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龍王陛下に𠮟られるから

『ウルクの魔法使い』



「よいしょ――っとぉ」
 衛宮邸の居間のテーブル上に大判の洋書の山を築くと、凛はふうと一息ついた。
 書架の整理を思い立ったのは、ほんの三時間前。午後に士郎への魔術講義を控えていた凛は、ネタ探しのために工房内をうろついていた。
 魔術特性が魔術特性だけに、凛は士郎に何を教えるべきか決めあぐねている。魔術師の一般常識はからきしのくせに、魔術の根本的理解は凛も唸るほど。実践を通して培われたものには違いないが、センスによるところが大きいと凛は思う。
 士郎はへっぽこであると同時に、ある種の天才なのだ。
 ――とはいえ、あいつもウチの門下だし。
 宝石魔術を教えるわけにはいかないが、ゼルレッチ一門の末席に名を連ねる以上、それなりの仕込みをしておかなければとも思うわけである。宝石翁の面子を立てるため、というよりは、直弟子たる遠坂の名を貶めぬために。
 ――実践派だろうとなんだろうと、このくらいは読めなきゃね。
 流し読みしていた魔導書をぱたりと閉じると、凛はフフフと悪魔の笑みを浮かべた。
 そこからの行動は迅速だった。初級の教本を見つくろうだけでは飽き足らず、奥にしまいこんでいた手書きのノートも引っ張り出した。せっかくだし、この機会に虫干ししよう――と積み重ねていくこと百冊。凛は士郎に電話して、藤村家の車で迎えに来てくれるように頼んだ。洋館の遠坂家よりも和風建築の衛宮家の方が、虫干しには適している。
 テーブルの上に積んだのは、初級の本。残りは縁側に並べるとして、と凛が庭の方に視線を遣った瞬間。
 くしゅん、と小さなくしゃみがテーブルの下から聞こえた。
 凛は眉根を寄せる。セイバーが昼からごろごろしているとは思えぬし、イリヤや桜が今日来るとは聞いていないし、ライダーが畳に寝転がっている姿は想像できない。
 くしゃみの主はもぞもぞと身じろぎすると、テーブルの下から這い出した。
「……カビ臭い」
 ギルガメッシュは不機嫌に呟くと、卓上の書物をじとりと睨んだ。
「王の眠りを妨げるとは……万死に値する、ぞ……」
 寝起きのせいか、声に覇気はない。ふああ、とあくびをすると、凛を不思議そうに見上げる。
「小娘……? いつの間に」
「いや、アンタこそなんでここにいるのよ」
 ギルガメッシュにとって、衛宮邸は(一応)敵の本拠地(のはず)である。縁側の戸が開いているからといって、ふらふら入ってきて、勝手に寝転がっていい場所ではない――はずである。野良猫じゃあるまいし。
 ギルガメッシュは凛に胡乱な視線を返すと、テーブルの上をぞんざいに指差した。
「このカビ臭い本をどうにかせよ、小娘。不愉快だ」
 はあ、と凛は半眼になる。
「嫌なら教会に帰りなさいよ。なんで、衛宮くん家で、アンタの意向を尊重しなきゃいけないわけ?」
 がばっと跳ね起きるサーヴァント。
「おまえの家ではなかろう! 雑種が拒否するならまだしも、おまえになんの権限があって――」
 凛はにっこりと笑う。
「そういう一人前の口は、生活費入れてから利いてくださる?」
「……シェアハウスなどこちらから願い下げだ。つくづく、狭小な住居を好む民族よな」
「平地の割合が低いからね」
 好んでいるわけではなく、不可抗力だと思う。
「衛宮くんのお家は、この辺じゃ標準サイズだと思うけど。アンタにとっての普通の家って、イリヤの城とかを言うわけ?」
 あの城か、とギルガメッシュは真面目な表情で腕を組んだ。
「あれは……我の好みではない」
「アンタの好みは聞いていない」
 ギルガメッシュは口をとがらせる。
「好みでないものは基準から外している。ゆえに、広さも部屋数も覚えていない」
 ふんぞりかえって言い放つサーヴァントに、凛はため息を返した。
「わかったわよ……アンタが王サマだってことは……」
 そういえば、ギルガメッシュが冬の城でしていたことは、主に破壊活動だった。間取りを確認する暇はなかろう。
 フムン、と最古の王は首を傾げる。
「わかれば良いのだ、わかれば。しかして、午睡中の王を憚るのは、民として当然のこ――」
「いや、アンタの民になった覚えはない」
 ふと。
 凛は両膝をつき、本の山に顔を寄せた。
 ――そんなにカビ臭いかしら、これ?
 何時間も工房にいたから、鼻が馬鹿になってしまったのだろうか。そんなはずはない――と思いたい。
「カビ臭い?」
 凛は思わずギルガメッシュに尋ねる。
 サーヴァントはきょとんとすると。
 苦い表情でそっぽを向いた。
「……時臣の、匂いが……」
 ぼそっと呟かれた名前に、凛は目を丸くした。
 はっとしたギルガメッシュは苛立ち混じりに吐き捨てた。
「魔力の残滓だ! 我は、彼奴を心底厭うていたからな。たとえ魔力の残滓でも、不愉快なものは不愉快だ」
「……ふうん」
 なんだ、と睨むギルガメッシュに、凛はくすっと笑ってみせた。
「アンタが、特定の人間に対して感情を乱すなんて……なんか意外だなと思って」
 一瞬、ギルガメッシュは、途方に暮れた迷子のような表情になった。が、すぐに分厚い王の皮をかぶると、凛を冷ややかに見据えた。
「知ったような口を。父が父なら、娘も娘だ」
 凛は、かつての父のサーヴァントに不敵な笑みを返す。
「言っておくけど。わたしは、父さんよりスゴイわよ?」
 不意に。
 ギルガメッシュは視線を落した。
「……そんなこと」
 言われなくてもわかっている――。
 ギルガメッシュは全て言い終わらぬ内に口を噤むと、おもむろに振り返った。

 ――がしゃん。

 紅の視線の先。
 衛宮邸の庭に佇む、黒い甲冑姿。
「ん……?」
 凛の笑顔が引きつる。
 なぜ。ここに。セイバー(オルタ)さんが?
「せ、セセセセセイバー……? あっ、アルバイトはー……どうしちゃったのかなぁー……」
 今朝張り切って新都の喫茶店に出勤していった、と士郎から聞いた。
 異様に殺気立ったセイバーから返答はない。
 うむ、とギルガメッシュが膝を叩いた。
「女給を辞めて我の妃になる決心がついたわけだな!」
「それは絶対にな――なんでアンタがセイバーのバイトのこと知ってるのよ?」
 ギルガメッシュが答える前に、鋼の音が重々しく響いた。
「――お客様。お持ち帰りをご希望ですか」
 ちょっと、と凛はギルガメッシュの胸ぐらをつかんだ。
「アンタなに考えてるのよ!? セイバーになにしたのよッ?」
「ん?」
 いやなに、とギルガメッシュは頬をかく。
「女給姿のセイバーがあまりに愛いのでな……戯れていたら、アホ毛(げきりん)が取れた」
「はぁあああああ!?」
 凛はギルガメッシュをがくがく揺さぶる。
「他人の逆鱗で遊ぶなバカぁああああ!!」
「む? 他人の逆鱗などイジってなんぼ――」
「どこぞのレンチン系アイドルと騎士王を一緒にすんなっ!」
 ちゃき、とセイバーの籠手が鳴る。
 握られたのは、黒い聖剣。
「お代は――貴様の首だ、英雄王」
 むう、とギルガメッシュが唸る。
「それは困るな。我が首と引き換えにおまえを持ち帰っても、我はおまえを愛でられんではないか」
「なに当たり前のこと言ってるのよ」
 セイバーが剣を振りかぶる。
 ――まずい。
 エアを抜こうとしたギルガメッシュの右手を、凛はぺちんと叩いた。
「バカ、衛宮くん家をクレーターにする気!?」
「このまま吹き飛びたいのか、小娘?」
 セイバー、エクスカリバーの構え。
「アンタひとりで吹き飛んでちょうだい! それが嫌ならなんとかしなさいよ。アンタが元凶なんだからっ」
「……むう」
 かッ、と目を見開く、黒い騎士王。
 ギルガメッシュは億劫そうに、背後の本に手を伸ばした。
「〝約束された勝利の剣〟――ッ」
 ――間に合わない。
 凛はぎゅっと目を瞑る。
 ギルガメッシュは初級の魔導書に自身の魔力をこめ、烈風に向かって放った。



 むかしむかし、あるところに、凛という名の魔術師の少女がおりました。
「……」
 凛が目を覚ますと、あたりには見たこともない景色が広がっています。まあ、大変。ここは冬木じゃないわ。
「……綺礼。ふざけたナレーションは止めて」
 おはよう、凛。今の私は言峰綺礼ではなく、〈天の声〉なのでね……私の意思で止めることはできないのだ。諦めたまえ。
「よりにもよって、なんでアンタなのよ……」
 凛はぶつぶつと文句をこぼしました。遠坂家の当主たるもの、常に余裕をもって優雅たれ、ではなかったのかね。
「うるさいわね。だからアンタは嫌なのよ。……状況を説明して」
 ある日、凛は大きな竜巻に襲われました。
 凛はお父様の工房から一冊の魔導書を取り出します。お願い、助けて――凛の思いに応えて、魔導書は力を解放しました。
「それで?」
 強力な結界に包まれた屋敷は、竜巻に飛ばされてしまいました。
 ですが、屋敷の中は静かなものです。凛はすっかり安心して、眠ってしまいました。
 ――凛。説明しろと言ったのは、おまえだ。ちゃんと最後まで聞きなさい。
 ようやく凛が目を覚ますと、屋敷はもとのまま、どこも壊れていません。助かった、と胸を撫で下ろした凛が、なにげなく窓の外を見ると。
「ここ、どこよ?」
 深い森が広がっています。
「……ていうか、ギルガメッシュは?」
 凛。ストーリーに沿って動いてもらわねば困る。
「はいはい……」
 凛が玄関を出ると、一匹の白い犬が駆け寄ってきました。
『遠坂!』
「え……っ、士郎!?」
 犬種は……いや、雑種のようだ。
『どうなってるんだ、これ!? また虎聖杯か? それとも温泉の呪いかっ?』
 私の声は主人公である凛にしか聞こえない仕様でね。私はあくまで裏方。話を進めるのは主人公の役割だよ、凛。
「……落ち着いて、衛宮くん。よくわからないんだけど、わたしたち、異世界に飛ばされちゃったみたいよ」
 凛は士郎(犬)に向かって、至極真面目に語りかけます。
「元凶はここにはいないみたいだし、とりあえず――」
『――ん、待て、遠坂』
 士郎はぱっと走り去ると、棒状のものをくわえて戻ってきました。
 どうやら、魔法の杖のようです。
『これ、見覚えないか?』
 凛は士郎から杖を受け取ると、顔を蒼白にしました。
「……これ」
 そのときです。
 ぷぴーっと笛を鳴らしながら、〈北の魔女〉が現れました。

「よくぞ参った、勇者よ!」

 凛も士郎も、〈北の魔女〉に視線が釘付けです。
「イリヤ……?」
『イリヤ……』
「そうよ、わたしよ! ていうかなによ、この学芸会の妖精さんみたいな格好! 魔女ってローブとかドレスとかじゃないの!? せめてゴスロリ系にしてっ」
『似合ってるぞ、イリヤ』
〈北の魔女〉は士郎(犬)に駆け寄ります。
「もっ、もしかしてシロウ? あぁぁぁ、シロウがもふもふだぁ」
『遠坂……俺の言葉、遠坂にしか聞こえてないのか?』
 少年の危惧は残念ながら当たりだ。
「そうらしいわ」
「リン! シロウを置いてとっとと去りなさい。その杖さえあればいいんでしょう?」
「あァ、そういえば……」
 凛は手中の杖をみつめます。
 見覚えがあるのも当然――それは、キャスターの杖なのです。
「……で。キャスターは?」
 うぉっほん、と〈北の魔女〉は精一杯胸を反らします。
「予言通り、空からやってきて、〈東の魔女〉を倒した勇者よ! わたし、〈北の魔女〉からは、なぁぁぁんとぉ! 聖杯温泉の素『名湯ヴァルハラ』一年分をプレゼント!」
「いらんわ」
 にべもないな。
 ふと、凛は腕を組んで考え込みます。
「竜巻に、犬に……北と東の魔女ねぇ……」
 これからなにをすべきか、凛は薄々感づいたようだな。
「まぁね。……にしても、キャスターが〈東の魔女〉かぁ。ほぼ出番なしだし、家に押し潰されて死ぬとか……キャスティングに悪意しか感じないんだけど」
 なんのことかな。コルキスの魔女殿には、夫の代わりに圧死してもらっただけのこと。
「え、なによソレ、上手いこと言ったとでも思ってるわけ?」
「……リン。大宇宙との交信は後にしてくれない?」
 凛は慌てて〈北の魔女〉に向き直ります。
「わたし、これから〈魔法使い〉に会いに行けばいいのよね? なにを目印にすればいいのかしら」
〈北の魔女〉は胡散臭そうに凛を見ました。
「本っ当にリンは可愛げがないわね……話が早ければいいってものではないのよ?」
 まあいいけど、と言うと、〈北の魔女〉は地面を指差しました。
「勇者よ、〈魔法使い〉に会いたければ、このインゴットの道をゆくのです」
 凛が地面に目を凝らしてみると、なるほど、草の合間に金塊が埋まっています。少し離れたところにも、金の輝きが。インゴットが飛び石とは、大盤振る舞いだな。
「掘っちゃ駄目よ、リン」
「わ、わかってるわよ!」
 こうして――。
 凛はインゴットの道を歩き始めました。
『遠坂!』
 おや、白い犬、もとい衛宮士郎が追いかけてきたようだ。
『俺には、なにがなんだか……そもそも、なんで俺、犬になってるんだ?』
「ごめん、衛宮くん。それはわたしにもわからないわ」
 ランサーが犬では、そのまますぎて、つまらないだろう。
『それに、ここって……やけにメルヘンちっく、だよな』
「衛宮くん、『オズの魔法使い』って読んだことある?」
『たしか、絵本で……あんまりよく覚えていないんだが』
 はあ、と凛はため息をつきました。
「わたしたち、『オズの魔法使い』っぽい世界にいるみたい」
『……』
「……」
『なんでさ』
 はあ、と凛は再度ため息。
「それを説明するのは、わたしの役割じゃないわ」
 ご明察。
「この現象は、ある種の呪いだと思えばいいわ。ひとつずつ、ピースを正しくはめていけば、必ず解けるの。ヒントは多めだから、そんなに難易度も高くないし」
『遠坂はいつでも冷静だな』
「わたし、謎解きは得意だから」
『それじゃ、遠坂名探偵のお手並み拝見だな』
 そんなこんなで、一人と一匹は森を抜け、だだっ広いトウモロコシ畑に出ました。
『無性に走り出したくなるなー……』
「衛宮くん、思考が犬化してるわ」
 凛は敬礼の格好で、ぐるりとあたりを見渡します。
「――あ!」
 なにか、見つけたようだな。
 凛はさっき自分が言ったことなどすっかり忘れて、あぜ道を駆けてゆきます。士郎は凛の後を喜んで追いかけました。
「ランサー!」
 凛の表情がぱっと明るくなります。
 トウモロコシ畑の真ん中に、ぽつんと立つ〈かかし〉――無様だな、ランサー。
「ランサー、待っててね。今、下ろしてあげるから」
 凛は両腕に強化の魔術をかけ、ランサーが縛りつけられている木の杭を地面から引き抜きました。
「せー……のっ」
 凛はそっと置いたつもりだろうが、ズシンと地響きが立った。朦朧としていたランサーも、ようやく我に返ったようだな。
「んあ……? グリンブルスティが千百四十五匹……」
「ランサー、しっかりして。もう猪を数えなくてもいいのよ」
『どんな拷問だ、それ……』
 凛と士郎は手分けして、ランサーを縛っている縄を解きました。地面に解放されたランサーはしばらく目を回していましたが、ほどなく自力で起き上がりました。
「あー……いてててて……ひでェもんだな、まったく」
 縛られていた腕や足をさすりつつ、ランサーは嘆きます。
「師匠(せんせい)の悪戯にしちゃァ、度が過ぎ――」
 ランサーはきょとんと凛をみつめ返しました。
「お嬢ちゃん……?」
 ごしごしと目をこすると、ランサーは白い犬に視線を移しました。
「……と、坊主? なんでここに?」
「巻き込まれたのは貴方の方だと思うんだけど……その話はおいおいするわ。貴方こそ、誰にやられたのよ?」
 クーフーリンともあろうものが。
 ランサーは渋い表情で明後日を向きます。
「わからん。気付いたらああなってた。あまりに暇すぎるんで、スレイプニルを数えて……飽きたんでフレスヴェルグにして、それもまた飽きたからグリンブルスティを数えてた」
『英雄の暇つぶし方法って、独特だな……』
 凛はいたって真面目に、ランサーの体調を気遣います。
「いくらサーヴァントでも、ずっとあの状態じゃ消耗するわよね。少し休んだ方が――」
 ぐい、とランサーは凛の肩を抱き寄せました。
「なァに、このくらいどッてことねェや。ちィっとばかし、お嬢ちゃんの魔力をもらえりゃァ――」
『バカ言うな、色ボケサーヴァント』
 凛とランサーの間に割って入った士郎が、前足でランサーを牽制。
「お、坊主、なンだ。オレと遊んで欲しいッてか?」
 よーしよしよしと、士郎(犬)をわしゃわしゃするランサー。さすがは、犬の二つ名を持つ男だな。扱いがプロだ。
「……クランの猛犬って、そういう意味じゃないけど……」
 無粋だな、凛。
『――って、おい! うっかり流されるトコだった』
 一人と一匹の微笑ましい様子に、凛はほっと胸を撫で下ろしました。
「それだけ元気そうなら、大丈夫ね。――先を急ぎましょう、ランサー」
 ランサーに抱えられたまま、士郎はワンと一声。
『待ってくれ、遠坂。こいつも一緒なのか?』
「当り前じゃない!」
 凛はびしぃっとランサーを指差しました。
「彼は〈かかし〉よ。つまり、わたしたちの仲間だわ」
 そんなわけで――。
 凛と士郎の道行に、ランサーが加わりました。さきほどまで日干しにされていたのが嘘のように、ぴんぴんしています。

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