウム、とアーチャーは唸る。
「君は存外お喋りなのだな。たしかに、古代中国では、褒賞として弓矢が下賜された。主から授けられるものが剣であれば、それを以って自刃しろという意味だった」
 中世の騎士叙勲の話が圧倒的に有名であるので、主君から賜るものといえば「剣」というイメージが一般的である。
「貴様こそ、思いのほか論じるな。――急ぎの用ではなかったのか?」
「急いでなどいないさ。時間は充分にある」
 嘯くと、弓兵は気障ったらしい笑みを口元に刻んだ。
 ほう、とギルガメッシュは目を細める。
「ではここで、一晩問答でもしてみるか?」
 冗談のような気軽さで、マスターを持たぬサーヴァントを恫喝する。
「言葉が尽きるのが先か、その姿を保てなくなるのが先か――見ものだな」
 さすがに――。
 アーチャーは閉口した。
 にやにやと笑みを深めるギルガメッシュからは、殺気どころか敵意すら窺えぬ。
 ――何を考えているのか。
 否(いや)、この男の場合、本当に何の打算もないのかもしれぬ。アーチャーが同意さえすれば、今すぐどうでもいい会話を始めそうな雰囲気があった。そもそも、英雄王の思考など推測するだけ無駄である。この男を理解する唯一の朋友はとうの昔に喪(な)い。
「……何が目的だ?」
 散々逡巡した末、結局無難な問いに落ち着いた。
 途端。
 ギルガメッシュは笑みを消した。
「その小娘を置いていけ」
 アーチャーは。
 あからさまに嗤笑した。
「英雄王ともあろう者が、追い剥ぎのごときセリフを口にするとはな」
 ギルガメッシュはゆったりと腕を組み、蛇の視線で弓兵を観察した。
「贋作者に追い剥ぎ呼ばわりされるいわれはないが……我を前にして諧謔を弄する余裕があるとは、実に重畳。それとも、アレか。進退窮まって捨て鉢になっているか?」
「ひとつ、忠告しておこう。窮鼠は猫どころか、虎の尾を噛み千切るぞ」
 その応酬は。
 最古の王の気に召したらしい。
「ふふん。それはな、鼠の本質的な恐ろしさを知らぬ鄙の民が作った戯言に相違ない。あの獣は死病を媒介し、繁栄した都を一夜で滅ぼす」
「たしかに、都市部に住む鼠は害獣だ。人類の繁栄に比例して、害獣の類は増える。……結局、人間は自滅するということかね」
「さて、な」
 興味を失った顔で肩をすくめた。
「貴様が鼠であるのなら、虎に見つからぬよう逃げるのが最も賢明な判断だと思うが?」
 そして。
 アーチャーと。
 気を失ったまま担がれている凛を、再度無遠慮に眺めた。
「弱った鼠を甚振って遊ぶほど、暇ではないのでな。我は」
 ――その言に偽りはなかろう。
 セイバーやランサーしかり、正規の英霊は虚言を嫌忌する。
「私が逃げる間、目を瞑るというのか?」
 そうだ、とギルガメッシュは明快に肯く。
「ただし、凛を引き渡せ――と?」
 思わず。
 アーチャーは微苦笑を漏らした。
「さっきの、問答云々はやはり気まぐれだったか」
 何気ない呟きに対して。
 何故かギルガメッシュはぎょっとすると、すぐに慍然と口を尖らせた。
「気まぐれではあるが、しないとは一言も言っていない。それも実現可能範囲内だ。多い方が良かろう――選択肢というやつは?」
 それは時と場合による、と反駁しようとして止めた。ここで揉めても不毛である。
 つまり。
 アーチャーには、都合、三つの選択肢が提示されている。
 ここで、死力を尽くして、黄金のサーヴァントと一戦交えるか。
 話し相手に飢えているらしい王の、束の間の幇間を務めるか。
 或いは。
“人質”を捨てて活路を見出すか。
「精々賢く立ち回れよ。目的の為の手段を見誤っては、目も当てられんぞ」
 ――考えるまでもない。
 英雄王と一対一で戦うなど、愚の骨頂である。余剰の魔力など、今のアーチャーには望むべくもない。真に戦うべき相手はギルガメッシュではなく、衛宮士郎である。ここまでの布石は、まさに彼(おのれ)を殺すためだけのものであった。
 そう――。
 衛宮士郎のようなイカレた男ならば、この悪逆非道を体現した王様とのコミュニケーションを試みるかもしれぬが、アーチャーにそんな趣味はない。
 数は提示されたものの。
 選択肢など、実質ないに等しい。
「――ひとつ、確認しておくが」
 なんだ、とギルガメッシュはぞんざいに先を促す。

「凛を手に入れて、どうするつもりだ――?」





 ギルガメッシュは早々に己の選択を後悔し始めていた。
 足場は悪く、背中の荷は重く、気分も道中も鬱蒼として暗い。一言で表すならば、最悪だった。
 ――何故、王たる我がこんなことをせねばならぬのか。
 恐ろしく理不尽な――あくまで、ギルガメッシュにとって、であるが――この状況に、ひたすら暗澹とした気分に陥る。
 元はといえば、言峰が悪い。
 教会でおとなしくしていろだの、セイバーには近付くなだの、シンジのサーヴァントになれだの、注文が多過ぎる。王に対する憚り的なものが一切感じられない。これでは全然愉しくない。
 十年待ったのは、ギルガメッシュとて同じである。
 十年分の実りを収穫せねば気が済まぬ。
「……はー……」
 見上げても空など見えぬ。
 ここ数日、というより、慎二をマスターにしてからずっと間桐邸に逗留しているが、いい加減飽きた。そもそも、深山町のあの界隈は十年前に散策しつくしている。座して待つのは性に合わぬし、なにより退屈は王を殺す。
 真夜中。
 誰にも何も告げず、間桐の屋敷を出て深山町を後にした。明確な意思も目的地もないまま、とりあえず血なまぐさい方に向かって歩いていたら――いつのまにか、アインツベルンの森に迷いこんでいた。
 ここにはもう用はないはずだが――。
 はたと立ち止まり、その場で考え込んだ。聖杯は既に手に入れたのだし、これ以上、この森を探索して、有用な何かを見つけられるとは思えぬ。
 そう結論付けた矢先に。
 サーヴァントの気配を察知した。しかも、どういうわけか、こちらに向かって真っ直ぐ飛んで来ている。
 ――ははあ、なるほど。
 このような辺鄙な地に再度足を踏み入れた理由を卒然と理解すると、ギルガメッシュは空に向かって“矢”を放ったのだった。
 ところで。
 ギルガメッシュに未来視(さきみ)の能力などない。半神であるがゆえに、人を超えた視点に立ち、人には過ぎた智恵を身に付けているが、未来はギルガメッシュの力の及ばぬところ――即ち、運命の厳然たる管理下にある。ギルガメッシュには、未来に何が起きるのかを推測することはできても、未来に起きることを前もって知る術はない。なにしろ、神すら運命に支配されているのである。
 ギルガメッシュがアーチャーに遭遇したのは、だから、あくまで偶然である。
 だが。
 その偶然を単なる偶然で終わらせぬ力が、ギルガメッシュにはある。
 あえて言うなら、ギルガメッシュの常人離れした勘の良さが、予期せぬ幸運をもたらしたと解釈すべきである。
 攻撃した時点で、飛翔するサーヴァントがアーチャーであることを、ギルガメッシュは知らない。思考を介さぬ一矢である。気まぐれに森に踏み込んだこと、森を目指してサーヴァントが飛んでくること、そして、そのサーヴァントを己が射落とすという一連の流れが、ギルガメッシュの中で、パズルのピースのごとくはまった――はまってしまった、と言うべきか。余分な思考は刃を鈍らせるどころか、命取りになる。自分ひとりの命で済めばまだマシであろう。王が時宜を損なうと、最悪、民は全滅する。
 ともかく。
 そのサーヴァントを足止めすべきであると思ったから、しただけである。アーチャーの邪魔をしようという意図は微塵もない。弓兵の行動は、一貫して、ギルガメッシュにとって吉にも凶にもならぬ。かのサーヴァントの唯一無二の目的は衛宮士郎(じしん)の殺害であり、それが成就しようとしなかろうと、ギルガメッシュの利害には一切関わらぬ。
 ギルガメッシュにとっての幸運は――。
 弓兵が肩に担ぐ、魔術師の娘の存在であった。

 ――聖杯の器が、自ら我が掌中に飛び込んで来た。

 上機嫌になった途端、普段はぐうたらの極みにある頭のキレが最盛期の鋭さを取り戻す――ギルガメッシュとはそういうサーヴァントである。
 もっとも、謀略やからめ手はギルガメッシュの好むところではない。アーチャーに突きつけた選択肢は、つまるところ、選択肢の意味を成さぬものである。なにしろ、アーチャーがどの行動を選択しようと、ギルガメッシュが凛を得るという結果は変わらないのだから。
 立ち止まった時点で、アーチャーの運命は決定した。
 ――凛を手に入れて、どうするつもりだ?
 単なる興味本位か、本当に元マスターの行く末を心配しての発言か、それは定かでない。聖杯の器にすると正直に告げると――嘘をつく理由がない――、アーチャーは納得した様子で肯いた。
 ――わかった。凛を渡す。これでいいな?
 地面に元マスターを横たえると、弓兵は徐に後ずさった。
 ――ただし、
 ――今日一日の命を保証しろ。
 きょとんと目を瞬かせたギルガメッシュに対し、アーチャーは苦々しく続けた。
 ――日付が変わるまでは凛の身の安全を保証すると、衛宮士郎と約束している。明日になれば、どうしようと構わんがね。
 そんなことか、とギルガメッシュは鼻で笑った。
 杯はまだ満ちていないのだから、今すぐ凛をどうこうするつもりはないし、どうこうできるものでもない。いずれにせよ、聖杯降臨の儀式は柳洞寺でしか執り行えないのである。今日中に凛を柳洞寺に運ぶにせよ、その場ですぐさま聖杯に仕立ててしまっては面白くない。
 なにせ、この娘。
 名は“遠坂”凛――まごうことなき、時臣の娘である。ただ命を奪うだけではつまらない。
 ギルガメッシュは居丈高に胸を反らすと、よかろう、と尊大にのたまった。
 アーチャーは一瞬白けた表情で硬直したが、すぐに頭を振った。
 ――ああ、そういえば、ひとつ言い忘れていた。
 億劫そうに凛を担ぎ上げたギルガメッシュに対して。
 ――凛は目下、セイバーのマスターだ。
 アーチャーは悪意しか感じられぬ笑みを見せた。
 思わず。
 ギルガメッシュは凛を取り落とした。
 ――もう少し丁重に扱ってもらえんか? まがりなりにも“人質”なのだから。
 飛び去る弓兵の背中に殺意のこもった視線を投げつけると。
 ギルガメッシュは憂鬱な面持ちで凛を背負い直した。
 さて。
 どうしたものか――。
 否、どうもこうもないのである。ホムンクルスという殻を壊してしまった手前、器は絶対に必要である。イリヤスフィールが黄金の杯ならば、凛で造れるのは銀の杯。凛以外の魔術師――例えば、衛宮士郎――を器にする場合、青銅にすら届くかどうか。それ以下はゴミである。無論、銀は金に劣るが、まあそれで我慢してやろうと思っていた。呪いという“毒”を銀杯に注ぐのだ、それはそれで趣がある。
 完璧な未来図だった。
 呪いは不完全ながらも、虚飾の繁栄を謳歌する人類を滅亡の淵に追いやるだろうと思っていた。きっとそれは、溜飲の下がる光景である。
「……セイバーか」
 立ち止まってはため息をつく――その繰り返しであった。
 セイバーがキャスターに奪われた時点で、ギルガメッシュは半ば自暴自棄になったといっても過言ではない。動くなと命じた綺礼に散々八つ当たりをした挙句、セイバーひとり守りきれぬ無能な雑種マスターをひとしきり罵倒して――聖杯戦争そのものが、嫌になってしまった。
 ――どうにでもなれ。
 誰が勝とうと負けようと生き残ろうと、全く興味を失ってしまった。誰がどう足掻こうと、ギルガメッシュが聖杯を手に入れることは確定したも同然である。競うべき敵があまりにも弱すぎる。
 詰みだ。
 これ以上の進展、劇的変化――或いは。
 奇跡の類が、この遊戯盤に訪れるとは到底思えぬ。
 そう――。
 いつもの慢心である。
 慎二のサーヴァントにされてから、ギルガメッシュは、彼としてはありえぬほどおそろしく勤勉に立ち回っていた。これほど詰まらぬ遊戯盤はさっさと終わらせるに限る――実際、自らイリヤスフィールの心臓を手に入れ、柳洞寺を確保した。ギルガメッシュがこれほど能動的に聖杯戦争に関わるのは、後にも先にもこれきりであろう。
 あまりに退屈だったのだ。
 退屈すぎて、動き回った結果――ぬかるみに足をとられた。
 小さく舌打ちして、歩みを再開する。
 ――こんなはずではなかった。
 ギルガメッシュは。
 彼にしては珍しく、迷っていた。
 何事も即決即断、快刀乱麻で我が道を貫く王の中の王ではあったが、欲望の多さもまた超英雄級である。デザートに好物をふたつ出されれば、更に倍の数を要求するのがギルガメッシュという王である。叶えたい願いがふたつあるのなら、両方叶えねば名がすたる。
 セイバーは、もちろん、手に入れる。
 聖杯も、もちろん、手に入れる。
 だが。
 凛はひとりしかいない。
「……」
 一向に目を覚ます気配のない少女をじとりと一瞥する。
 切れ目をいれたらそこから分裂しないかと想像してみたりもする。
「……小娘よ、プラナリアを見習うがいい」
 悲しいかな、セイバーのマスターであり聖杯の器となるべき少女は、人間であった。
 足取りは重く、背中の荷を支えている両腕はとうに痺れている。機嫌は最悪、思考はまとまらず、名案など思い浮かぶはずもない。
〝もうひとつの杯〟の存在は、無論、知っている。あんなまがいものを使うくらいならば、いっそ聖杯など破壊してしまった方が良い。とにかくアレはギルガメッシュの趣味に合わぬ。
「疲れた」
 ひとりでに不平が零れる。
「足痛い」
 サーヴァントではあるが、受肉しているギルガメッシュは人並みの疲労を感ずる。
「疲れた」
 ――こんなことなら、せめて、贋作者に小娘を運ばせておくべきであった。
 今更言っても詮無いことであるし、そもそも、受け渡された時点では独力で運ぶ気満々であった。凛は、この聖杯戦争において、唯一喜ばしい戦果である。自らの背に負うことを厭うはずがない。
「……時臣め」
 父娘(おやこ)そろって、この我の手を煩わすとは――。
 苛立ちと共に立ち止まる。
 ――そうだ。何故、時臣の娘なんぞを、王たる己が汗水垂らして世話せねばならぬのか。甚だ不愉快である。立場が逆である。
 いっそ。
 このまま、ここに、この娘を打ち捨ててしまおうか。
「……?」
 何気なく首を巡らすと、不自然なものが視界を過ぎった。
 体ごと向きを変え、目を凝らす。
「……あァ」
 何のことはない――ただの朽ち果てた杣小屋である。三十メートルほど先に、ひっそりと建っていた。当然のことながら、ひと気はない。
 ――少し休むか。
 気分転換すれば、もう少しマトモな案が思いつくだろう。宝は使い捨ててなんぼだが、使わぬまま捨ててしまうのはさすがに惜しい。ギルガメッシュはとぼとぼと小屋に向かって歩いた。
「……む」
 辿り着いたのは小屋の裏手だったらしく、ぐるりと回って表の扉の前に立つ。庭らしき空間と、涸れ井戸。これは数年どころか数十年単位で使われていないのではないか――。
 慍然と小屋を見上げ、扉を蹴り開けた。
「――ッ」
 大量に舞い上がった埃に、思わず咳き込む。
 ――領内の管理くらいしておけというのだ。
 ギルガメッシュはずかずかと小屋に上がりこみ、鋭く舌打ちした。もう歩かないと決めた以上、ここでひと休みすることは確定事項である。一階は完全に廃墟だが、二階はまだ望みがありそうだ。
 果たして。
 二階の二部屋はどちらも寝室で、一階よりはまだマシな朽ち具合であった。東側の一室を占拠すると、凛を床に転がし、自身はベッドに腰かけた。
「……はー……」
 壁に寄りかかって瞑目すると、強烈な睡魔に襲われた。
 ――まあ、いいか。
 妙案を得るには、ときに休息も必要である。ここまで珍しく寄り道せずに走り続けたのだ、少々の惰眠くらい貪るべきである。
 なにせ、我は王なのだから――。
 それから。
 小一時間ほど、ギルガメッシュはまどろんだ。
 結論から言うと、その怠惰はまったくもって下策だった。
「……ん?」
 かすかな物音で目覚めた。
 ギルガメッシュは徐に頭を起こし、固まった首をごりごりと回して解す。敵意や殺気はない――そもそも、音は外から聞こえてきたものではない。
 それは。
 すぐ、足元――。

 ――体を丸めた凛が、小刻みに震えていた。

 ギルガメッシュは即座に立ち上がると、凛を跨いで暖炉の前に立ち、蔵から取り出した火種をぞんざいに放り込んだ。
 そして。
 実に面倒臭そうに凛を抱き起こした。
「おい。起きぬか。死ぬぞ、貴様」
 雪山ではないから凍死することはないが――大方、アーチャーがかけた呪いのせいだろう、眠りが深すぎる。
「おい。これ以上、我に手間をかけさせるな。貴様それでも時臣の娘か」
 ぺちぺちと凛の頬を叩くが、反応はない。
 顔は蒼白で、浅い呼吸を繰り返している。額に手を当てると熱があった。
「――ちッ」
 片手で凛を抱えたまま、もう片方の手で蔵から毛足の長い絨毯を引っ張り出して床に広げた。その上に凛を横たえ、自身も靴を脱いで上がった。
「……まったく……何故、我がこんなことを……」
 ぶつぶつと文句を垂れても、凛が回復するわけではない。
 聖杯の器にするにせよ、セイバーのマスターのままにしておくにせよ、凛の不調は看過できぬ。意識が戻らないことには何の面白みもない〝戦利品〟である。バーサーカー戦での一件から察するに、父である時臣より余程、無理難題の吹っかけ甲斐がある。ほんの一時であろうと、侍らせるならば賢い娘に限る。
 それに。
 ――今日一日の命を、
 実に業腹ではあるが、弓兵のサーヴァントとの約束もある。
「わかっているッ。……言われんでも。助ければ良いのだろう、助ければ」
 今頃アインツベルンの城でほくそ笑んでいるだろう赤い外套姿を思い起こし、ますます苛立ちを募らせた。
「どいつも、こいつも……雑種の分際で……」
 我が身可愛さに立ち回り、王をして働かせるとは何事かと憤るが――わがままな王様の愚痴を聞く者はない。
 ギルガメッシュは。
 ぞんざいに凛の靴を脱がせ、靴下を剥ぎ、あっという間に服も下着も取っ払ってしまった。されるがまま――あられもない姿で絨毯に転がされた凛は、低くうめいて身をすくめた。
「寒いか?」
 応えはない。
 冷ややかに凛の裸体を見下ろした後。
 ギルガメッシュ自身も、纏っているもの全て脱ぎ捨てて裸になると、凛の隣に寝そべった。
「……安心せよ。じき温まる」
 そして。
 震える肢体をそっと抱き寄せた。





 暖炉の中でちろちろと揺れる火を、まんじりともせず眺めていた。
 ――二時間ほど経っただろうか。
 宝物庫から出した火は、消さない限り、薪をくべずとも永遠に燃え続ける。凛の震えはとうに治まっており、ギルガメッシュの腕の中で安定した寝息を立てていた。
 こつん、と額を当てる。
 ――まだ熱がある。
 アーチャーに眠らされていただけならば、これほど体調を悪くするのは解せない。最初は呪いの類かとも思ったが、どうもそうではなさそうである。そもそも、遠坂の魔術刻印を持つ凛に生半な呪いは効かない。加えて、アーチャーの性格から察するに、昏倒させた上で呪いをかけるようなことはあるまい。あの男、神経や魔術回路への働きかけはそこそこ得意そうだが、呪いはおそらく不得手だ。呪いについては、いかんせん、向き不向きがある。
向かない者は千年修行しても大した使い手にはならぬ。
 ギルガメッシュはため息をついて額を離した。
 病は気からと言うが――。
 凛のこの弱りようは、そうとしか説明がつかない。
 教会でのキャスターの敗北及びアーチャーの二度目の背信の仔細を、ギルガメッシュは知らない。ただ、アーチャーが凛を〝人質〟と呼び、しかも凛がセイバーのマスターになっているのだから――アーチャーと凛の契約が『不本意な形で』破棄されたことは明らかである。
 アーチャーにとって、それは単に、目的を達するための手段に過ぎなかっただろうが。
 凛にとって、それが堪えがたい〝裏切り〟であったことは、想像に難くない。
 信頼は、大概、する側もされる側も苦しめる。だから、ひとは年を重ねるごとにひとを信頼しなくなる。それは利口な生き方だが、決して美しくない、とギルガメッシュは思う。
 傷ついても信じ。
 傷つけられても信じ。
 満身創痍になろうと信じ抜く、その姿こそきっと価値がある。そんな人間こそ生き残るべきで――あとは死に絶えれば良い。
 だから。
 この世に生き残る人間など、きっとひとりもいない。
 口元に皮肉げな笑みを浮かべて、ギルガメッシュは瞑目した。
 ――聖杯の使い道は既に決まっている。
 ギルガメッシュの掲げる人類の一掃は、かの王の悲願などではない。所詮、暇潰しの延長である。人類が地球にとって害悪だからとか、生まれながらに罪を背負っているからだとか、そんな高尚な理由で殺すわけではない。『不愉快だから』殺すのである。人類が少なくなれば、『愉快だから』殺すのである。
 ギルガメッシュの価値観は善悪の彼岸にある。半神の英雄を動かすものは、道徳的倫理的感覚ではなく、美醜の意識である。美しいか、美しくないかは、ギルガメッシュにとって非常に重要な裁定基準である。ただし、言峰綺礼の歪みすら是とする時点で、その美醜の基準は、常人のそれとは大いに異なる。
 ふと。
 凛が身じろぎした。
 苦しげに息を吐き、眉根を寄せると。
 ギルガメッシュの胸に顔を埋めて、消え入りそうな声で、

「……アー、チャー……」

 ぽつりと。
 サーヴァントを呼んだ。
 ――凛は知らない。
 凛にとって、たったひとりの、大切な、赤い弓兵を指すその言葉が。
 父が十年前に召喚した黄金のサーヴァントの、クラス名であることを。
「……」
 凛はそれきり沈黙した。
 ――ギルガメッシュは知っている。
 凛が呼んだのは自分が召喚したサーヴァントの名で、決してギルガメッシュを求めたわけではないのだと。
 それでも。
 その響きは、ひどく甘美で――。
 ギルガメッシュはそっと黒髪を撫ぜた。

「――どうした、マスター?」

 その言葉は。
 意思とは関係なく、サーヴァントの口から自動的に流れ出た。
 自分のものとは思えぬ言葉を自分の声で聞かされたギルガメッシュは、刹那、呼吸すら止めて暖炉の火をみつめた。
『マスター』。
 ――マスター、だと?  冬木の聖杯は、万民万物をかしずかせるべき王たる己をサーヴァントなどという卑しい使い魔の立場に貶めただけでなく、たかが魔術師風情に対してマスターと呼ぶことを強要した。前者を覆す術はないとしても、後者に従う道理はない。実際、時臣をマスターと呼んだことなどない。
 これは、何かの間違いだ。
 サーヴァントという器が、勝手に反応しただけだ。
 我は。
 マスターなど、
「……もう一度」
 徐に顔を上げた凛に。
 ギルガメッシュは甘く囁きかける。
「もう一度呼べ。小娘」
「……え?」
 憔悴しきった瞳に、一対の赤が放つ光は強すぎた。
 何もわからぬまま。
 何も問えぬまま。
 唇を塞がれた。
「――ッ、ん」
「もう一度。呼んでみよ」
 ――彼は。
 ギルガメッシュ、ではないのだろうか。
 それとも。
 よく似た別人、なのか。
 わたしは、
 まだ、夢を見ているのか――。
「……っ……ん……ぅ」
 呼べと言ったくせに口づけを続ける男を、凛は不思議そうにみつめる。
「我の命が聞けぬのか、小娘」
「……?」
 視線だけで問うと、ギルガメッシュはくすりと微笑した。
「『アーチャー』と。言ってみよ」
 凛は。
 わずかに唇を震わせた。
「……あ」

 ――アーチャー。

 戸惑いがちに発せられた声は。
 先刻とは異なり、
 たしかに、
 黄金のサーヴァントに向けられたもの。
「――ああ」
 それで良い、と呟いて。
 ギルガメッシュは再び凛の口を塞いだ。
「……っん……」
 蒼穹は閉ざされ、互いの舌を緊(きつ)く吸う音だけが室内に響く。
 嫌がる様子もなくキスされ続ける凛に。
 ギルガメッシュはますます劣情を募らせた。
 ――おかしい。
 いつもならば、どんな状況であろうと、肉欲を鎮めることは容易であった。快楽を得ることには貪欲だが、溺れることは決してない。王が色に惑えば国は傾く――古今東西、変わらぬ真理である。
 ひとりの女に執着するなど、王として、あってはならぬことである。
「ふ――ッ、あ……」
 下腹に指を這わせると、凛は小さく喘いだ。
 だが。
 抗う素振りはない。
 それどころか――。
 凛の体は簡単にギルガメッシュの指を受け入れた。
「ん……っ、は……」
 口内を犯され、膣口を弄られて尚、凛は静かに吐息するだけだった。
 ――歯止めが利かない。
 もし、わずかなりとも拒絶の意思が窺えるならば、おそらくそこで引き返すことは可能だった。凛の芳醇な魔力は、キスだけで充分味わい尽くせた。これ以上、深く交わることに何の意味があろうか。
 この女は聖杯の器だ。
 この女はセイバーのマスターだ。
 この女は、
 ――時臣の娘だ。
 思考は表層を流れていくだけで、楔の役目を果たさぬ。
 凛の中から指を引き抜くと、腰をそっと抱き寄せた。
「……ッ」
 凛は驚いて身をすくめたが――やはり、それだけ。
「どうした……? 男に触れられるのは初めてでもなかろう」
 気をまぎらわすために軽口を叩いたが、凛は無言で目を伏せた。
「それとも、このように扱われるのは初めてか?」
 魔術師同士の媾合(まぐわ)いがどのようなものかは知らないが、前戯を手取り足取り教えているとは到底思えぬ。
 先刻までの抱き方とは異なり、下腹と下腹を密着させると。
 半ば勃起した陰茎で濡れた秘所を擦りあげた。
 凛はまたしてもびくりと身を震わせた。
 ――本来なら口でさせるところだ。
 否、〝させる〟どころか、女たちは進んで奉仕した。極端な話、ギルガメッシュは寝ているだけで良かった。王をその気にさせるのも、王を満足させるのも、婢妾の務めである。
 ――阿呆か、我は。
 ギルガメッシュにしては実に珍しく、胸中で己を罵倒しながら、淡々と膚を擦り合わせた。
 凛は。
 困ったように眉根を寄せたまま、されるがままに太腿の内を汚されていた。
 これからどうするのか。
 これからどうなるのか。
 熱に浮かされた頭を占めているのは、言いようのない不安感。摩擦する局部は熱く、溶け合う体液がもどかしい。腰をつかむ男の手に己の手を重ねて、凛はじっとギルガメッシュを観察する。
 ほんのり上気した膚。
 欲情に濡れた赤い瞳。
 ――いったい。
 何が、彼をここまで駆り立てているのだろうか。単なる気まぐれにしては度が過ぎている。アインツベルンの城でまみえたときは、冷酷で、傲慢で、情の欠片もないサーヴァントに見えた。全てにおいて冷ややかで、威圧的だった。
 これほどの熱を内包しているなど、夢にも思わぬ。
〝アーチャー〟という一言が、彼の熱を呼び覚ましたとでもいうのか。
 ――馬鹿馬鹿しい。
 このサーヴァントが、その程度のことでこころ動かされるとは到底思えぬ。きっと、何か、他に理由があるのだ。或いは、何か悪いものでも食べたのだ。
 きっと、そう――。
 眼前の受け入れがたい現実を否定するために、凛はそう結論付けて目を閉じる。なにしろ、まだ夢を見ている可能性だってある。キャスターを倒した後、アーチャーに裏切られたあたりから、どうにも現実感がない。
 全て夢ならいい。
 夢ならば、どんな不条理も納得できる。
「……もう、良いか」
 ギルガメッシュは重々しくため息をつくと、凛から体を離した。
 解放された安堵感に、凛もまた長嘆息する。
 ――これで終わりだ。
 こんな、わけのわからない状況が、そう長く続いてもらっては困る。
 夢ならば、いいかげん、次の夢に移るべきだ――。
「……、え……?」
 願いも虚しく、凛の体は無造作に仰向けられた。
 思わず瞬いた瞳に映ったのは、天井――。
 ではなく、間近から見下ろす男の顔。
「え――?」
 この状況に困惑したのではない。
 そもそも、どういう状況か理解できていない――理解したら、おそらく凛は憤死する。
 膝の裏を持たれて、両足を開かせられていることも。
 濡れた蕾に屹立した先端をあてがわれていることも。
 ぼんやりと霞がかった意識の中で、否応なく知らされた現実。
「――、ぃ――ッ」
 苦悶に歪んだ凛の顔をしばらく唖然と見下ろした後。
 ギルガメッシュは苛立たしげに腰を進めた。
 ――破瓜の血が、結合部を汚した。
「ひ……ぁ……っ」
 初めて男を受け入れた娘の体を、労わるようにかき抱いた。凛もまた、ギルガメッシュの背に腕を回す。
 その瞬間だけは。
 痛みよりも。熱よりも。
 温かさがふたりの胸中を満たした。
 聖杯戦争のことも。
 マスターとサーヴァントという縛りも。
 その瞬間だけは、ふたりの頭の中からすっかり抜け落ちていた。
 百年ぶりに再会した恋人のように。
 互いの体の奥深くで確かめ合った。
 流れ来るものと。
 流れ出るものを。
 静かに、静かに、味わった。
 ――それも、ほんの束の間。
 ギルガメッシュは徐に身を起こし、凛から己を引き抜いた。暖炉の火に照らされた横顔は、一切の感情が欠落しており、作り物めいている。
 ぐったりと横たわる凛を、普通ならば気まずくなるほど長い間、無遠慮に眺めていたが。
 ふと。
「……信じられん」
 慍然と呟いて、金髪をかき上げた。
 ――魔術師のくせに、この齢で生娘なのか。
 ありえんだろう、と独りごちる。そもそも言峰は何をやっていたのか。〝可愛い妹弟子〟ならば相応に躾けておくべきである。あの男、まったくもって、なっておらぬ――。
 綺礼の薄ら笑いが脳裡を過ぎり、ギルガメッシュは頭を抱えた。こんなときに思い出していい笑顔ではない。せっかくノってきた気分が台無しである。
 ――そもそも、この小娘が悪い。
 口づけは気まぐれだったのに。
 膚を重ねたのは戯れだったのに。
 処女を味わったら、俄然、本気になってしまう。
「信じられん。……この状況で寝る気か、貴様」
 凛は重い瞼を上げてギルガメッシュを一瞥すると、暖炉の方に寝返りを打って丸くなった。
 黒髪がさらりと絨毯に落ち、華奢な背中と細い首筋があらわになる。
 ギルガメッシュは右手を伸ばして、凛の額に触れた。
 ――熱が。
 上がっているように感じるのは、気のせいだろうか。
「……フムン」
 性交の余韻で火照っているだけだろうか。
 ――まあ、どうでもいいか。
 嘆息して手を引っこめようとすると。
「ん――?」
 凛に阻まれた。
 ギルガメッシュの手首をつかみ、掌を額から頬に移動させると、凛はうっとりと瞑目した。
「……冷たくて、気持ちいい……」
 ギルガメッシュは。
 ゆっくりと身を屈め、薄く開いている少女の唇を奪った。
「――我の手は、さほど冷たくはないと思うが」
「ん……、そう……?」
 紅潮した凛の頬はたしかに熱い。
「ああ。おまえの熱が高いせいだ」
「そう、なの……?」
 そうだ、と言い放つと。
 ギルガメッシュは凛の体を自身の方に向けさせた。
 体勢こそ同じだが、ただ温めるために抱いていたときとは異なる――明確な膚の馴染みがある。凛の視線は相変わらず茫洋としていたが、眼前の男に対する狎(な)れがあった。
「寝るな」
「寝てないわ」
「寝ようとしていただろう」
「そうだけど……貴方が邪魔したじゃない」
 フン、とギルガメッシュが鼻を鳴らす。
「我を無視して寝る気だったか」
「……いいじゃない。結局、起きてるんだから」
「良くはない」
 子どものように口を尖らせると。
 ギルガメッシュはさっと視線を逸らした。
「褥で男をその気にさせておいて、自身はさっさと眠りにつこうとするおまえの性根は――その。イシュタルめもかくやというほどの悪女っぷりだぞ。普通の男ならばトラウマものだぞ」
「……ふうん」
 心底どうでもいいと言わんばかりの相槌。
 そも、とギルガメッシュは語気を強める。
「今宵が初めてであろう? 男に抱かれるのは」
「そうだけど」
「初めての男に対してその反応はどうかッ」
「どう……って」
 普通でしょ、と凛はにべもない。
 さすがのギルガメッシュも閉口した。
 ――これは重症だ。
「それほど淡白でいられるのなら、なにゆえ後生大事に純潔を守っていた?」
「……は?」
 凛はぎろりとギルガメッシュを睨んだが、すぐに力なく視線を落とした。
「別に……たまたまよ。誰かにあげるために守ってたわけじゃないわ。婚前交渉はご法度、みたいな、古い人間じゃないし……」
 ただ――。
「身を焦がすような恋を、しなかっただけよ。……いつだって、恋に落ちる前に、自動的にブレーキがかかるの。わたしは、魔術師だから……もっと言えば、わたしは、遠坂の当主だから……『遠坂の娘が、普通の男と寝て、どうするつもり?』って。魔術師のわたしが、必ず、わたしを正気に戻すの。……魔術師の血って、意地悪よね。そんな風に言われたら、百年の恋も冷めるわ」
 でもね、と凛は自嘲する。
「わたし、根本的に冷血なんだと思う。普通の女の子が情を優先させるところで、わたしは理が勝ってしまうから……全然、可愛くないし……女の子らしく、ないし……でも、それでいいやってどこかで思ってて……だって、その方が魔道の家系の当主らしいもの」
 ふと。
 凛は言葉を止めて、ギルガメッシュを窺った。
「どうした?」
「……なんでもない。余計なお喋り、しちゃった」
 悔悟と自己嫌悪の滲んだ声に、ギルガメッシュは嗤笑を返した。
「そういうところか。理が勝るというのは」
「……フン。馬鹿にして」
「おまえがどれだけ肩肘張って生きようとおまえの勝手だが、弱っているときくらい男に身を任せてはどうだ?」
「な――っ」
 ますます赤くなった凛に顔を近づけて、ギルガメッシュは煽るように囁く。
「それとも――怖いか? 男に体を弄ばれるのは」
 凛は。
 挑むように赤をみつめ返す。
「怖くないわ」
「では続けるぞ」
 あっさりと凛を組み敷くと、その蒼を愉快そうに眺め下ろした。
「震えている」
「……熱の、せいよ」
「そうか」
 不意に、ギルガメッシュはにたりと口元を歪めた。
「てっきり、期待してかと思ったが」
「はァ――っ!?」
 予想通りの凛の反応に、ギルガメッシュはくつくつと笑う。
「冗談だ。……まァ、勝手に期待する分には構わん。後悔はさせんぞ」
 しっとりと汗ばんだ脇腹を指先でなぞると。
 凛は快感を堪えるように下唇を噛んだ。
「なにせ、我は巧いからな」
「じ、自分で言うこと……?」
 ごくり、と凛の喉が鳴る。
 ギルガメッシュは、む、と眉を顰めた。
「下手だと明かされるよりは良かろうよ」
「どっちも嫌よ、馬鹿」
 凛は顔を背けて固く目を瞑った。
 ――また、挿れられるのか。
 決して怖いわけではないし、初めてのときよりは痛くないはずだが、他者が自分の中に入ってくる圧迫感と、他者に自分が塗り替えられていく喪失感は――筆舌に尽くしがたかった。
 男を受け入れ、男に支配されることが、女の悦びだという。
 凛の抱いている、ともすれば屈辱にも似た感覚が、おそらく女の快感と呼ばれるものなのだろう。
 だとすれば――。
 一生そんなものなどいらぬ、と凛は思う。
「――ッ、ぁ、ああァ――ッ!」
 先刻よりも深く貫かれ、自然と涙が零れた。
「う……あ、ァあ……ぅ、ん……」
 凛の意思など無視して、女の体はギルガメッシュを貪欲に締め付ける。
 薄く目を開くと。
 感情の窺えぬ赤に見下ろされていた。
「……な、に……?」
 いや、とギルガメッシュは頭を振る。
「存外、心地良くてな」
「……っ……動、けば……?」
「そうだな」
 ギルガメッシュは微笑を零したが、動く気配はなかった。
 ――何の気遣いだ。
 思わずギルガメッシュに顔を向けると。
「――、――」
 悪態をつこうとした口をすかさず塞がれた。
「む……っ、ん……? ん、うぅ……ッん!」
 そして。
 緩慢にではあるが、体の奥深くを擦りあげられた。
「……まったく。せっかちな娘よな。そう、急がずとも」
 凛の指に己の指をからめ。
 ギルガメッシュは少女の唇を食(は)んだ。
「存分に、悦(よ)くしてやるというに……あまり煽ると、本当に、本気にしてしまうぞ……?」
「――っん、あ、――ぐッ」
「良いのか……? このまま、溺れてしまっても……」
 凛に応える余裕はない。
 ――答えなんて、わかっているくせに。
 今更拒絶することなどできないと、知っているくせに。
「そんなことに、なったら……どうなっても、知らんぞ」
 すっかり濡れた凛の体は、ギルガメッシュが突き入れるたびに嫌らしい水音を響かせた。
 ――否応なく。
 女であることを自覚させられる。
 雌であることを突きつけられる。
「……っい、い……どう、なっても……」
 だって、
 こんなにも気持ちいい。
 こんなにも、満たされている――。
 絶対に容認してはいけないと理性が警告していても、体は信じられないくらい従順だった。
「貴方の……好きに、して……」
 その囁きは。
 どんな睦言よりも、おそろしく扇情的だった。
「――ッ!」
 最奥を突き上げられて、凛の背がしなる。
「あっ……は、ぁ……すご、い……」
 繋がった部分が痺れている。
 ――こんなに気持ちいいなんて、知らなかった。
 性交自体がこれほど快楽にまみれたものならば、今まで知らなくて心底良かったと思った。与えられる快感を知ってしまったら、自慰では満足できなくなる。
「ここか?」
「あ――ッ、そ、ぉ――も……っと、ぉ……!」
 ――否。
 性交そのものに溺れるのならば、まだいい。
 問題は。
「……良い。もっと、求めよ……」
 ギルガメッシュというサーヴァントに対して、体が欲情しきっていること。
 絡み合う粘膜も。
 首筋にかかる息も。
 鼓膜に注がれた甘い声(どく)も。
「……っ……、イき、そ……」
 全てが凛の理性を適確に融かしにかかり、己を抱く男と(ヽ)達くことしか考えられない。
 ――どうして。
 他の男が相手ならば、もっと冷静でいられたはずだ。試したことはないが、試さなくてもわかる。魔術師である己の体は毒の壷のようなもので、その中身は、男の精が混ざったくらいでは薄まらない。男が凛の魔力に酔うことはあろうが、凛が男に酔わされることはない。
 一時の熱は分かち合えるだろうが。
 所詮、それだけだ。魔術師の血が、他者のそれと交じり合うことはない。共存はありえず、強者が弱者を淘汰する――魔術師の、純然たる力のルール。
 ――きっと、そう。
 わざわざ他の男に抱かれなくとも、充分理解している。なにせ、自分の体だ。冷血で不感症なんて、実に自分らしい。
「ひ……ッ、あっ、……ッ! ん、ぁ……っ!」
 相手が。
 ――サーヴァントだからか。
 人智を超えた存在だから。最古の英雄だから。
 ――そんな理由で。
「だめ……、も、ぉ――ッ」
 凛はぎゅっとギルガメッシュの手を握り返す。
 蒼穹から零れ落ちた雫を、黄金のサーヴァントの赤い舌がすくい取った。
「雑念が多い。もっと集中せよ」
「っ、え……? 集中……って、なに……?」
 尚も凛の膣奥を嬲りながら、ギルガメッシュは至極真面目に続ける。
「つまらんことは考えるな。単に魔力の相性が良いだけだ。……フン。小娘のくせに、生意気な」
 これほど美味だと知っていればもっと早く献上させたものを、と胸中でぼやいて、小さく舌打ちした。
「……。変態」
「なんだ、今更」
「……。ばか」
「はあ?」
 眉根を寄せるギルガメッシュに。
 凛は真っ赤な顔で抗議する。
「いっ、いつまで……挿れてる、のよ……」
 凛の体――もとい、凛の魔力が目的ならば、もう充分摂取したはずである。粘膜接触による体液交換及び高度の共振は、そもそも、処女を奪われたときに済ましたではないか。
 ギルガメッシュは。
 きょとんと目を瞬かせた。
「もう、イったんだから……抜きなさい、よ……」
 凛の言葉に、しばらくの間硬直していたギルガメッシュは、ふと――。
 がっくりと肩を落とし、あからさまにため息をついた。
「……おまえなァ……。まあ良い。今更驚かんわ」
 なにせ、このじゃじゃ馬が時臣の娘であることが、ギルガメッシュにとって最大の不条理なのだから――。
「自分だけイって、我をイかせぬつもりか……? 大きく出たな、小娘」
 凛は憤然と身を起こそうとするが、体に力が入らない。
「しらない、わよ……後は、自分で……どうにかなさい、よ」
「戯け」
 耳元に口を寄せただけで、凛はぞくぞくと身を震わせた。
「乗りかかった船だ」
「そん、な……」
「毒を喰わば、とも言うではないか」
「……っ」
 それ以上。
 凛の抗議は続かなかった。
「――ッ、ぃ、や――!」
 続けることを、ギルガメッシュが赦さなかった。
 ――好(よ)い声で啼く。
 柳腰を支えながら、ギルガメッシュは満足げに微笑(わら)う。
 時臣とは比べものにならぬ、魔力の芳醇さ。
 少女らしくない達観、諦念――それらを覆い隠す聡明さ、誇り高さ。
 なにより。
 瞳が美しい。
 人間の魂は瞳を通して表れる。その一対の輝きが美しいということは、この娘は本質的に美しいモノに分類される。
 ――我にしては、甘い評定だ。
 十年間、つまらぬモノばかり見すぎたせいだろう。
時臣の娘なんぞにほだされてしまうのは。
 ――きっと、そうだ。
 有象無象の中にあったからだ。
 砂中の金では見えにくかろうが、泥中の華ならば遠目でもそれとわかる。凛はこの時代だからこそ、一等星として輝けるのであって、満天の星空の中では取るに足らぬ一恒星に過ぎぬ――。
 数多の星の中でも一際異彩を放つモノをこそ、ギルガメッシュは愛する。
 この娘は。
 それに値しない。
「あ……ッ、やめ――っ!」
 ――では何故止められぬのだろう。
 本当に。
 こんな小娘に、本気になってしまったのか。
「――ッ、は……あつ……ぃ……」
 凛の中に射精しながら、ギルガメッシュの意識は急速に冷めていった。
 ――馬鹿馬鹿しい。
 そもそも。
 この小娘が、不用意に、『アーチャー』などと口にしたものだから。

「――リン」

 またしても、言葉は勝手に口をついて出た。
 呼ばれた娘は。
 応えるように、ギルガメッシュの唇に己のそれを重ねた。
「……ん……」
 身じろぎして、凛はギルガメッシュを奥深くまで迎え入れる。入ろうとするものは拒むが、一度受け入れたものは逃がさない――魔術師の習性。
 ギルガメッシュも、また。
 凛の奥深くで溺れた。
 ――当然ながら。
 ふたりの間に、パスが形成された。体を繋げるという、最も原始的かつ効率的方法で。
 それが魔術師同士の体ならば、単に魔力を融通する道が創られるだけであろうが――。
 凛はマスターであり。
 ギルガメッシュはサーヴァントであった。
 聖杯は、この繋がりを以って、マスターとサーヴァントの契約を上書きした。
 ――どちらも全くその意図がないにもかかわらず、その契約は成ってしまった。
 凛は朦朧としていたが。
 ギルガメッシュははっきりと理解していた。
 ――マスター、と。
 戯れに呼んだ娘が、今や名実共にギルガメッシュのマスターである。
 一旦凛から体を離すと、ギルガメッシュは胡坐をかいて座りこみ、乱れた呼吸を整えた。何気なく目を遣った窓外の景色は闇に沈み、今日という日の終わりを告げていた。
「……どうしようと構わんと、言ったではないか」
 言い訳じみた独白をすると、ギルガメッシュは絨毯に両手をつき、ぼんやりと天井を仰いだ。
 さて――。
 どうするか。
「――ん?」
 いつの間にか。
 起き上がった凛が、ギルガメッシュにいざり寄った。
「どうした?」
 ひどく優しい声で問いかけられて。
 少女は戸惑いがちに手を伸ばした。
 その掌が、男に届くより早く――。
 ギルガメッシュは凛を抱き寄せた。
「……足りぬか?」
 膚が触れ合うと、魔力の流れがより明瞭に感ぜられる。時臣をマスターとしていたときも、綺礼と再契約してからも、ギルガメッシュは滅多にパスを開かなかった。受肉して以降、必要な魔力は、件の地下聖堂の贄から吸い上げていた。
 ギルガメッシュは王である。
 王とは孤高であるべきであり、根本的に他者とは交じり合わぬ。
 それでも。
 凛の魔力は、いつまでも味わっていたいと思えた。
「う、ん……」
 艶かしい息を吐き、凛はギルガメッシュの首に腕を回す。
 酔った瞳で、じっと男を見上げた。
「……わから、ない」
 黒髪を指で梳くと、凛はくすぐったそうに目を細めた。
「体の、おく……あつ、い……」
「戯け。そういうのを、足りぬというのだ」
 徐に凛を抱き上げると、くるりと半回転させて背中向きにさせ、再び己の上に座らせた。
「――んッ、く――」
 最早痛みはほとんどないのか、凛はわずかに身を震わせたのみで、ギルガメッシュを体の最奥まで受け入れた。
「は……ん……ッ、や、ァ――」
 繋がる快楽を覚えてしまったら。
 もう、それを知らなかった無垢な体には戻れない。
「……小さいな。手の内に収まってしまう」
「う、うるさい……っ! ……ばか」
 凛の乳房を揉むというよりは撫でながら、ギルガメッシュは愉快そうに笑った。
「なんだ、不服か? 我は小ぶりな方が好みだが」
「……うぅ」
 だからどうしたという話である。ギルガメッシュの嗜好など聞いていない。
「……貴方の手、綺麗ね」
「ん?」
 予想外の切り返しに、ギルガメッシュは首を傾げる。
 凛はくすりと笑みを零した。
「普通、男のひとの手って、もっとごつごつしてるわ」
 ふふん、と鼻を鳴らすと。
 ギルガメッシュは無駄に威張った。
「我は王だからな」
「関係、あるの……?」
 無論だ、とギルガメッシュは重々しく肯く。
「農民ならば農具を持つ。武人ならば剣を持つ。――為人(ひととなり)を見極めたければ、その者の手を見ることだ。目で嘘をつくことはできるが、手は嘘をつかぬ」
「じゃあ――」
 凛はそっとギルガメッシュの手に己の手を重ねる。
「王様は、何を持つの?」
「何も」
 あっけらかんとした答えに、凛は目を瞬いた。
 ギルガメッシュは、彼にしては珍しく、言葉を補った。
「両手が塞がっていては、この世の全てを所有できんではないか」
「それは……手放すことで、手に入れるということ?」
 言葉の上では矛盾しているが。
 きっと、それは、真理だ。
「……案外、仏教的なのね。貴方」
「宗教の相違は形式的なものだ。行き着く先はどれも同じだ」
「ふうん……」
 ――まあ、セックスしながら話すような話題でもない。
「……貴方って、不思議なひとね」
「おまえが言うか」
 そもそも、話題のきっかけは凛の一言にある。
「魔力に、相性なんてあるの……?」
「む? それはあるだろう、何事にも。世の中のほとんどが相性の良し悪しで動いているといっても過言ではない」
「良いの? わたしと、貴方は」
「――まだ、わからぬか?」
 低く囁きかけると。
 ギルガメッシュの手は白磁の膚を滑り、凛の下腹の上で止まった。
「これほど熱く、からみついて、求めているが……?」
「ッ――、ぁ……!」
 不意に子宮口を突かれて、凛は仰け反る。
 ギルガメッシュはくすくす笑いながら、凛のうなじにキスした。
「ぅ……ん……っ、魔力の……、相性が、良くて……どうして、セックスすることに、なるのよ……」
「はあ……?」
 思わず半眼で唸るサーヴァント。
「そんなもの、気持ち良いからに決まっとろうが」
「……」
「……」
「……ばか」
 赤面して目を伏せると、鼻で笑われた。
「だから、おとなしく抱かれていろと言った」
「……知らないわよ。ばか」
 ギルガメッシュが腰を動かすたびに、溢れた精液が凛の内腿を汚す。
 ――もっと。
「……。ギルガメッシュ」
「ギルで良い」
 予想外の返答に、凛は眉を顰める。
「ギル……?」
「呼びにくかろう。ギルで良い」
 嘆息混じりに繰り返すと、なんだ、と億劫そうに凛を窺った。
「う……ん」
 ――なんてことを言おうとしていたのだ、わたしは。
「なんでも、ない……」
 ――本当は。
 もう少しでイきそうであるし。
 もっと強くしてイかせて欲しいし。
 できることならば、一緒にイきたいと思っていた。
 ギルガメッシュの腕をつかみ、凛はいやいやをするように首を振る。
 ――言えるわけがない。
「……フン」
 ギルガメッシュは。
 凛を抱え直すと、無防備な子宮口を力任せに穿った。
「――ッあ、んァあああぁあ!」
 一際甘い悲鳴が迸ると。
 ギルガメッシュは思わず口元をほころばせた。
「ん――ッ、あ――! だ、め――だめ、ぇ……ッ、つよ、いの……つよす、ぎ……っ」
「このまま……ッ、イかせて欲しいのだろう?」
「っ……!」
 ――そんなの、言えるわけがない。
「ちょ……っと、もう……笑い、すぎ……」
 うむ、と重々しく肯くと。
「中々に愛いぞ、リン」
 ギルガメッシュは満足げに囁きかけた。
「おまえは女としての自身に不満があるようだが、なに、気にすることはない。これだけ我を夢中にさせているのだ。むしろ誇るが良い」
「……」
「なんだ。感謝のひとつもないとは嘆かわしい」
「アンタなんかに励まされるなんて、心底不本意だわ」
 ははッ、とギルガメッシュは軽く笑い飛ばす。
「それでこそリンよ」
 そして。
 凛の最奥に己を埋めた。
「……出すぞ」
「っ、ん……」
 凛はわずかに顔だけ振り向かせると。
「う、ん……だして……」
 濡れた瞳で、小さく、そう懇願した。
「――ッ!」
 下からは突き上げられ。
 膚の上からは両掌で押さえつけられながら。
 凛の子宮はギルガメッシュの精液で早々に満たされた。
「……は、……っ」
 ぐったりとギルガメッシュにもたれると。
 凛はそのまま瞼を閉じた。
「っ、すご……あつくて……きもち、いい……」
「――リン」
 ギルガメッシュも、また。
 余韻に浸りながら双眸を閉ざした。

 ――その夜。
 飽きずに何度も体を重ねた後、ギルガメッシュも凛も気を失うように眠りについた。
 そして――。
 その、夢の中で。
 凛は、十年前の聖杯戦争において、ギルガメッシュの知りうる全ての真実を垣間見た。





 夜明け前。
 しずしずと襖を開け、ひたひたと畳の上を歩むと、セイバーは士郎の枕元に膝をつき居ずまいを正した。
「……ん」
 士郎は。
 重い瞼を押し上げる。
「シロウ。眠りを妨げて申し訳ありません。ですが――」
 ――もう、私には時間がないのです。
 セイバーは三つ指をついて、深々と頭を下げた。
 瞬時に。
 士郎は覚醒して、布団を跳ね除けた。
「何か、あったのか?」
 セイバーはゆっくりと顔を上げ。
 焦慮と苦渋を極力押し殺して、琥珀の瞳をじっと見返した。
「……ええ、そうですね。貴方に回りくどい表現は無用だ。シロウ、これから私の語ることは事実ですが、決してこころ乱さぬよう」
 士郎もまた、正座して翠緑に相対する。

「――凛との契約が切れました」

 辛抱強く、士郎は次の言葉を待つ。
「マスターとサーヴァントの契約は、普通、どちらかが死ななければ切れることはありません。キャスターの宝具は例外ですし、かのサーヴァントは既に消滅しました」
「遠坂に、何かあったのか?」
 堪えきれずにセイバーの言を遮った割には、存外冷静な声が出た。
 剣のサーヴァントはずいと身を乗り出す。
「良いですか、シロウ。ここからは、私の推測の域を出ない。――令呪を奪う方法はいくつかあるそうですが、最も手っ取り早く、また、未熟な魔術師でも可能であるのは、令呪の宿った部位をそのまま切り取る、という方法です」
 凛の場合、右腕を切り落とすことになります、とセイバーは淡々と告げる。
「ですが、それほどの大怪我をマスターが負ったら、サーヴァントにはわかります。更に言えば、それほどの危機が迫って尚令呪を使わないほど、凛は、悠長な娘ではないはず」
「……そうだな」
 とはいえ、凛にはお得意のうっかりがある。
 ひとまず反論を飲み込むと、士郎はセイバーを窺った。
「セイバーは、遠坂が無事だって言いたいんだな?」
 セイバーは首を横に振った。
「無事かどうかと問われれば――無事ではないでしょう。最前の言は、無事であって欲しいという願望の裏返しです」
「でも、怪我はしていない?」
 思案気に沈黙すると。
 セイバーは徐に口を開いた。
「令呪を奪われたことは、確実ではないかと。……恫喝、されたのではないでしょうか」
「脅しに屈するような奴じゃないだろう、遠坂は」
「まあ、それは……」
 語尾を濁して俯くと。
 自身の透けた指先が、否応なく目についた。
「キャスターのときと違って、令呪だけ奪われたってことか?」
 令呪を奪うのは、通常、その令呪で律しているサーヴァントを手中にするためである。
「令呪は魔力の塊ですから、奪う意義はあります。既にサーヴァントと契約しているマスターならば、サーヴァントを二体使役するよりも、一体により多くの令呪を割いた方が効率的でしょう」
 現界の楔たる契約者(マスター)を失った時点で。
 単独行動スキルのないセイバーは、消えざるを得ない。
「――大丈夫」
 士郎は少女の細い肩にそっと手を置いた。
「遠坂は、俺が必ず助ける」
 騎士の少女は。
 果敢なげな微笑を返した。
 ――教会からの帰り道。
 セイバーは士郎を支えながら、士郎はセイバーに支えられながら、多くのことを語り合った。これまでのことと、これからのこと。自身のこと、他者のこと、大切な誰かのこと。理想に殉じた少女と、これから理想に殉じるだろう少年の話――。
 契約こそ切れているが。
 士郎とセイバーの絆は誰よりも強かった。
「シロウ……」
 肩に置かれた手を取ると。
 改めて、両手でぎゅっと握り締めた。
「アーチャーと戦うことは避けられぬでしょう。貴方か、アーチャーか……勝者が決まるまで、決して戦いは終わらない。シロウも、アーチャーも、譲れぬものがあるから……貴方たちは、根本を同じくする別ものだから……」
 だから。
 戦いは熾烈を極めるだろう。
「どうか、悔いのなきよう。……ですが、ひとつだけ、言わせてください」
 シロウ、と心地良い音を夜陰に響かせて。
 セイバーは感慨深げに目を閉じた。
「アーチャーはおそらく、貴方に話したい――いえ、貴方に伝えたいことがあるのだと思います。伝えたいという意識すらなく。彼を支配しているのは、自身に対する憤りで……だから、その悔恨が、殺意になってしまっただけで……彼は、貴方と同じで、優しいひとですね……」
 む、と士郎は眉根を寄せる。
「俺はあんな捻くれものじゃないぞ。捻くれものになる予定もない」
 はい、とセイバーは微笑む。
「シロウは、どうかシロウのままでいてください。それを承知で、お願いするのです。……どうか、アーチャーの話を、彼の言い分を聞いてあげてください。彼は、貴方であって、貴方ではないひとなのですから」
「――ああ」
 士郎は硬い表情で肯く。
「俺だって言いたいことは山ほど――」
「願わくは」

 ――貴方の未来に、幸多からんことを。

 過去の改変を望んだ少女は。
 少年の行く末を祝福すると、音もなく消失した。

「……セイバー……」

 喪失感は。
 徐々に士郎を侵食した。
 しばらく――。
 うずくまったまま、士郎は嗚咽を漏らした。
 これほど辛い訣別は、後にも先にもこれきりであろう――。
 夜明けと共に。
 士郎は衛宮家を後にした。
 アインツベルンの城へ行くのは、これで二度目である。孤独な道行に恐怖感はなく、むしろ心中は弓を引く前のように穏やかだった。
 ――決着を。
 つけねばならない。
 森の入り口でタクシーを降り、ほの暗く足場の悪い道を、勘と記憶を頼りに急いだ。幸い、アインツベルンの巨大な〝別荘〟は遠くからでも見てとれる。
 城は――。
 ギルガメッシュとバーサーカーの戦いで半壊したまま、放置されていた。城の主たるイリヤスフィールが死んだ今――否、聖杯戦争が終わろうとしている今、修復する意義はない。
 聖杯戦争に、〝次〟はない。これ以上、こんな馬鹿げた殺し合いを続けさせてはいけない。
 そのために、戦うと決めた。
 その意思は、いまだ士郎の心の奥底に強い芯となって在る。
 堅固な扉は粉々に砕けて用を成さなくなっている。士郎は振り返って、明るくなった来し方を鋭く一瞥すると、何の気負いもないような表情でエントランスホールに踏み入った。

「――待ちくたびれたぞ、衛宮士郎」

 朽ち果てた豪奢な階段に座り込んでいたサーヴァントが、うっそりと立ち上がる。
「臆して屋敷で震えているものと思っていたが――待て」
 途端。
 アーチャーは表情を険しくした。
「セイバーはどうした?」
「おまえこそ、遠坂をどうした?」
 無言の睨み合いの末。
 アーチャーは嘲笑を浮かべた。
「約束は日付が変わるまでだろう。それ以降、凛がどうなろうと、知ったことではない」
「――て、めェ」
 ぎり、と士郎は歯噛みする。
 が――その怒気はすぐに霧散した。
「その様子じゃ、遠坂に何があったのか、おまえも知らないんだろう」
「……下らんな。こんなところで駆け引きか?」
「そんな余裕はないだろう、俺にも、おまえにも。いいから素直に、遠坂の居場所を教えろよ。おまえと戦うのは、遠坂の安全を確認してからだ」
「……」
 アーチャーは。
 ――逡巡していた。
「……オレの質問に答えろ、小僧。セイバーは凛の捜索をしているのか?」
「セイバーは消えた」
 真っ直ぐにサーヴァントを見据えて。
 士郎は偽りなき事実を告げた。
「遠坂との契約が切られたせいで、セイバーは現界が保てず消滅した。――犯人がおまえじゃないのはわかってる。だから、早く、遠坂の居場所を」
 士郎は思わず言葉を切る。
 アーチャーは――。

「――ありえんだろう」

 明らかに動揺していた。
「契約が、切れただと……? 馬鹿な……それでは」
 そして。
「小僧ッ!!
 とっとと凛を捜せッ」
 士郎に向かって吠えた。
「は――はあ?」
 アーチャーは階段を一気に飛び降りると、足早に広間を横切った。
「まったく我ながら血の巡りの悪さに腹が立つ――とにかく今は休戦だと言ったのだ。これほど早く凛を器にするとは……これでは言峰綺礼の思う壺だ。衛宮士郎ッ! 冬木の災害を二度も起こしたくはあるまい!?」
 振り返って士郎にまくし立て。
 再び前を向くと。

「――まァ、そう急ぎなさンな」

 にやけた顔のランサーが姿を現した。
「おっと、剣は収めろよ、戦いに来たわけじゃねェんだ」
 アーチャーはじっとランサーを窺うと。
 握っていた双剣を消失させた。
「ランサー! アンタ、無事だったのか」
 士郎の明るい声に、おうよ、と片手を挙げて応える。
「悪ィな、坊主。昨夜は暇乞いすらろくにできねェでよ……うちのマスターの、サーヴァント使いの荒さにゃァ涙が出るよなマジで」
「気にしないでくれ、そういうのはお互い様だ」
 士郎は目線でランサーに先を促す。
 この男が、ここに来たということは――。
「あー、そうそう。トオサカのお嬢ちゃんなら健勝だぜ」
「何故、貴様がそれを知っている?」
 アーチャーが当然の問いを発する。
 ランサーは飄々と肩をすくめた。
「ん? 捜しモンをしてたら、ついでに見つけた」
「……どういうことだ?」
 んー、とランサーは気のない返事をして。
 くるりときびすを返し、無防備な背をさらした。
「おまえらも来れば良い。中々面白いモンが見られるぜ? ……面白いっつーか、概ねムカつくが」
 士郎とアーチャーは思わず顔を見合わせ――慌てて同時に明後日を向いた。
「どこへ行くんだ?」
「戯け。こんなヤツの言うことを――」
「真に受けといた方がいいぜ? なにせ、英霊は嘘をつかない」
 結局。
 アーチャーは降参だと言わんばかりに両手を挙げてため息をついた。
「――わかった。凛が生きているなら何よりだ」
「生きてるどころか、あれは――」
 思い出し笑いをする槍兵に、二対の冷たい視線が突き刺さる。
「――あー、まァいいや。百聞は一見、ッてなァ」
「で。どこに向かえば良い?」
 むすっとしたアーチャーの声に。
 ランサーはへらっと相好を崩した。

「柳洞寺だ」





 その、二時間ほど前のことになるが――。
 ランサーはアインツベルンの森をあてどなく飛び回っていた。気の乗らない仕事である。いっそこのままふけたいものである。
「――はいはい、うるせェな。ちゃんと捜してますよ、クソッ」
 昨晩。
 教会でアーチャーと一戦した後、急にマスターに呼び出され、深山町にとって返した。キャスターの教会襲撃から辛くも――という体で――逃げ延びた綺礼は、深山町側のエーデルフェルトの屋敷に避難していた。
 綺礼の指示は奇妙で、行き先はエーデルフェルトの屋敷ではなく――間桐の屋敷であった。
 件の屋敷を訪れてみると――。
 間桐慎二が、この世の終わりのごとく泣き叫んでいた。
 一発殴って黙らせると、どうやら――ギルガメッシュがいなくなったらしい。
 そんなわけで。
 ランサーの仕事に、『ギルガメッシュ捜し』という実に不本意な内容が加わってしまったのである。しかも最優先で。
 ――見つけられるわけねェだろ。
 サーヴァントはサーヴァントの気配を察知するのに長ける、とはいうものの、ギルガメッシュの気配は『わかりづらい』。――おそらく、受肉したせいであろう。
 相手が魔術師ならば魔力を追跡するルーンが使えるが、ギルガメッシュの場合はそうも行かぬ。
 とにかく。
 足で稼ぐしかない。
 ある程度近付けばわかるのが、不幸中の幸いであろうか。ギルガメッシュの行きそうな場所、居そうな所を虱潰しに捜した。深山町にはおらず、新都にもおらず――最後に足を伸ばしたのが、この郊外の森である。
 まさかこんなところにはいるまい――というのが当てはまらぬのが、ギルガメッシュである。
 果たして。
「――いやがった」
 ランサーは口笛を吹いて着地すると、粗末な小屋を胡散臭そうに眺めた。
 気配はふたつ。
 一方はギルガメッシュ。
 もう一方は――魔術師である。
 ――まあ、いい。
 己の目で確認すれば、全てが明らかになる。
 廃屋同然の小屋に踏み入り、ひとの気配のある二階の部屋の戸を開けて――ランサーは、柄にもなく絶句した。
 ギルガメッシュは、いた。
 その隣には、凛が。
 抱き合って眠っていた。全裸で。
「……」
 何も見なかったことにして帰ろうかとも思ったが、そういうわけにも行かぬ。
 むしろ――。
 これは相当面白い場面なのではなかろうか、と生来の洒落っ気を働かせたランサーは、努めて無表情に、ふたりに歩み寄って枕元にしゃがみこんだ。
「……おーい、朝だぞー」
 反応したのは――。
 凛だった。
「……う、ぅ……」
 むくりと上体を起こした凛に。
 ランサーは、よ、と軽く片手を挙げた。
「オハヨーゴゼマース。とりあえず元気そうだな、お嬢ちゃん」
「ん……。らん、さぁ……?」
「おうよ」
 みつめ合うこと、数秒。
「……あー、なんだ」
 ランサーは頬をかきつつ、少年のような笑みを浮かべる。
「もしかして誘われてるか、オレ? いやー、お嬢ちゃんのような別嬪が相手なら、まんざらでもねえけど……あァ、でもさすがに今は仕事中だしよォ。若いときは気にせず仕事放っぽってたけどさァ、さすがに今はなァ。監視の目もあることだし――」
「――ッ――」
 凛は。
 声にならぬ叫びを上げて、そのまま壁際まで全速力で後退した。
「な……、らん……、なっ、ちょっ……」
 おや、とランサーは首を傾げる。
「別に逃げるこたァねえだろ。とって喰おうってンじゃねえんだ」
「――ッ!」
 凛は涙目でランサーを睨みつけると。

「あっち向いてろ、バカぁああああああッ!!」

 ついでにガンドを放って、ランサーを追い出した。
 手早く着替えを済ませると――服も下着も絨毯の隅に丸めてあった――、凛はいまだ熟睡中のギルガメッシュを叩き起こした。
 昨晩の上機嫌はどこへやら――。
 最古の王は慍然と凛を一瞥すると、なんだ、と高圧的にのたまった。ただし全裸なので威厳もへったくれもない。
 開いた戸の隙間から様子を窺っているランサーをひと睨みすると。
 凛はぱしっとギルガメッシュの頭をはたいた。
「なんだじゃないわよ」
「……。痛い」
 凛は徐に右手を挙げると。
 そっとギルガメッシュの胸に触れた。
「令呪を以って、命じるわ」
 な、と口を半開きにしたギルガメッシュに。
「私の問いに、正直に答えなさい、ギルガメッシュ。十年前に、貴方の知りえた真実を」
 凛は、至って真面目に、尋問を始めた。
 ――小一時間後。
 知りたいことを全て、知り終えると。
 凛はランサーに使いを頼み、自身は渋るギルガメッシュを引きずって、柳洞寺裏手の大空洞に赴いた。
「……信じられん……まったく……信じられん……」
 さっきからこの調子である。
「いつまでもぶつくさ言ってるんじゃないの。アンタ、男でしょ?」
「……」
 ギルガメッシュは傍らのマスターをじとりと見下ろす。
「なによ?」
 大空洞の入り口を背に、懲りずに口げんかを始めようとしたところに。
 ランサーがふわりと舞い降りた。
「――お? なんだ、もう終わっちまったのか」
「遅かったわね。――衛宮くんも、アーチャーも」
 ランサーの後から現れたふたつの人影を見とめて、凛は気まずそうに腕を組んだ。
 士郎も。
 アーチャーも。
 親しげに並び立つ凛とギルガメッシュに唖然とし、同時に口を開き――結局ふたりとも言葉を飲み込んだ。
「……すッごいシンクロ率」
 凛はやれやれと頭を振る。
「遠坂。いったい――その、ギルガメッシュ……だよな?」
 いつの間にかしゃがみこんで、ぶつぶつ文句を垂れているサーヴァントを見下ろすと、凛はさっぱりした表情で士郎に向き直った。
「そうよ。わたしのサーヴァント。――で。聖杯はこいつに壊させたから」
「は?」
「……は?」
「おー」
 三者三様の反応に、凛はため息をつく。
 士郎は、ギルガメッシュが凛のサーヴァントであることに驚き。
 アーチャーは、凛がギルガメッシュに聖杯を破壊させたことを訝り。
 ランサーは、早速透け始めた己の手を日にかざして、感嘆の声を漏らしたのだった。
「――待て、凛。聖杯はまだ顕現していないはず」
「うん。だから、大本をね。こいつの宝具で術式ごとぶっ壊しちゃった」
 二の句が継げない弓兵。
「こいつではない」
「あ。復活した」
 ギルガメッシュは不機嫌顔で去ろうとする。
「ちょっと! どこ行くのよ!?」
 それには応えず。
 ギルガメッシュはさっさと林道を下って行った。
「あーあ。そういや、あいつは消えねェんだよな」
 どこか口惜しげなランサーの言に、凛は苦笑する。
「ご苦労様、ランサー。今度会うときは、最初から味方であることを願うわ」
「まったくだ」
 いつもの飄々とした声だけを残し、アイルランドの大英雄は、出会った時と同じように、あっさりと消え去った。
「――アーチャー」
「なにかな?」
 未練がましく消え残っているサーヴァントに向かって。
 凛は人差し指を突きつけた。
「何度だって、付き合ってやるわよ。アンタが納得するまで、何度でもアンタを召喚してあげる。そんで――絶対に参ったって言わせてやるんだから。いいわね?」
「それは、宣戦布告か?」
「そうよ」
 やれやれと肩をすくめると。
 アーチャーは気障ったらしい笑みを浮かべた。
「死んでまで敵を作るとはな。特技に追加しておくべきか」
「ええ。是非そうなさい。わたしは、アンタが答えを得るまで諦めない」
 弓兵はかつてのマスターに背を向けると。
 そのまま、朝日に溶けるようにして霧散した。
「……最後まで、格好つけちゃって」
「遠坂」
 士郎が差し出した手を。
 凛はしっかりと握り返した。
「無事だったんだな」
「当然よ。遠坂凛は、転んでもタダでは起きないんだから」
 そうして――。
 聖杯戦争を戦い抜いた少年と少女は、手を繋いだまま家路についた。




――1ヶ月後



「おかわりを献上せよ、雑種」

 夕飯時。
 衛宮家の居間には、我が物顔でふんぞり返る英雄王の姿があった。
「あいよ。大盛りにするか?」
「普通で良い」
 士郎も慣れたもので、空いた茶碗に炊き立ての白飯をよそうと、ギルガメッシュに手渡した。
 その様子を。
 桜はじっと眺めていた。
「桜も、おかわり、いるか?」
「――ひぇ!? なんでもありませんっ」
「? いや、無理強いするつもりはないぞ?」
 ひたすら恐縮して身をすくめる桜に、士郎は怪訝そうな視線を送る。
「……」
「……」
「……」
 士郎も桜も多弁な方ではない。大河が居なければ静かなものである。
 一ヶ月、たびたび食卓を囲んでわかったことだが――。
 ギルガメッシュは口数が少ない、というより、必要以上に喋らない。セイバーの寡黙さとどこか通じるものがある。玉座に在る者が言葉を慎むのは、世の習いかもしれぬ。
 もっとも、ギルガメッシュの場合は、黙っていてくれた方が世のため人のためである。喋れば喋るほど、世界は多大なる損失を被る――と、桜は信じて疑わぬ。
「忙しいんだな、藤ねえ」
「年度末ですから」
「毎年のことだろうに……。師走に限らず、大体走ってるよな」
「それが、藤村先生の持ち味ではないかと」
「……」
「……」
 他愛ない会話は長続きせず、三人とも黙々と食事に没頭した。
 ギルガメッシュがおかずに箸を伸ばした、刹那。
 ――すぱん、と。
 襖が開いた。

「またこんな所でご飯食べて! 帰るわよ、ギル!」

 ギルガメッシュは無視してきつね色の衣を箸でさくっと割る。
 その金髪頭を。
 凛は容赦なくはたいた。
「聞け」
「……拒否する」
「これ以上衛宮くん家(ち)に迷惑かけるなって、何度言ったらわかるわけ!? ご飯食べたいならウチで食べなさいウチで!」
 むんずとギルガメッシュのジャケットの襟首をつかむと。
 そのままずるずると引きずった。
「あ……あー……我のカニクリーム……」
 哀れを誘うギルガメッシュの姿に、士郎は思わず立ち上がった。
「と、遠坂! 後でカニクリームコロッケ届けるか!?」
 凛は立ち止まると。
 ふ、とニヒルな笑みを浮かべて振り返った。
「お気遣い無用よ、衛宮くん。こいつは甘やかすと際限なくつけあがるから。エサを無闇に与えては駄目よ。絶対にね」
「お、おう……以後、気をつける」
 ――最早遅い気もするが。
 凛はうふふふふとホラー調の笑い声を響かせつつ、ギルガメッシュを片手で引きずりながら闇の中に消えた。
 この一連のやり取りもまた、一ヶ月間で何度か目にしているので、士郎も桜も無言で見送った。触らぬ遠坂凛に祟りなし。
「……遠坂ってすごいよな」
「ギルさんが来てから、ますます生き生きしてますよね、遠坂先輩」
「生き生――フム」
 桜が言うならそうなのだろう、と己に言い聞かせ。
 士郎はマイペースに食事を再開した。
 ――あのギルガメッシュが。
 我が家の食客になるとは夢に思わぬ。
「なんか……すまん、桜」
「ふえ? なにがですか?」
「いや……桜、ギルのこと苦手だろ」
「はあ……」
 桜は目を瞬かせると。
 ふわっと微笑した。
「苦手、というか……相性が悪いだけだと思います。仲良くもなれませんけど、嫌いというわけでもないので、わたしは大丈夫です。それに、それ、先輩が謝ることじゃないです」
「あァ……まあ、それもそうか」
 はい、と桜は重々しく肯く。
「でも、先輩、よく気付きましたね? わたしがギルさんを敬遠してること」
「ん? それは普通気付くだろ。俺だってあいつのこと苦手だし……ポカスカ殴ってるのは遠坂だけだ」
「藤村先生とは、わりと仲良しに見えますけど」
「藤ねえは別格。というか、アレを人間枠に入れてはいけない」
 多分どんなサーヴァントとも――メンタル面で――対等に渡り合える人外魔境である。藤村さん家の大河ちゃんは。
「それはともかく、嫌だったらちゃんと嫌って言うんだぞ。黙って我慢してるのは体に良くない」
 桜はまじまじと士郎を見返すと。
 えへへ、と照れ笑いを浮かべた。
「先輩に、心配されちゃった」
 でも大丈夫なんですよ、と桜は胸を張る。
「街でギルさんとお会いしたときは、ちゃんと『こんにちは』ってご挨拶してますし。向こうも『精々励めよ、雑種』って返してくれたりするんですよ」
「そうか……」
 ひどい日常会話である。
 あ、と桜は顎に手を当てた。
「そういえば、兄さんが……」
「慎二?」
 士郎は声を潜めて問う。
「はい。兄さん、わたしとギルさんが、たまたま間桐の家の前で立ち話してるのを見てから……なんだか、わたしに対してよそよそしいんです。どうしたのかなって、思って……」
「……あー」
 それはそうだろう。自分の元サーヴァントが自分の妹と喋っていたら居たたまれない。
 というより――。
「逆ギレしないだけ、大人になったんだな、慎二……」
 桜はきょとんと首を傾げる。
 ――いや。いくら慎二でも、ギルガメッシュに睨まれるのは勘弁、ということか。
「……ん。待てよ」
 慎二の反応が面白くて、桜にからんでいる可能性もあるのではないか?
 ――考えすぎか。
「先輩、どうかしましたか?」
「あー、いや、なんでもない」
 慌ててぱたぱたと手を振ると、士郎は空いた茶碗を指差した。
「ところで、桜。おかわり、どうだ?」
「はい、遠慮なくいただきます!」
 桜の満面の笑顔に。
 士郎もつられて微笑んだ。





「――あーのーねーえー」
 こめかみをひくつかせながら、凛は受話器に向かって苦言を吐いた。
「十年前、アレを拾ったのはアンタでしょう!? 拾ったイキモノは最後まで世話しろって習わなかった?」
『たしかにアレを拾ったのは私だが、今の飼い主(マスター)は君だよ、凛』
 落ち着き払った声が、更に凛の神経を逆撫でした。
「聖杯戦争は終わったんだから、マスターとかサーヴァントとかもう関係ないでしょ。わたしはアレを養う気なんて、さらさらないんだからね。ちゃんと引き取りなさいよ、綺礼。アンタ一応神父でしょ?」
『教会は、捨て犬捨て猫の保護施設ではない』
「猫だったら喜んでもらってあげるわよ! ウチに、王様は、いりませんっ」
 この一ヶ月間で何百回繰り返したかわからぬセリフを口にして、凛は頭を抱えた。
 ――大聖杯を破壊した後。
 屋敷に戻った凛は、玄関前でしゃがみこんでいるサーヴァントを見つけた。その様はたしかに捨てられた子犬そのものだったが――ひとたび口を開けば、やはりギルガメッシュであった。
 凛を見るなり、『王を待たせるとはなんたる不敬! 貴様それでも時臣の娘かッ』などと大声でのたまった。
 まァね、と凛は頭を振る。
「アンタとの約束をブッチして、勝手に動いたギルガメッシュに腹立てる気持ちはわからなくもないわ。でもね、もう一ヶ月なのよね。いいかげん、教会に入れてあげなさいよ。その内路頭に迷うわよ、あの王様」
『それはなかろう。現に、遠坂の屋敷と、衛宮の屋敷に入り浸っているではないか』
「それを止めさせろって言ってるのよ。迷惑だから」
 言峰教会が『ギルガメッシュおことわり』の掲示及び対サーヴァント結界を張ってもう一ヶ月になる。
『迷惑……? 少なくとも、衛宮士郎からそのような苦情を聞かされた覚えはないが』
「士郎の親切心につけこんでる張本人がよく言うわよ……」
 クク、と受話器の向こうで綺礼が陰鬱に笑った。
「てゆーか、なんでアンタ、まだ生きてるのよ?」
 言峰綺礼は汚染された聖杯――ギルガメッシュの夢で垣間見た、件の泥のような呪いによって生かされていた身である。
『さて、な。顕現した聖杯ではなく、大元を破壊したからではないか? おまえたちは、呪いを直接攻撃したわけではないのだろう?』
「呪い――って、あの、泥みたいなやつね。まあ、たしかに。壊したのは、言ってみれば、聖杯降臨のシステムそのものだから」
『消滅させなければ、呪いは生きる。今もどこかで、私と繋がっているのだろう』
「ふうん……」
 綺礼の暴論に、凛は気のない返事をする。
「ま、そんなことはどうでもいいわよ。それだけぴんしゃんしてるなら、さっさとギルガメッシュの世話しなさいよね」
 一方的に告げて、凛はがちゃんと電話を切った。
 そして――。
 盛大にため息をつくと、自室へ向かった。これから、面倒な仕事が待っている。

「――ギル」

 衛宮家から連れ帰ると、大抵、ギルガメッシュは凛のベッドで不貞寝する。
 果たして今宵も、黄金のサーヴァントは無断でマスターのベッドにもぐりこんでいた。
 明かりをつけようとした手を下ろすと、凛はベッドまで迷いなく歩み寄り、身を屈めてギルガメッシュの様子を窺った。
「……ギル。寝てるの?」
「起きている」
 不機嫌な声は、目を閉じたまま発せられた。凛は苦笑すると、ベッドに腰を下ろした。
「じゃあ起きてよ。お腹が空いてるなら、ご飯、温め直すわ」
 ギルガメッシュは。
 むくりと起き上がると、凛の耳元に口を寄せた。
「夕飯よりも――リンが欲しい」
「それは駄目」
 にべもない。
「そんなことしたら、もっとややこしい契約関係になるじゃない」
「魔術的な話だろう、それは。――どうせおまえは我のものなのだ。今更抱いたところで」
「駄目だってば! アンタはちゃんと綺礼のところに帰るの!」
「……」
 ギルガメッシュは。
 ぱたりとシーツの上に倒れた。
「では添い寝せよ」
「……はあ?」
「王に添い寝するは、下女の役目であろうが」
 ギルガメッシュの目が閉ざされたのを確認してから――。
 凛は仕方なく王の隣に寝そべった。
「……ねえ、ギル」
 窓から入るわずかな月明かりでも、ギルガメッシュの寝顔は際立って美しく見える。
「綺礼が……教会に戻るのを、許してくれなかったら……貴方、どうするの?」
 不意に。
 ギルガメッシュは苦笑交じりに嘆息した。
「――さて、な。そのときは、そのときだ。諸国漫遊でもするか」
「馬鹿ね」
 予想外の言葉に。
 ギルガメッシュは思わず目を見開いた。
「どうしてそこで、『おまえを連れて』、くらい気の利いたことが言えないわけ?」
 ギルガメッシュの腕からするりと逃れると、凛は愉快そうに笑った。
「ハイ、残念。マイナス二十点。ペナルティとして、王様はひとりで寝ること。――わたしひとり満足させられない不甲斐なさを、よォく反省なさいね」
 唖然としたまま。
 ギルガメッシュは凛の後姿を見送った。

「……信じられん」

 ようやくそれだけ呟くと。
 ギルガメッシュは、誰にともなく微笑んだ。




---Secret Epilogue---




 円蔵山地下大空洞にて。
「令呪を以って、サーヴァントに命ずる。――ギルガメッシュ、この大空洞ごと、聖杯の術式を破壊して!」
 号令一下、凛の二画目の令呪が消費された。
 が――。
 ギルガメッシュは不機嫌顔で突っ立ったままだった。
「――な」
 赤い一対が。
 年若のマスターを射抜いた。
「戯け。我に命じたくば、あと三倍は――」
「重ねて命ずるッ!」
 負けじと。
 蒼の一対が英雄王に向けられる。
「破壊しろッ!」
 高をくくっていたギルガメッシュの表情が、驚愕に変わる。
「――な、に――」
 サーヴァントにとっては抗いがたい力で、行動を強制された。
 己の意思に反して乖離剣を抜くと。
 己の意思に反してその力を解放した。
 ――たった一撃で。
 大空洞の最深部は崩れ落ちた。
 エアを蔵に戻し、ギルガメッシュは呆然と立ち尽くす。

「――バカっ!」

 サーヴァントの右腕を。
 凛は力いっぱい引っ張った。
「……え……?」
 自身はもう用済みのはずである。ここで落石に潰されて死んだ方が、凛にとって都合が良いはずである。
 だというのに――。
 少女は王を出口に連れて行こうとしていた。
 ギルガメッシュは踊る黒髪を眺めながら、引っ張られるままに、足を動かし続けた。
 ようやく。
「――は、ぁ」
 安堵のため息をついて、凛はへたり込んだ。
 ギルガメッシュは。
 暗闇に慣れていた目を細める。日は既に高く、柔らかな冬の陽光に頬が自然と緩んだ。

「――リン」

 最早、ギルガメッシュを縛る力を持たぬマスターの名を呼ぶと。
 傲岸な瞳で見下ろした。
「迂闊だったな。令呪を使いきるとは」
「――わたしを殺すの?」
 凛はすっくと立ち上がり、ギルガメッシュに相対する。
 瞳の奥で、蒼い焔が燃えている。
「別に構わないわよ。今度こそ、気に食わないマスターを自分の手で殺せば良い。わたしはこの通り、丸腰なんだから」
 ギルガメッシュは。
 凛の肩をつかむと、ぐいと壁に押し付けた。
「少しは怯えてみせたらどうだ? 無様に命乞いをすれば、或いは気が変わるやもしれん」
「好きにすればいいわ。死ぬ覚悟なんて、とっくの昔に決めている」
 ――サーヴァントの表情の変化は。
 興醒め、というべきか。
 ギルガメッシュはつかんでいた手を離して凛に背を向けた。
「あの洞穴を地の底に埋めてしまっては、以後、冬木の地で聖杯戦争は行えまい。――遠坂の悲願とやらは良いのか?」
「いいのよ」
 凛はギルガメッシュの隣に並ぶと。
 父が召喚したサーヴァントを眩しそうに見上げた。
「それは、魔術師として到達すべき〝課題〟であって、〝願い〟じゃないわ。遠坂は冬木の管理者なんだから、まず、冬木という土地の平穏を考えるべきよ」
 ――わたしはね。
「遠坂の娘として、誇れる生き方がしたいだけ。今ここでアンタに殺されたって、後悔なんかしないわ。冬木を守って死ぬんなら、胸を張って、あの世で父さんに会えるもの」
 それは。
 即ち、血に殉じる生き方である。
「……小娘のくせに」
 ギルガメッシュの揶揄をさらりと聞き流すと、凛は日の当たる道をぶらぶらと歩き始めた。
 結局。
 聖杯も、セイバーも、手に入らなかったが。

 ――ああ、きっと。
 我は、我に相応しいマスターが欲しかっただけなのだ――。

 ふと、胸中に浮かんだ偽らざる思いを。
「……そんなわけあるか、戯け」
 自身の声ではっきりと否定した。
 それにしても。
 時臣の娘なんぞに。
 たとえ一瞬でも、目を奪われてしまうなんて。
「……信じられん」
 むすっと呟いて。
 ギルガメッシュは凛の後を追った。


End.

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