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龍王陛下に𠮟られるから

『悪趣味な話』



 ひらり、ひらりと――。
 黄金の蝶が舞った。
 誰の合図も待たずに視界が一瞬にして開けると、一面に黄金の薔薇が咲き誇る庭園が広がっていた。
 ――これは、固有結界に近いのかもしれぬ。
 言峰綺礼はフウムと唸ると、早速庭園の中を探索し始めた。この世界の主――固有結界(もどき)の持ち主――に害意があるなら、既に攻撃されていてもおかしくない。なにもしてこないということは、ひとまずは安全であろう。
 綺礼はもったいぶった様子で歩を進める。時折身を屈めて、念入りに薔薇を観察したりもする。普段から、ひとを苛立たせることにかけては天才的な手腕を発揮する綺礼だったが、此度も例外ではなかった。
「……呼びつけておいて無視とか、何様?」
 不機嫌な女の声は背後から聞こえた。
 綺礼は立ち止まると、ゆっくりと振り返る。
「なにぶん、勝手がわからないものでね。失礼があったのなら、謝ろう」
 綺礼はにやにやと笑みを深める。
 相対する女は――。
 豪奢なワインレッドのドレスを身にまとい、右手には黄金の杖を携えていた。地を這う紅の長髪。胸元には複数の勲章が輝いていた。
 女は、魔女であった。
 魔女は、己の庭園に現れた招かれざる客を冷ややかに見据えた。
「あんたの心のこもらない謝罪を聞く方が不快だわ」
「それはもっともだ」
 空気は最悪だったが、敵意はやはりない。邪険にされることには慣れている綺礼である。
 徐に挙げた綺礼の右手に、黄金の蝶が止まった。
「で――何の用かしら?」
 蝶は、綺礼の掌の上で溶けるように消えた。
「神父のくせに、魔女に頼みごとをするなんてね」
「背に腹は代えられない。なにせ――」
 綺礼は右手を下げると。
 陰鬱な笑みを浮かべた。
「私の知る限り、反魂の魔女は君ひとりしかいない」
 魔女の表情に変化はない。
 ――反魂の魔女。
 彼女をそう呼ぶ者は、決して多くない。
 反魂の魔法は禁忌である。魔女はもっぱら、黄金と無限の二つ名を名乗り、反魂の名は秘してきた。
 綺礼がその名を知ったのは、あくまで偶然である。
「君こそ、何故私の頼みごとを聞く気になった? 神父の手助けをしたところで、なんの得にもなるまい」
 綺礼がもっともらしく嘯くと――。
 魔女は、端正な顔立ちに邪悪な笑みを浮かべた。
「暇つぶしよ」
 高慢に吐き捨てる。その声音はあまりに魔女らしい。
 綺礼は沈黙を保ったまま、魔女を見返す。
「魔女は、退屈だと死んでしまうの。それがどんな下らない言い分だろうと、とりあえず聞いてみるわ。だって、聞かずにいるよりは、はるかに気がまぎれるもの」
 なるほど、と綺礼は呟く。
「利害は一致しているわけだ」
 残念ながらね、と魔女は肯き返す。
 そして。
 つ、と手を伸ばすと、一輪の薔薇を手折った。
 魔女は黄金の花を口元に寄せると、物憂げな様子で呪文を唱える。
「さあ、思い出せ。汝の名を、汝の本来の姿を――」
 綺礼の眼前で、反魂の魔法が行われようとしていた。
 魔女の手の中で、黄金の薔薇が宝石のように輝く。
「反魂の魔女、エンジェ・ベアトリーチェが命ずる」
 輝きは一瞬――。
 反魂の魔女は薔薇を綺礼に投げてよこした。
「そこに、あなたが必要とする者の魂をこめたわ。あとは好きなように使って」
 綺礼は薔薇をしげしげと眺める。
「ずいぶんと話が早い……。私のいるカケラを観測していたのか?」
 まさか、と魔女は肩をすくめる。
「あなたたちの話に興味はないわ。……あなたの考えていることがわかりやすいだけよ」
 綺礼は陰鬱に笑う。
「魔女殿にはなにもかも、お見通しというわけか」
 エンジェはかかとを鳴らして背を向ける。
「用が済んだのなら帰って。あなただって、無駄話は嫌いでしょう?」
 綺礼は苦笑する。
「……魔女殿を本気で怒らせる前に、退散するとしよう」
 反魂の薔薇を懐にしまいつつ、綺礼もまたきびすを返す。
 エンジェが黄金の杖を一振りすると、神父の姿は庭園からかき消えた。

「本当に……悪趣味な男」





 時計塔での二年間の留学期間を終えた凛は、冬木に戻ってきていた。
 ロンドンでの生活はさして面白いものではなかった。極東の、高々二百年程度の歴史しかない遠坂家の当主たる凛に、欧州の名門出の魔術師たちが親愛の情を示すわけがない。入学早々始まった陰湿な嫌がらせに対して全力で報復することが、凛のストレス発散方法になっていた。
 時計塔における凛の立場を保証してくれる者は、大師父ゼルレッチだけである。父は魔術教会にそこそこ顔が利いたらしいが、亡くなって十年以上経つため、その七光りは既に色褪せていて使い道がない。
 もっとも――。
 凛が他者の力を当てにすることなど皆無であり、あらゆるトラブルを自力で解決してきた。それは、遠坂の当主として、一人前の魔術師として、当然の在り方だった。
 誰かを頼ることなど、ありえない。
 何事も、等価交換でなければならない。
 凛が生きているのは魔術師の世界である。血の通った人間の世界ではない。決して。  歩き慣れた坂道をだらだらと上りながら、凛は大層不機嫌だった。
 ――帰国の報をあの男にしたのが、そもそもの間違いだったのだ。
 後悔しても詮方ないことである。ほぼ一年ぶりに冬木の空気を吸って、里心が刺激されてしまったのが運の尽き。遠坂の屋敷に着くなり、凛は受話器を取って教会の電話番号を押していた。
 非常に間が悪いことに――。
 教会の主は、三コール待たせることなく、凛からの電話を取った。
 ――どうせ暇だろう。たまには教会に顔を見せなさい。
 両親の墓参りも兼ねて、と言われてしまっては、凛に断る術などない。
 ――両親を出すのは卑怯だ。
 普段は驚くほどの生臭っぷりなのに、時折思い出したように聖職者らしい言動をするのが、言峰綺礼という神父である。
 神父でありながら魔術師に師事したことがある、正真正銘のエセ神父なのだが――。
 そんな男を兄弟子に持つ己の不運を自嘲しながら、凛は言峰教会の扉を開いた。
「おかえり、凛」
 タイミングを見計らったように、もったいぶった男の声が礼拝堂に響き渡った。
 凛は男を無視して扉を閉めると、最後列のベンチに澄まし顔で腰かけた。
 壇上に佇む綺礼はフウムと唸ると、凛から視線を逸らした。
「今何時かわかっているのかね。ここが教会でなければ、門前払いをくらうところだ。あァ、それとも」
 時差ボケかね、と綺礼は真顔で問う。
 そんなわけないでしょ、と凛は冷たくあしらった。
「迷える子羊を救うのが教会の役割なんでしょう? だったら二十四時間営業くらいしていなさいよ。午前一時だからお断りなんて聞いたことがない」
「無論、何時だろうと大歓迎だ。訪問者が可愛い妹弟子であれば尚更」
「気持ち悪いこと言わないで」
 いつになく棘のある言葉に、綺礼はニヤニヤと笑みを深める。不愉快を隠そうともしない凛の態度は、綺礼にとって実に好もしい。
「ロンドンでの収穫は――フム、芳しくなかったか」
「馬鹿言わないで」
 この男に苛立ちをぶつけるのは逆効果であるとわかりつつも、凛は声を荒げていた。
「鉱石科は主席卒業。研究生としてもう一年残らないかって、他学科の研究室からも引く手あまただったわよ。全部断ったけど。そんな面倒くさい権利、ルヴィアにノシつけてくれてやったわよ」
 フン、と鼻を鳴らして足を組み替える。
 綺礼は静かに凛をみつめると、クッと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「時計塔は、よほど居心地悪かったと見える」
 一瞬、凛は綺礼に向かって射るような視線を投げた。
「……そうね。楽しさという基準だけで判断するなら、下の下だわ。我ながら、二年間もよく我慢したものよ。笑っちゃう」
「いつでも辞めて良かったのだぞ。教会の門戸は、常に万人に開かれている」
 はァ、と凛は苦々しく綺礼を見返す。
「アンタの世話になることなんて、未来永劫ありませんから」
 それは残念、と綺礼は軽く頭を振ると。
 徐に祭壇を下り、凛の方へゆったりとした足取りで近付いた。
「いや、なに。私は純粋に嬉しいのだよ。君が息災であることも、こうして冬木に戻ってきたことも。なにせ君は、時臣師からの大切な預かりものだ、凛」
 綺礼は親しげに、凛の肩に手を置いた。
 凛はすかさず綺礼の手を払うと、兄弟子を睨んだ。
「その言い方、すごく癪に障る。アンタが父さんの弟子なのは事実だし、それは認めるけれど、それ以上の関係性なんて求めていないから。父さんはアンタを信頼していたのだろうけど、わたしはアンタをこれっぽっちも信用してない」
 凛の辛辣な言葉に。
 綺礼は陰険な笑みを返した。
「それでも、私は君の後見人だ」
「ウチの財産すっからかんにしたくせに、よく言うわよ」
「私は、君の身柄を託されたのだ。財産の管理をしろとは一言も言われていない」
「ハイハイ、屁理屈どーも」
 ところで凛、と綺礼は最前と変わらぬ調子で続ける。
「君はこれからどうするつもりだ?」
「どう――」
 思わず口ごもった凛を、綺礼は淡々と見下ろす。
「――ッて」
 別にどうもこうもないわよ、と凛はわめいた。
「時計塔に閉じ込められるのはまっぴら。魔術師と付き合うのも、もううんざり。わたしは、わたしの城で、おもしろおかしく暮らしたいの」
 凛は一息にまくしたてると、まあ半分は冗談だけど、と付け足して目を伏せた。
「半分は本音よ。……最初から、協会に所属するつもりはなかったし。わたしは冬木の管理者なんだから、冬木に常駐するのは当然でしょう」
 それは道理だ、と綺礼はもっともらしく肯く。
「それで、凛」
「なによ?」
「質問には答えなさい」
「……答えたじゃない」
 フムン、と唸ると。
 綺礼は強情な妹弟子に向かって、やけに優しげな口調で語りかける。
「凛。君が一流の魔術師であり、名実共に冬木の管理者であるところは、疑いようがない。私が問うたのは、その先だよ」
 綺礼はベンチに腰を下ろすと、しかつめらしい表情を作って、凛の横顔をみつめた。
「管理者としての務めは、なにも土地の監督だけではないのだ。遠坂の当主として、なすべきことを忘れているのではないかと思ってね」
 凛は兄弟子を一瞥すらせず、小さくため息をついた。
「言いたいことがあるなら、はっきり言えばいい」
「継嗣は、どうするつもりだ?」
 ――やはり、それか。
 凛は極力感情を抑えた声で、綺礼に問い返す。
「どうするって、どういう意味よ?」
「隠し子がいるのなら、それで手を打つが」
「いるわけないでしょ。……ていうか、なんでアンタにそんなこと心配されなきゃいけないわけ? わたしまだ二十歳そこそこなんですけど」
 綺礼は大仰に肩をすくめる。
「早過ぎる、ということはあるまい。魔術師は常に死と隣り合わせだ。子が産めるようになれば、すぐさま産んでおくべきだろう」
「そういう考え方、嫌いよ、わたし。時代遅れも甚だしいわ」
 好き嫌いの問題ではないと思うが、と綺礼は苦笑する。
「産めなくなってからでは手遅れだぞ」
「そんなヘマしないわ。……って、今『どうだか』って思ったでしょ」
 むっとする凛に向かって、綺礼はあくまで真面目に問いかける。
「時計塔には、婿養子候補はいなかったか?」
 む、と口をつぐむと。
 凛は渋々といった調子で答えた。
「……。いないわよ、そんなの。魔術師として尊敬できても、恋に落ちるような相手じゃなかった」
 ほう、と綺礼は感心したようなため息を漏らす。
「恋は必要か? 優秀な魔術師ならば、不足はあるまい」
「そういうところは案外割り切ってるわよね、アンタは……」
 どうせ心の贅肉よ、と凛はひとりごちる。
「わたしね、魔術師としての生き方は好きだけれど、魔術師という種族は、根本的に大嫌いなんだ――って、気付いちゃったのよね」
 そうか、と綺礼は肯いただけだった。
 反応薄いわね、と凛は口をとがらせる。
「もうちょっと驚くとかないわけ?」
 驚くようなことではないな、と綺礼はあっさり告げる。
「私とて、魔術師の知り合いは腐るほどいる。彼らが君の好みに合わぬことは――まァ、想像に難くない」
 それならば、と綺礼はさっさと話題を変えた。
「冬木にめぼしい男はいないのか? 穂群原には――三年も通ったのだろう?」
 凛はため息をつくと、頭を振った。
「一般人しかいないわよ、あそこは」
「だが、魔術師は嫌なのだろう?」
 凛は充分な時間を思考に費やすと。
 思い出したように口を開いた。
「いつか……見つかるかもしれないわ。まともに恋ができる魔術師が」
 綺礼は。
 口の端を歪めた。
「それは、永久に見つからないということだ」
 ――真実だ。
 綺礼の言っていることは正しい。
 いつかなどという時間は存在しない。凛の言葉は少女じみた願望の表れであり、実現可能性が限りなく零に近いことは本人が一番よくわかっていた。
 凛は下唇を噛みしめると。
 ふと、投げ遣りな笑みを浮かべた。
「……どうしろっていうのよ」
「だから、どうするつもりか問うたのだが」
 深夜の礼拝堂に静寂が満ちた。
 不意に――。
 綺礼が立ち上がった。
「ついて来なさい」
「え……?」
 有無を言わさぬ口調に、凛は戸惑った。
「あ――ちょ、ちょっとぉ!」
 凛が止める間もなく、長身が暗闇にまぎれた。靴音を頼りに、凛は慌てて後を追う。
 礼拝堂より先に足を踏み入れるのは、これが初めてだった。
 周囲をじっくりと見て回りたい誘惑にかられたが、容赦ない速度で歩く綺礼についていくだけで精いっぱいだった。
「ちょっと、綺礼! なにをそんなに急いで――」
 歩き始めたときと同様。
 綺礼は唐突に立ち止まった。
 それから――。
 ゆっくりと凛に振り返った。
「そういえば、穂群原の卒業のときも、成人のときも、ろく祝ってやれなかったな、凛」
 凛は不信感丸出しで腕を組む。
「『気持ち悪いから祝わないで』って、先に言ってあったからね」
「その穴埋めというわけではないが――時計塔の卒業に間に合ったのは僥倖だ」
 凛はますます眉根を寄せる。
「なに? どういうこと? さっきの話と今の話の流れ、まったくかみ合わないんですけど」
 綺礼の話が意味不明なのは今に始まったことではないが――。
 神父は右腕を伸ばし、私室の扉を開けた。
 刹那。
 凛の眼前を黄金の蝶がひらりと舞って――消えた。
「――凛。君に見せたいもの、否(いや)、逢わせたいひとがいる」
 神父の声に誘われて、凛は開いた扉の隙間からそっと室内を覗き込む。
 照明がついているため、中の様子は仔細に見てとれた。
 教会には似つかわしくない深紅のカーペット。簡素な執務机と、飲みかけのワイングラスが置かれたテーブル。
「――ッ――」
 凛は息を飲む。
 ソファに、ひとりの男が座っていた。
 十三年前に別れたままの姿で、そこに在った。
「う、そ……」
 肩に乗せられた綺礼の手を払いのけることすら忘れて、凛は食い入るように男をみつめていた。

「おめでとう、凛。ささやかではあるが、彼が、私から君への贈りものだよ」

 凛は。
 勢い良く綺礼に向き直ると、にやける男の胸ぐらをつかんだ。
「……どうして」
 聡明な青い瞳からは、隠しきれぬ動揺が窺えた。

「どうして、父さんが生きているのよ」

 綺礼はやんわりと凛を押しとどめると、後ろ手を組んだ。
「時臣師は死んでいる」
「じゃあ、アレはなに? 人形かなにか? それともそっくりさん? 生き別れの双子の弟とか言ったら、アンタのこと本気で殴りそうだわ」
 綺礼はしばし思案する振りをすると、凛をちらと窺った。
「人形――という表現が、一番近いのかもしれんな」
 だが、と綺礼は表情を険しくする。
「あれは真実、時臣師だ。なにせ、私が依頼したのは反魂の呪法だ」
「反魂――」
 無意味に単語を繰り返すと、凛はげんなりした表情で綺礼を見返した。
「アンタってホント、妙な知り合いばかりいるわよね」
「こう見えて、それなりに顔は広い。……彼女の反魂は、死者の肉体に仮の魂を込めるというものだ。反魂とは名ばかりのような気もするが」
「それって、ゾンビと一緒ってこと?」
 いいや、と綺礼は首を横に振った。
「死者の魂を彼岸から引っ張ってくる力がないというだけだ。彼女の提供する仮の魂は非常によくできている。もっとも、死者自身の魂ではないからか、人格は再生していない。君が話しかけてもなにも言わぬだろうし、君が誰かわからぬだろう。生ける屍といえば、たしかにその通りだ。だが、それでも、時臣師は生きている」
「植物状態、のようなもの、ということ」
「一応、脳は機能しているが。精神が死んでいるだけで、肉体に支障はない」
「そう……」
 凛は改めて、生き返った父をみつめた。
 たしかに――あれはまぎれもなく遠坂時臣だ。そんなことはひと目見ればわかる。わたしは血を分けた実の娘なのだから――。
「……どうして」
 父から目を離さぬまま。
 傍らの神父に問いかける。
「どうして、父さんなの……?」
 おや、と綺礼は大仰に肩をすくめる。
「もっと喜ぶかと思ったのだが」
 凛はわずかに苦笑してみせた。
「素直に喜んでいいものかどうか、目下考え中よ」
「ずいぶんと信用されていないのだな、私は」
 いつもならば、当然でしょ、と返ってくるはずの声が、今日に限ってなかった。
 凛は――。
 揺れていた。
 綺礼に対する疑念はもちろん強いだろうが、それ以上に、突如生き返った父に対する想いの奔流の中で溺れかかっていた。
 ――少々拍子抜けではある。
 凛の反応は、綺礼の予想の範中だった。企図した通りの効果が得られたことに対する満足感はあるものの、予想を裏切られたときのスリルには代えがたい。
 聖杯戦争のない世界線は、とかく面白みに欠ける。
 内心の懊悩などおくびにも出さず、綺礼は凛の横顔に向かって語る。
「イシス神は殺された夫の死体から精を集めて、懐妊したと聞く。死者と交わるという試みは、実に魔術師らしいと思うが」
 なぁに、と凛は目を細める。
「アンタが心配しているのは、そっちの方なの?」
「そっち、とは?」
 とぼける綺礼をひと睨みすると、凛は嘆息した。
「わたしは時折、アンタが神父だってことを永久に忘却したくなるわ」
 綺礼は邪な笑みを返す。
「迷っているようなら、すぐにとは言わぬ。明日でも、明後日でも――」
「迷ってなんかいないわ」
 凛はきっぱりと告げた。
 そして、憂鬱そうに目を伏せた。
「迷いなんて、あるわけない。迷えるほどの余裕なんて、ないもの」
 ――どうして。
「どうして、父さんなのよ」
 無意味に繰り返された問いに。
 綺礼は笑みを消した。
「生まれようとするものを祝福し、死にゆくものに安寧をもたらす。求めるものを与えることが神父の義務だ」
 ふうん、と凛は気のない相槌を打つと。
 何の気負いもなく、部屋の中に足を踏み入れた。
「ところで、綺礼。父さんとふたりっきりにして欲しいのだけど」
 よかろう、という声と共に、凛の背後で扉が閉まった。

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